【15,開城(ケソン)】
 朝鮮半島の最初の統一国家であった高麗王朝(918〜1392年)の首都であり、高麗500年の歴史と文化が香る古都である。板門店と軍事境界線を間近にしている軍事沿線都市でもある。また高麗人参の原産地として有名である。
 家々は、瓦葺きの一軒家が多く歴史を感じさせる城下町だった。
 制服を着た子供たちが、バスに乗っている私たちに向かって手を振ってくる。ここに来て、初めて子供らしい心に触れて安心した。大人たちも興味深げにこちらを見ている。
 バスから降りると、手を振っていた子供たちが好奇心を剥き出しにしてこちらを窺っては仲間たちとささやき、こちらに近づいてくる。
 あいにく接触する機会が持てなかったのだが、もしも朝鮮語が話せれば現地の人々と交流することは可能だと思う。平壌のホテルでも店でも地下鉄の中でも、人々はこちらを興味深そうに眺めていた。英語はなかなか通じない。私の発音が悪いせいもあるが、現地の人々はあまり英語を勉強していないと思う。(イランに行った時は、若者や子供たちがワーと寄ってきて英語でたくさんの質問をしてきて、私の拙い英語でも会話ができた)
 敵国の言葉は勉強したくないのだろうか。
 広い道路の先にある子男山(チャナムサン)という丘の頂には、故・金日成主席の銅像が立っていた。

 ランチは統一館レストランで、宮廷料理を食べた。

 高麗博物館に行く。高麗時代の重要な文化財を保存・展示している。ここに展示されている磁器などの骨董は、数百万〜数千万円の価値があるものだとガイドが言っていた。
 高麗時代の最高教育機関であった建物が博物館になっているため、老朽化していて、鍵も安っぽい。それでも、盗む人がいないというのだから、治安の良さがわかる。

 善竹(ソンジュク)橋という、石橋があった。高麗王朝の最後の忠臣であった鄭夢周(チョンモンジュ)が、李成桂(高麗王朝を倒し、朝鮮王朝を建国)への協力を拒み、暗殺された場所。この事件を境に高麗王朝が衰退し、李成桂を王とする李王朝へと移り変わっていった。暗殺されたあと竹が生えてきたため善竹橋と改名された。
 その側に、鄭夢周に仕えて共に殺された家来の碑もある。
 これらは国宝となっていて、“ 愛国 ”と“ 忠臣 ”を重んじる朝鮮の価値観が窺われる。

 表忠(ピョチュン)碑という大きな亀の石碑があった。左側のものは1740年、李朝英祖王の時代に作られ、右側のものは1872年、李朝高宗王の時代に作られたもの。鄭夢周を称えた王の筆跡が刻まれている。亀は、忠誠心を表す。
 この石も貴重なものだが、盗む人はいない。

 夜は平壌のオリコギ(アヒル肉)専門レストランで、アヒル肉の焼き肉を食べた。牛肉とアヒル肉の味の違いがよくわからない。日本の大衆的な焼き肉料理店と同じような感じだった。ご飯は適度な粘度があり、雑穀も混じっていておいしかった。
開城の街
(この広い道路は有事の時に軍用飛行機の滑走路となる。道路の先に故・金日成主席の銅像がある)
故・金日成主席の銅像
街角 故・金日成主席の銅像の側から見た開城の街
(右の青緑の屋根の統一館レストランでランチを食べた)
宮廷料理 家々
城下町 高麗博物館
館内 同敷地内
善竹(ソンジュク)橋 表忠(ピョチュン)碑

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16.凱旋門