松直伽のイラン旅行記

イラン旅行期間 1997年11月6日〜12月4日
素晴らしいところ

モスクや霊廟の内部がとても神聖で、街や建築物、人々、遺跡、すべてに落ちつきがあり深い神秘的な空気があった。古代から祈り続けるペルシャ人の生き方が生活に溶け込み、国全体に浸透していた。政治的な規制はあるが、庶民の間には平等性があり心を大事にすることで強い信頼関係で結ばれている。心が広く楽観的で、よく働きよく遊び、心から笑う。子供や女性がのびのびとしていた。日本で問題になっているような人間関係障害や陰湿な虐めはないと聞いた。正直さや気持ちなど、内面を大事にする国民である。

MAP Tehran-1(テヘラン)
Tehran-2
Tehran-3

エルブルズ山脈の麓にある首都
Kerman(ケルマーン)
バーザール
Mahan(マーハーン)

イスラム神秘主義者の眠る聖地
Bam(バム)
土の廃墟の街
Yazd-1(ヤズド)
Yazd-2
ゾロアスター教が今も息づく街
Pasargadae(パサルガダエ)

ペルセポリスから約数十キロの場所、アケメネス朝の創始者キュロス大王が築いた都
Naghshe-e Rostam(ナグシェ・ロスタム)

ペルセポリスから約6キロの岩山。断崖の墓にアケメネス朝時代の諸王が眠る
Persepolice-1(ペルセポリス)
Persepolice-2
アケメネス朝ペルシア帝国時代の首都、壮大な遺跡
Shiraz-1(シーラーズ)

Shiraz-2
Shiraz-3
Shiraz-4
詩と薔薇の街。
Esfahan-1(イスファハン)
Esfahan-2
Esfahan-3
Esfahan-4
Esfahan-5
Esfahan-6
ペルシャ美術の華咲く古都
Ghom(ゴム)

マシュハドに次ぐシーア派の聖地
Mashhad(マシュハド)

メッカに次ぐシーア派の聖地
Chalus(チャルス)
カスピ海沿岸にある街。湿潤な気候のため、日本に似た家屋が並ぶ。
政治 イスラム主義の貫徹が基本原則。イスラム教の最高指導者が政府を監督、指導している。政府を率いる大統領は4年ごとに選出。立法機関は一院制で議員は4年ごとに選出。投票権は15才以上のすべての市民にある。現在の最高指導者はハメネイ師、大統領はハータミー師。
歴史 アケメネス朝ペルシア(BC550〜BC330)
南ロシアのステップ地帯から、アーリア系の遊牧民族が紀元前2000年紀にイラン高原に南下して定住した。アケメネス王家から出たキュロス大王(2世、在位BC559〜530)がアケメネス朝ペルシアを築いた。ダレイオス大王(1世、在位BC552〜486)が東はインダス川、西はエジプト、北はマケドニアや南ロシアまでの大遠征を行い帝国の領土を拡大。ペルセポリスを首都に帝国は栄え、ダレイオス3世(在位BC335〜BC330)の時、アレキサンダー大王の東方遠征軍に敗れた。

サーサーン朝ペルシア(226〜651年)
パルティア朝(BC247〜AD226頃)が500年近くイラン高原を支配する。ササン一族の王、アンダシール1世(在位226〜241)がアケメネス朝の後継者を自認してパルティア朝を倒し、サーサーン朝を確立した。イラン高原を中心に、メソポタミア、アルメニア、アフガニスタンなどを征服し、大帝国を築いた。シャープール1世(在位241〜272)、シャープール2世(在位309〜379)、ホスロー1世(在位531〜579)といった名君が現れ、約400年繁栄した。西にはローマ帝国、東には隋唐の世界帝国があり、サーサーン朝はその間にあり、東西の文化交流にも多大な貢献をした。国教はゾロアスター教。651年に、イスラム教徒のアラブ人によって、サーサーン朝は征服された。

ペルシア・ルネッサンス

7〜8世紀は「沈黙の2世紀」ともいわれ、イラン全土はイスラム教を旗印にしたアラビア人の王朝に支配された。ゾロアスター教は衰退して、イスラム化が進む。続いて、トルコ、モンゴル系の遊牧民族が支配していく。11〜12世紀のセルジュクトルコに続き、13世紀にはモンゴル軍がイラン高原を侵略し主要都市が破壊された。13〜14世紀にはモンゴル系のイル・ハーン国が支配。14世紀後半から15世紀までモンゴル系のティームール王朝が支配した。戦国時代であったが、一方でイスラムを受容した新たなイラン文化が開花した。イラン東部に起こったイラン人による地方政権であるサーマン朝(875〜999)では、偉大な民族詩人フェルドーシが現れ「王の書」を残す。トルコ、モンゴルの支配時代に、シーラーズに2大叙情詩人サーディーとハーフェズが現れる。

サファヴィー朝(1501〜1736年)

アルダビールに本拠をおくスーフィー教団(神秘主義教団)だったサファヴィー教団が政治化し、イラン民族によるサファヴィー朝が出現。シーア派イスラム教を国教としてイラン的国家を打ち立てた。シャー・アッバース1世(在位1587〜1629)はイスファハンを首都として、最盛期の王として君臨する。この時代に、シーア派と密接に結びついたイランの国民性の基礎が固まった。1722年、サファヴィー朝は侵入してきたアフガン人によって滅ぼされ再び戦国時代に入る。

ガージャール朝(1796〜1925年
)
カリム・ハーンがシーラーズを首都にザンド朝を建てたが、18世紀末に混乱を終息させイランに統一の政権をもたらしたのがガージャール朝である。しかし、19世紀には西欧列強の帝国主義的圧力、特にイギリスやロシアへの従属などで弱体化していく。

パフラビー朝(1925〜1979年)
レザー・シャー(在位1925〜1941)は、イランの完全独立を叫んでパフラビー朝を建てる。アケメネス朝、サーサーン朝時代のペルシャ帝国復活を望み、軍事独裁政権を樹立して急激な近代化政策を推進した。イラン(アーリア人の国という意味)を国名として宣言。その子、ムハンマド・パフラビー(在位1941〜1979)も国王独裁体制を築き、豊富な石油資源を背景にアメリカとの結びつきを強めながら「白色革命」と呼ばれる急激な近代化を推し進めた。

イスラム革命

国民の経済格差の不満などにより、1979年2月、イスラム革命が勃発。ホメイニー師を指導者とするイラン・イスラム共和国が成立した。反米政策で知られる。8年間続いたイラン・イラク戦争が1988年には停戦を迎える。ホメイニーが死去(1989年)して、ハメネイ大統領が最高指導者となる。1997年にハータミー師が大統領になり、外交、内政ともに穏健な政策を実行している。イランの人口の約半分が戦争を知らない20才以下といわれ、国民の感情は徐々に自由化へと向いている。