2005年8月22(月)「『何かになる』とは『何かを犠牲にする』ことなのだろうか?」

 物語(今まで小説を書いていたが今度から物語風にしたいと思う)も書きたいし、織りもやりたいし、読書もしたいし、スポーツセンターで運動もしたいし、ホームページの運営もして発信したいし、料理や家の仕事や家事・洗濯といった生活もちゃんとしたい。その上、世界に関心を持って世界の出来事や苦しんでいる人々についても知って考えようとすると、時間がいくらあっても足りない。
 私が知る限り、「何かになった」仕事人で、世界に関心を持ったり読書や運動や料理をしたり家族・友人と一緒に過ごして充実したプライベートと仕事時間とを両立している人はほとんどいないように思う。(一流の仕事をしていても、料理はしないとか、読書はしないとか、運動はしないとか、世界には関心が薄いとか、家族・友人と一緒に過ごす時間が極めて少ないとか、仕事に偏っている場合が多いのである)
 「何かになる」ということは「何かを犠牲にする」ということなのだろうか?
 
 私の場合、一番大事なことは料理や家の仕事といった生活部分、二番目に運動、三番目に読書、四番目に物語を書くこと、五番目に世界について知って考えること、六番目に織をして楽しむこと、七番目にホームページの運営。
 時間がなくなると負担になるのがメルマガの発行。


2005年8月19日(金)『「世界の半分が飢えるのはなぜ?」ジャン・ジグレール著(合同出版)』

メールマガジンより

毎日、暑いですが、皆様はどのようにお過ごしでしょうか。
今年は戦後60年、終戦記念日ですね。
皆さんも(私も)戦争を知らない世代だと思いますが、戦争の記憶は引き継いでいきたいものです。
世界はいまだに戦争・紛争状態で、日本もアメリカの戦争に加担しています。
戦争を、遠い場所で行われている戦闘やテレビゲームや戦争映画のワンシーンのようなイメージしか持たないで、簡単に戦争を支持してしまうことは、とても恐ろしいことです。
戦争とは、自分や愛する人が無惨に殺されていくことなのですね。
ブッシュ大統領やそれに従う小泉・自民党ら、それを支持する人々は、とてつもなく大きな罪を犯していると感じます。
先日、イギリスでテロ攻撃がありましたが、日本もこのままアメリカに追従し続けていると、ただではすまないような気がします。
9月11日には、総選挙があるので、戦争に加担しない政党を選びたいものです。

子供の頃に「はだしのゲン」という漫画を面白く読みました。
広島で原爆が投下される前夜から原爆投下後の地獄のような日々、終戦直後の混乱の中、親を亡くしたゲンはたくましく生きていく…。
衝撃的で恐怖マンガを読む感じでしたが、現実に起きていたことです。ストーリーも面白かったです。
子供心にも、戦争は許されない大罪だと直感したものです。
お薦めのマンガです。子供へのプレゼントにも良いですね。
英訳もあるそうなので、特にアメリカ人に読んでもらいたいものです。
ネット書店の「はだしのゲン」のページ http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4811304004/250-6714192-6520204

「はだしのゲン」英訳版のページ
http://hokuriku.yomiuri.co.jp/infos/kurasi/2004/kou_i419.htm

「世界の半分が飢えるのはなぜ?」(合同出版)をご紹介します。
これはジャン・ジグレールというジュネーブ大学社会学教授がお書きになった本です。
こんなことが書いてありました。
飢えがひどい地域は、アフリカ、東南アジア、ラテンアメリカやカリブ海地域などです。飢えはけっして「運命」や「自然淘汰」ではないのです。
1999年の時点で、8億2800万人が飢えているということです(現在でもそれぐらいで、世界では毎日2万5000人が亡くなっています)。
飢えには「経済的飢餓」と「構造的飢餓」があるのですが、「経済的飢餓」とは戦争や内戦や天災など経済的な混乱が招く飢餓、「構造的飢餓」は市場原理主義の世界経済システムのような、社会構造がもたらす飢餓で慢性的です。
世界的に穀物の収穫量は十分なのですが、取引価格がシカゴの投機家の手によって人為的に操作され、国連や国連食糧計画(WFP)、さまざまな人道的援助団体、慢性的な飢餓で苦しむ国々は、穀物メジャーによって決められた価格で買わざるを得ない、というシステムになっているのです。
飢餓を押し進めることを武器にする国家や企業もあります。アフリカの各国が自立するのを嫌がる大国があるのです。
例えば、国家による経済制裁、スイス企業のネスレなど。
チリでは、1970年代、アジェンデ大統領が外国への依存から脱却し自立するプログラムを作り、粉ミルクをすべての子供たちに無償配給することに決めました。
しかしアメリカが、チリに進出しているアメリカの国際企業の利益の邪魔になるということで拒絶し、西側諸国の銀行や商社や工場、ネスレもアメリカに追従し、粉ミルクの無償配給は実施されなかったばかりか、アメリカが援助を打ち切り、クーデターが引き起こされ、流血の暴挙となり、アジェンデ大統領は殺害されてしまいました。
アフリカのブルキナファソという国でも、1980年代、トーマス・サンカラというアフリカ人が自立のための政治改革をして、たった4年間でみごとな成果を上げてお手本になったのです。
このおかげで、政治腐敗で苦しんでいた近隣諸国にも希望を与えることになり、近隣諸国も変わろうとしたのです。
しかし、植民地時代の名残でフランスとその属国の支配者たちに糸を引かれているので、フランスからサンカラ暗殺の指令が出て、サンカラの親友の手によって殺害されてしまったのです。
また、かつての植民地支配の傷跡で、フランスなど旧宗主国によって、輸出用の主要生産物が一つに偏って作らされています。
例えば、セネガルは国民はよく働くし、自力で食糧を生産する能力が十分あるのに、食糧を輸入しなければいけない社会システムになっているので、ピーナッツばかり栽培しているのです。それをセネガル政府が買い上げてヨーロッパに輸出していますが、農民たちは不当に安い代金しかもらっていません。
原生林の大規模な伐採によって森林が滅亡し、生態系のバランスが崩れて、地球温暖化や砂漠化が進んでいるのも、飢餓の原因です。
アマゾンでは、干魃のためにジャングルに逃げ込んできた農民たちが畑を作るために森林に火をつけたり、利益を追求する国際企業が大規模な森林伐採をしているのです。
こういったことによりますます砂漠化が進み、飲み水がなくなり、牧畜や農業ができなくなり、環境難民となり飢えていくのです。
こうした飢餓問題の根本的な解決のためには、各国の自給自足の経済を自らの力で達成すること以外にないのです。
そのためには、飢えに苦しむ人たちの様子を日常の風景にしてしまっているような社会、人を人として扱わなくなった殺人的な社会構造を変えることです。
市場原理主義経済、暴力的な金融資本、国民から富みを巻き上げるだけの国家財政が、世界に不公平と苦悩をもたらしている。
そういうものの代わりに、「自分たちの手で自分たちの国づくりを」「自立した経済を」という考え方を中心にすえることがとても大事なのです。

ということが書いてありました。
15世紀頃に始まった大航海時代以来の、他の国や民族を差別し虐げることによって自分たちの国や企業が富んでいく、という世界のシステムは、南の国の人々を飢餓に追いやったり地球環境を破壊しているのですね。
アフリカで内戦や紛争が絶えないのは、植民地時代に欧米列強が適当に国境線を勝手に決めてしまったことで、民族の統一が妨げられてしまった、という事情が背景にあります。
このような弱肉強食システムが、戦争や紛争やテロ攻撃や飢餓を生み出していると感じます。
今イスラエル政府がガザ地区入植地のユダヤ人を退去させていますが、一方で、パレスチナ人居住地・ヨルダン川西岸におけるユダヤ人入植地の拡大が進んでいます。
これではあまり意味がないと思うのですが…。
イスラエル政府が、ヨルダン川西岸入植地からもユダヤ人を退去させれば、平和が訪れるように思います。

地球は人間のエゴと欲望で破壊されつつあり危機が訪れていますが、救われる道はあります。
それは市民一人一人が賢くなって、小さなアクションを起こすことです。
例えば、割り箸を買わないようにすれば、企業が森林伐採するのを阻むことができると思います(人々が割り箸を買って使って捨てるたびに、再び割り箸を作るために企業が森林伐採をします)。割り箸を使うことが多い方は、自分専用の普通の箸を持ち歩いて使いましょう(100円ショップでも売っています)。
割り箸についてのページ
http://www.geocities.jp/netmihara/Ohashi.htm
使わない電気や電源を切ることも大事なことです。
そして、この世界のシステムを変えるために、アメリカに追従するばかりの日本から脱却することです。
そのためには市民が政治家を選んで投票することが大事ですね。
一人ができることは小さいですが、みんながやれば大きな力になるのではないでしょうか。

2005年6月29日付けの朝日新聞によると、フランスやドイツやイギリスに対して、植民地支配の精算や補償を求める声が、今アフリカ各地で広がっているようです。
(フランスもドイツも、その声に応じない方針を表明していますが)
ケニアを植民地化したイギリス政府に対して、独立を求めて闘ったケニアの「マウマウ」元闘士が、提訴するようです。
この起訴の準備に協力しているのは、なんとイギリス人の弁護士です。
彼は「過去のイギリス政府の行いに、非常に恥ずかしさを覚える」と語っています。
これからは、政府よりも、市民が世界を変えていく時代なのでしょう。

ネット書店の「世界の半分が飢えるのはなぜ?」のページ(お薦めの本です。子供へのプレゼントにも良いですね)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4772603131/qid%3D1124373574/250-6714192-6520204

なぜ世界の半分が飢えているのか、下記のサイトにも詳しく書いてあります。
http://hottokenai.jp/
(「ほっとけない世界のまずしさキャンペーン」のページ)

それでは長くなりましたが、ごきげんよう。
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【イラン映画】
「亀も空を飛ぶ」原題「Turtles can fly」バフマン・ゴバディ監督
http://www.sanmarusan.com/
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【お薦めの映画】
http://www.gaiasymphony.com/index.shtml
「地球交響曲・ガイアシンフォニー」
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廃食用油が石油に代わるエネルギーになる!
「菜の花プロジェクトネットワーク」
http://www.nanohana.gr.jp/


2005年8月6日(土)「原爆の日/アメリカの罪」

 岡山にいる祖母のところに行くついでに、広島に立ち寄った。
 私は広島出身なのだが、毎年、8月6日の「原爆の日」には、原爆が投下された八時十五分に広島県各地でサイレンが鳴なっていた。それを合図に、みんな黙祷をするのだ。
 このことは、戦争の記憶を引き継いでいくためにも、良いことだと思う。黙祷するたびに厳粛な気持ちになったものだ。全国で、こういうやり方で黙祷をすれば良いと思う。その前に、昭和天皇や戦犯に指定された人物を裁いて、彼らも犠牲者だという認識を持つことが、過去の戦争を反省し追悼するために必要だと思うが。

 ところで原爆投下は国際法違反だ。
 江戸時代、ペリーの来航で、アメリカは不平等条約を日本に押しつけた。貿易の関税の額を決められることもできず、外国人の犯罪を裁くことができない、不平等な条約だった(開国自体は良かったが方法が間違っている)。日本は半植民地だったわけだ。
 日本は欧米列強の植民地化を防ぐために、明治維新をおこし、「脱亜入欧」「富国強兵」をスローガンにして、戦争に突き進んで行った。
 日本が、欧米列強の真似をして、中国などに侵略していったのは間違いだったが、あの時代に欧米列強が行っていた人種差別や植民地政策には大きな問題と責任がある。日本と中国、韓国との不安定な関係、北朝鮮との問題、北方領土の問題などは、欧米列強がアジアを植民地にしていった問題に遡って、話し合うべきだ。
 アメリカ(ルーズベルト大統領)は第二次世界大戦を終える時、ソ連、中国、日本の3つの国の間に、領土をめぐる紛争が起きるようにし向けた。アメリカは日本が中国や韓国など周辺国と仲良くなるのを快く思っていないのだ。
 日本が中国など近隣諸国と対立することは、ますますアメリカの思うツボにはまることになる。
 日本は中国など近隣諸国と話し合いをするべきだが、欧米の大国も過去の大罪を反省して話し合うべきだと思う。

 アメリカの原爆投下とペリーの砲艦外交、この二点についてはアメリカを追及すべきだと思う。といっても、日米関係を損なわないように、原爆の被害や日本が戦争に突き進んでいった動機について、伝えていけば良いと思う。

 原爆の被害や戦争の醜さについては、子供の頃に読んだ「はだしのゲン」という漫画が衝撃的だった。子供心にも、戦争は許されない大罪だと直感したものだ。ストーリーも面白くて、お薦め。
 ネット書店の「はだしのゲン」のページ http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4811304004/250-6714192-6520204

 下記の左の二枚の写真は、平和公園の施設で市民団体が集会・デモを行っているところ。右の写真は原爆ドームの前の川で、犠牲者の魂を追悼し灯籠流しをしているところ。




2005年8月4日(金)「普通の人々/マンションの隣人」

 6年ぐらい前から手織をやるようになって、教室やインターネットなどで織物好きの方々と交流する機会がたびたびあるのだが、彼女たち(織をする人はほとんど女性だ)に共通しているのは視野の狭さだ。
 織に関する話題以外では、食べ物、料理、おいしいレストラン、洋服、ダイエット、それしかないのだ!
 織の先生がたまに、政治・社会の話題を軽い口調で喋ることはあるが、それでも声の大きな政治家(小泉首相)の言葉を盲目的に信じて、「国のために亡くなった人を祀るのは当然よね、中国にもわかってもらわなくっちゃ。北朝鮮ってこわーい」などと言うだけ。私が「小泉首相は特攻隊を讃美して日本が戦争ができる体制にしようとしている」と言うと、「そんなの疑い過ぎよー」とみんなに笑われる。政治家の言動の背後にある思惑や歴史など知ろうともしない。もちろん読書もしない(忙しくてそんな時間はないのだ)。新聞の大きな文字を信じるだけ。
 自分で考えたり疑問を持つことがないばかりか、世界で何が起きているのか、今まで何が起きていて現代に至っているのか、ほとんど知らないし、知ろうともしない。彼女たちは「発展途上国の人々が貧しくてもかわいそうではない」と言う。理由を聞いてみれば、「努力が足りないからよぉ」と言う。
 私が日記に書いているような内容のことを話すと、耳を傾けることはあるが、そんな話題はうざったい、という感じだ。誰かが芸能人の話を始めると、みんなそちらの方に関心が向いて、バカバカしい話に興じる。
 もちろん私だって人のことは言えないのだが、彼女たちの世界への関心の希薄さには辟易する。なんだか不気味だ。
 彼女たちは、個人としては穏やかで良い人たちだと思う。中越地震が起きた時でも「大丈夫かしらねえ」などと心配していた。
 きっと彼女たちは普通の人だ。思い出すと、高校、中学時代でも、みんなそうだった。 大学時代でも社会に出てからも、男も女もみんな、仕事の話以外では、カワイイ女の子やカッコイイ男について、車やゴルフや芸能人やお金を増やす方法などの話しかしなかった。
 みんな旅行も好きだが、旅行の話をすると、美味しいものとか遊びに関することばかりだ(織物をする女性たちは、それに風景の美しさや織に関することが加わる)。
 中・高校時代にはみんな勉強するが、それは優秀な成績を取るためや良い大学に入るためや将来のため。学校を卒業したら、大部分の人は漫画や雑誌しか読まない。
 織物をする人だけではなく、私の人生の道中で知り合ったり、関わったり、通り過ぎていったほとんどの人は、本を読まなかった! 星野智幸さんや宮内勝典さんの本を読んだことのある人に、一度も出会ったことがない。それどころか名前を知らない!

 みんな一見楽しそうだが、一斉に現実逃避していて、優しさとか希望が感じられない。 
 織物や手芸やアートの創作や車やゴルフや旅行や、好きなことをするのは、良いことだと思う。確かにそこには癒しがあるし、ストレス解消にもなるし、楽しみは人を元気にしてくれる。
 でも、世界への関心が希薄なのは問題だ。世界への関心が希薄だから本も読まないのだ。この世の中を愛する気持ちがあったら、世界への関心も深まるのではないだろうか。
 政治・社会問題・歴史・国際問題・人々の内面などに関心がなく、政治的な考えも立場もない人こそ、ヒコクミン(非国民)ではないだろうか。

 先日、お風呂から洗濯機に渡していたホース(お風呂のお湯で洗濯をするため)が、床に倒れて、ホースにたまっていたお湯が床に漏れて水たまりができた。洗濯は終わっていたので、床に漏れた水は多量ではなかった。
 しばらくして、階下の50代ぐらいの婦人が私の部屋を訪ねて来て、「トイレの天井から水が漏っている」とおっしゃった。
 さっそく階下の婦人の部屋を訪ねた。壁もカーペットも部屋全体が古くて薄汚かった。婦人は「もうすぐリフォームするつもりなんですよ」とおっしゃっていた。トイレの中を見ると、確かに天井から水が漏っているし、側面にも水ぶくれのようなものができていた。トイレの外側の廊下の壁にも水が伝っていて、床に敷いてあるカーペットが少し湿っていた。
 水漏れはすぐにおさまった。後日、再び部屋を訪れて見に行くと、トイレの天井に染みができて、側面の壁に水ぶくれのようなものができてしまっていたが(染みも水ぶくれもとても小さなものだったが)、それ以外のところに損傷はなかった。トイレの外側の廊下の壁やカーペットも乾いて元通りになっていた。
 私は、トイレの天井と壁の壁紙を弁償することを約束した。この時、「保険でやりますから」と言ったのだが、言うべきではなかっただろうか。
 その婦人は、私の立ち会い抜きで、工事の人と勝手に見積もりの打ち合わせをして「廊下の左右の壁も天井も、玄関の壁も、廊下から玄関に渡るカーペットも……」と言い出して、約束したトイレの壁紙のみの工事代より数倍もの金額を請求してきたのだ。
 予想外の金額が書いてある見積書が送られてきて私はびっくりして、「そういうのはお金が出ませんから」と言うと、「保険会社が出してくれる範囲で良いですから」と婦人は私にリンゴをくれたりした。嫌な気分だった。
 そして、保険会社は現場を見に来ることもなく、見積書に書いてあった金額のお金を振り込んできた。
 そのお金をゲットした婦人は、私に電話をしてきて「ありがとうございました」などと言う。(なんだこいつ!)と私は不快になった。
 私が婦人の立場だったら、部屋が古くてもうすぐリフォームをするのだったら、「もうすぐリフォームをするから弁償しなくても構いませんよ」と言うところだ。しかもこの婦人、というかおばさんは、マンションの理事長なのだから驚き。
 この婦人のやり方は、普通なのだろうか? 日本人の多くは、こうした人間なのだろうか?

 人と接すると、変だなと思うことが多い。
 前述した、世界への関心が希薄で本を読まない人や世界を知ろうとしない人が多いことと、この婦人がやったこととは、根っこが同じであるような気がする。
 みんな、自分のことしか考えていないのだ。

 こんな変な世の中で、社会上層部の権力者や既得権益層の欲望や思惑に翻弄されたり理不尽なことが多い世の中で、心から世の中を良くしようと環境や平和のための活動をされている少数派の方々がおられることも確かだ。こうした人々や団体(NPO・NGO)を何らかの形で応援していくことが、これからは必要なのではないだろうか。それがまともな生き方ではないだろうか。世界の現実を直視して取り組んでいく他、希望は作れないのだから。


2005年7月24日(日)「ロンドン同時爆破テロ/差別がテロ攻撃や戦争を生む」

 ロンドン同時爆破テロがあった。イラクやパレスチナでも毎日のように人々が殺されたり、自爆テロが起きている。地球上には紛争・戦争が絶えずある。
 その一つ一つにいろいろ理由はあるだろうが、根底にあるものは差別だと思う。
 ずっと昔、アジアや南米やアフリカには独自の文化や文明が栄えていたのに、15世紀頃に始まった大航海時代から、西欧はアメリカやアジアなどに渡り、先住民を迫害、虐殺し、支配していった。西欧の欲望と非人間的な残虐性によって、アジアや南米やアフリカの人々の誇りや文化や文明が破壊された。欧米列強は、これらの国々から略奪・搾取した富によって栄えてきた。
 欧米列強がこのような残酷なことを平気で行ってきたのは、人種差別があったからだ。黒人や黄色人種は、人間よりも動物に近い存在だと白人は思い込んでいたのだ。
 イギリスは、インドの木綿の紡ぎ手を何万人も集めて手首を切り落としたり、中国にアヘンを売って中国人の精神をことごとく破壊し、アヘン戦争を起こしたり、とてつもなくひどいことをしていた。ひどいことをしていたのはイギリスだけではない。欧米列強の国々が、有色人種は人間ではない、と見なして奴隷にしたり残虐なことをしていた。
 ベトナム戦争やイラク戦争では、戦争反対のデモが世界各地で起きたりしたから、世界の人々の意識は、少しづつ進化していると思う。
 しかし、大航海時代以来の、他国や他民族を差別して虐げることにより自分たちが富んでいく世界のルールは基本的には変わっていない。
 根拠もないのに、イラク戦争を起こすのは、中東の人間への差別意識があるからではないだろうか。
 日本が、北朝鮮に経済制裁をすべきだとする世論が大きいのは、朝鮮人への差別意識があるからではないだろうか。
 ロンドン同時爆破テロを起こした人間はパキスタン系英国人だというが、きっと英国で差別を受けていたと推測する。
 9,11事件を起こした主犯格のアタも、差別を受けていた。
 国内で起きている多くの犯罪も、家庭や学校や社会で、不当な扱いや差別を受けて、屈辱を味わい、どうにもならない憎悪を溜め込んでいる人間が起こしているのではないだろうか。

 アメリカは、核の脅威や軍事力によってテロの撲滅や外交を進めようとしていて、このアメリカのやり方を模倣する国も多い。日本も米国に追従している。
 大航海時代から欧米列強が行い続けてきた差別・暴力を反省しない限り、テロ攻撃はこれからもずっと続くだろうし、世界に平和は訪れないだろう。

 日本も、このままアメリカに追従するばかりでは、いつかテロ攻撃の標的にされるだろう。
 日本は明治維新以降、欧米列強の真似をして大国主義の道を選んでしまったことを反省して、昭和天皇を退位させたり天皇制の廃止をしたり戦犯に指定された人物を裁いたりして責任を取っていれば、中国や韓国など近隣諸国とも安定した信頼関係を築けたのではないだろうか。アメリカにそれほど追従する必要も生じなかったのではないだろうか。
 日本の最大の過ちは、ペリーの来航以来、日本の植民地化を防ぐために、欧米列強の模倣をして富国強兵と脱亜入欧を押し進めていき、日本独自の良さや人間的誇りを見失ったところにあると思う。
 日本が鎖国をしていた江戸時代では、日本人は濃い人生を送っていたと思うし文化もとびっきりオリジナルだった。ペリーが来航して砲艦外交が始まって以来、欧米列強と向き合わなくてはならなくなった時に、日本人は日本の良さを捨ててしまった。
 その事に気付いて、アメリカの子分であることをやめて、日本独自の外交を生み出していかなければ、いつまでたっても日本のアイデンティティは脆弱なままで、自分の国に誇りが持てないと思う。
 日本は率先して、対話による解決と軍縮を世界に訴えていけば良いと思う。


2005年7月18日(月)「『日本人と天皇―近代天皇制とはなにか』雁屋哲・作(講談社プラスアルファ文庫)」

メールマガジンより

私は最近、「日本人と天皇―近代天皇制とはなにか」という政治漫画を読んで、大きな気づきがありました。
小・中・高校などでは、成績や顔の良い人を中心とするピラミッド型の力関係のある仲良し(?)グループがあったり、社会では本音を出すと生きにくくなったり、みんなに同調しなければ排除されてしまう、ペコペコしなければうまくやっていけない、正義よりも多数派の秩序を乱さないことの方が大事であること、など日本のどこにでもある集団や組織や人間関係の窮屈さは、実は「近代天皇制」の悪影響なのだという事がわかりました。
私は今まで、天皇制に対してほとんど関心がなかったのですが(自分とは関係がないと思っていた)、これほどまでに日本人の無意識に大きな影響を与えていたとは、愕然としました。

「日本人と天皇―近代天皇制とはなにか」では、大学の野球部員が全日本大学サッカー戦の開会式で、国歌を歌わず国旗にも敬意を払わなかったということで大問題となります。
野球部員たちとサッカー連盟や大学関係者たちとの軋轢を描きながら、天皇とは何か、近代天皇制の毒とは何か、現代の天皇制は本当に無害なのか、昭和天皇の戦争責任、これからの日本人はどうすれば良いのか、という問題に迫っていきます。
私たちの日常にある身近な問題を取り上げながら、日本がとらわれている天皇制の問題について、面白くわかりやすく以下の内容のことが書いてありました。

国歌を歌わなかった野球部員は、「自分の祖父は天皇の命令によってマレー半島に送られ住民虐殺を命令され、戦後は戦犯になり処刑された。
それなのに天皇は責任を取らなかった。
祖父に殺されたマレーの住民にも天皇は責任を取らなかった。
そのような天皇を讃える<君が代>を歌いたくない」と言うのです。
すると、サッカー連盟や学長などが、「愛国心のない非国民だ」と罵るのです。
この問題を掘り下げていくと、日本人の精神を「近代天皇制」の鋳型に押し込めてきた「国家神道」や「教育勅語」に行き当たります。

「神道」は、もともと日本に発生した民族信仰で、教典も教祖も絶対神もないし、教義や戒律もない、ただ自然や祖先の霊を信仰するだけでした。
「神道」の神は、人間や石や樹木から動物まで森羅万象の何にでも宿っているので、八百万の神なのです。
「神道」はもともと、多様な価値を受け入れることのできる、寛容な宗教観でした。
しかし、明治維新以降、日本は欧米列強の国々に対抗するために、富国強兵と脱亜入欧(「後進地帯であるアジアを脱し、欧州列強の一員となる」ことを目的としたスローガン)の政策をとって、
中国や朝鮮半島などアジアを侵略・支配していきました。
この時、国民を統合して侵略・戦争に動員するために、「国家神道」という国家宗教が作られました。
もともとあった「神道」から、国家が戦争に国民を動員するために「国家神道」というものを作り上げたのです。
(だから、「神道」と「国家神道」とは、まったく違うものです。)
「国家神道」は、軍国主義・国家主義と連結していて、天皇は神(現人神あらひとがみ)であり、日本は神の国であり、国民は天皇の赤子であるから、国民は天皇のために生きて天皇のために死になさい、と教えていました(皇民化教育)。
「国家神道」は国民を団結させて戦争に動員するために作られたので、国民はマインドコントロールされて、たくさんの日本人が天皇を神だと信じて、天皇のために戦い亡くなりました。
「国家神道」のために、廃仏毀釈という仏教排撃運動が起きて日本各地で寺院・仏像の破壊されたり、天皇を神と認めない仏教徒やキリスト教徒は弾圧され、日本の貴重な文化や精神が失われました。
(日本の侵略・戦争は、アジア・太平洋各国に2000万人以上の死者をふくむ史上最大の惨害をもたらしました。)
この愚かしく無惨な日本の軍部や民間人の上から下まで貫き通していたのが天皇の存在だったのです。
そして、神である天皇への崇拝と屈従の強制、封建的な家父長制道徳観念の強制などを日本人に刷り込んだのが「教育勅語」だったのです。
日本のナショナリズムは、「生身の人間を神と崇める天皇教」に基礎を置いているのです。

日本軍の内部では、上官や古年兵への絶対服従を教育するために、日常的にリンチが行われていました。
上官や古年兵にリンチを行う権利を与えたのは、天皇の権威でした。
日本はいまだに、戦争中の日本兵がアジアの非戦闘員に対して残虐行為を重ねたなどで非難を受けていますが、日本兵は日常的にリンチを受け続けていたので、その鬱憤が、戦っている相手国の弱い立場の者に対して噴出したと考えられます。
また日本軍兵士の食料などは現地調達とされていたので、こういったことも日本軍兵士を略奪・殺人など残虐行為にかりたてた原因となりました。

日本軍は勝手に満州事変を起こしました。
その後、天皇が軍の行動を褒め称える勅語を出したために、ますます日本軍は暴走して日中十五年戦争、太平洋戦争へと突入していきました。
日本の一連の中国侵略政策に英米が反対したことから、太平洋戦争へとなだれ込んでいきましたが、その破滅への大きな一歩であった満州事変を、天皇が褒め称えたせいで、日本軍は暴走したのです。
天皇はロボットのように操られていた、と言う人がいますが、これは間違いです。
2,26事件の時、天皇は陸軍首脳の抵抗を押し切って、鎮圧を断行させたのです。
ロボットどころか、天皇は自分が納得しない限り、裁可を与えない厳しさを持っていたのです。
太平洋戦争開戦時も、天皇は重臣や軍部の意見を研究して十分納得してから裁可しているのです。
天皇の命令なくして戦争はできなかったのです。

しかし、戦争の最高責任者である昭和天皇はその責任を取らず、天皇の座にとどまりました。
天皇でさえ責任を取らないのだから、他の人間の戦争責任を問いようがありません。
これが、日本人の倫理観をはなはだしく低下させる基となりました。
責任ある地位の者が責任を取らない無責任体制が日本社会に定着してしまったのです。
バブル崩壊後、いまだに日本は不況から脱出できませんが、これも企業や官庁の最高責任者が速やかにその責任を取らず、解決を先延ばしにしてきたのが原因です。
日本社会の人間関係では上下関係が厳しく威張ったりペコペコしているのも、日本人が集団を作るとすぐに中心的人物を天皇化して担ぎ上げ、人々が心理的に寄りかかっていくのも、天皇の軍隊の遺産なのです。
日本の社会を眺めれば、政界、企業、学校、などいたるところに、道理も正義も通らない、不合理な上下関係に締め付けられていますが、それは社会の根底が「象徴天皇制」という虚構の上に成り立っているからです。
日本は天皇制を存続させてしまったばかりに、日本人一人一人が、戦争責任を取らない非倫理的な国民だと外国から非難され続け、日本は多額の援助を外国に与えているのに、向こうはありがたがるどころか、当然のようにひったくり、もっとよこせ、と文句を言ってくるのです。
日本人はどうして元首が欲しいのでしょうか。
元首に寄りかからないと安心していられないその精神構造は、自立した人間のものではありません。
私たち国民が一人一人個を確立していれば、誰かに自分たちの国を象徴してもらう必要はありません。
私たちの上に生身の人間を戴き、象徴として仰いでいるかぎり、日本人の個としての確立もあり得ないし、民主主義的な結びつきによって成り立つ、真に自由な国を築き上げることもできません。

1945年に昭和天皇がマッカーサーに会いにきて、「連合国の判断に私自身をゆだねます。絞首刑にされても構わない」などと言ったという天皇美談がありますが、これはマッカーサーが政治的意図を持っていたために捏造したのでしょう。
この天皇美談が書いてあるのは、マッカーサーの回顧録だけです。
会見の時に通訳をした奥村勝蔵の書いた「会見録」には、天皇がマッカーサーにそのようなことを言ったとは記録されていないのです。
それどころか、1975年、訪米後の記者会見で、天皇の戦争責任についてどう思うか、という問いに、「そういう言葉のアヤについては、私は文学方面についてあまり研究していないので、お答えできません」とお茶をにごし、一言も戦争責任を認める発言をしたことはないのです。
『「昭和天皇」二つの「独白録」東野真・著/NHK出版』という本に書かれた、昭和天皇元侍従長の稲田周一の日記にも、昭和天皇は自分は戦争に反対だったが、開戦を決めた軍部と政府の方針を認めざるを得なかった、と松岡洋右をはじめ何人もの臣下を名指しで非難をして、責任を臣下に押しつけていたことが書いてあります。

今また、「国旗・国家法」という天皇批判を封じる法律が成立して、戦前と同じ構造が復元されつつあります。
右派の政治家たちが、本気で日本を天皇中心の社会に戻し、天皇制を利用して、国民を操ろうとしているのです。
天皇制があるかぎり、戦前と同じように支配層が天皇を利用し、国民を抑えつける可能性が高いのです。
このような危険な天皇制を廃止して、天皇が国民を直接支配することのなかった明治以前の姿に戻すことが大事です。
国民統合の象徴とか、国の象徴とかいうような、私たち国民の精神構造に影響を与えるような意味を天皇に持たせることを、やめるべきです。
そのためには、憲法第一条を廃止し、憲法から天皇条項を削除すべきです。
日本人が歴史の上で犯した最大の過ちは「近代天皇制」によるものであるし、天皇も皇族たちも「近代天皇制」の犠牲者なのです。
日本の明るい未来のためには天皇制を廃止する必要があります。

という意味のことが書いてありました。
右派の政治家・文化人たちが、戦争の準備を整えようと、国家の都合の良いように国民を統合するため、日本の文化などと言って天皇制や靖国神社をますます利用しようとしていますけど、私たち市民はそれに騙されてはいけないと思いました。
雅子さまの長期にわたる体調不良も、天皇制のために様々なしがらみがあるせいではないでしょうか。
皇族の方々を含めた日本人全体の自立と幸せのために、精神構造に影響を与えるような天皇制を廃止して、代わりに重要文化財保持者のような存在になられて、日本文化の継承の役目を果たされたら良いのではないかと思いました。
それにしても、大部分の日本人は臆病なために天皇の戦争責任について語りたがらないですが、雁屋哲氏は堂々とこのようなことを主張しておられるので、勇気と正義感のある方なのだな、と感心しました。
お薦めの本です。
ネット書店の「日本人と天皇―近代天皇制とはなにか」雁屋哲・作(講談社プラスアルファ文庫)のページ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062567261/qid=1121951623/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/250-6714192-6520204
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【お薦めの映画】
http://www.gaiasymphony.com/index.shtml
「地球交響曲・ガイアシンフォニー」


2005年6月28日(火)「『在日ヲロシヤ人の悲劇』星野智幸・著(講談社)」

 この小説は、社会から家族まで貫いている空虚がテーマだったと思う。
 滑稽に書いてあるところもあって面白く読んだのだが、星野さんは、空虚な社会と家族を描くために、なぜ左翼的活動家や右翼ごっこみたいなことをしている人を登場させるのか、アメリカを「アナメリカ」、ロサンゼルスを「ロサンゼリトス」とかお書きになって架空の世界に設定されているのかよくわからなかった(日本は日本と設定されているのに)。小説としてはレベルの高いものだと思うが。
 左翼的な活動をしている好美は、「自分のために活動してきたのだ、活動していない自分は無意味で内容がなくて、私を罵っている人たちと何ら変わりないのだ」と思う場面がある。
 別に左翼的な活動ではなくても、活動していない自分は無意味で内容がなくなってしまう、と感じて堂に入った仕事をしている人は沢山いる。
 書かない自分には価値がないと感じてあくせく書いている小説家だっているし、他の職業でも何もしていない自分に価値を見出せなくてなんとか人々に認められようと懸命に働いている人は大勢いる。
 日本人は自分の存在や人生に対する空虚感や自信のなさから逃避するために中毒のように働くことによって、高度経済成長を果たした。(高度経済成長を果たすために、空虚と自信のなさを利用されて働かされ、そのような内面構造にされてしまったのだ)
 このような空虚や自信のなさが蔓延するため、 ひきこもりやニートやいじめや孤独や生きている実感がない人や家庭内の病理が増えているのだと思うし、政治・国際問題に関心を持つ人も少なくて、心から日本を良くしたいと活動している日本人も少ないのだと思う。
 イラク人質事件で高遠さんらがバッシングされた時も、人々は特に政治的なスタンスがあってバッシングしたわけではなくて、単なる鬱憤のはけ口にしたりボランティア精神に神経を逆撫でされて憤っていたのだと思う。
(尼崎JR脱線事故でも、犠牲者の遺族宅に嫌がらせの電話や電報などが相次いでいるというニュースが神戸新聞に載っていた)
 多くの人が何もしない自分への無価値感から活動しているとしても、実際には、好美のように政治・国際問題に興味を持って取り組んでいる人は少ないので、私個人としてはもっと政治・国際問題や社会問題に興味を持って取り組む人が増えれば良いなと思う。
 実際に、左翼的な活動をしている人には正義感から行っている人が沢山いる。
 そのため、あえて左翼的活動をしている人間を空虚な人間として描いておられることには、少し違和感を覚えた。また悲観的な小説のためか、読んでいて重苦しく感じた。なぜお金と時間をかけてこちらまで重苦しくならなければいけないのかと思ったりした(まあ読まなければ良いのだろうが)。


2005年6月11日(土)「『靖国問題』高橋哲哉・著(ちくま新書)」

メールマガジンより

明治政府は、国家神道という宗教を作り、天皇を現人神(あらひとがみ・生き神)と呼んで神格化し国民すべてが天皇に従い、命まで捧げるように説いていました。
「祖国のために死ぬこと」を教義化して、国民を戦争に動員しました。
靖国神社は、明治天皇の勅令によって、戦没者を慰霊するために創建されました。
日本のために死んだ兵士たちを英雄として顕彰し、褒め讃え、神として靖国神社に祀り、そのことによって「後に続け」と新たな戦争に国民を動員していくメカニズムを作り、靖国神社はそのための装置だったのです。

靖国神社に祀ってあるのは、当時の国家体制に従って(従わされて)亡くなったと判断された者だけであって、空襲で亡くなった人などは含まれていません。
死者を差別し選別して祀っているのが靖国神社であり、A級戦犯も祀られています。

靖国神社は「追悼」施設ではなく、植民地支配のための日本の戦争を栄光の戦争として顕彰し、「英霊」たちを「尊い犠牲」として顕彰している「顕彰」施設と言うべきです。
靖国神社の「英霊」たちは、「国を守る」ために戦死したと言われますが、彼らが守ろうとした国は戦争によって獲得した植民地帝国だったのです。

つまり靖国神社の本質とは、過去の無数の戦争や、侵略戦争で活躍した戦死者らを「感謝と尊敬」の対象として褒め称える顕彰にあるのです。
しかも、靖国神社は本質的に遺族の意志・感情を無視していて、日本の統治下で軍人軍属として徴用されて亡くなった台湾人などやキリスト教徒らも合祀しています。
彼らの遺族は、合祀を拒否しているのに、靖国神社は「天皇の意志」によって行われたので、いったん合祀されたものは、「A級戦犯」であろうと旧植民地出身者であろうと、誰であろうと、遺族が望んでも決して取り下げないのです。
靖国神社が尊重するのは「天皇の意志」のみなのです。

靖国神社への「A級戦犯」合祀が、なぜ批判の対象となるかというと、「A級戦犯」を「顕彰」することは、彼らが指導した戦争は侵略戦争ではなく正しい戦争として正当化することにつながるからです。
しかも、戦後も国民の代表である首相が公然と繰り返し参拝し、国家との結びつきがあるということはなおさら、過去の侵略戦争を反省していない、ということになります。
(日本は侵略戦争をしてその最高司令官だった昭和天皇や岸信介などのA級戦犯その他のBC戦犯を裁いてこなかったし、先日、 自民党の森岡正宏という厚生労働政務官を務めている代議士が、「極東国際軍事裁判は、一方的な裁判だ。日本国内ではその人たち<A級戦犯>はもう罪人ではない」などと言っていました。
ドイツやイタリアでは、首相<大統領>が、ヒトラーやムッソリーニを追悼することはけっしてしないのです。それは、かつての大殺戮や戦争を誤りと認め二度とくり返さないという反省の立場に立っているからです)
国に捧げられた命を尊しとする精神は他国にもあるでしょうし、そこでは記念碑を造り、道行く人は帽を取って敬虔に誠を捧げるでしょう。
しかし、日本の靖国神社のように、国家体制に殉じた霊に最高の意義を与え、祭神と讃える精神は我が日本をおいて外にはありません。

中国政府が、批判を開始したのは、新国家主義を打ち出した中曽根首相が靖国公式参拝をした時であって、「A級戦犯」が公になった時でありませんでした。
中国政府の批判は、「A級戦犯」が合祀されていることが明らかになっている靖国神社に、国民の代表である首相が公然と参拝するという現在の政治行為に向けられている、というべきでしょう。

東京裁判の重大な問題は、そこで裁かれたものよりも、むしろそこで裁かれなかったものの方にあります。
「勝者の裁き」であるがゆえに、アメリカ自身が犯した重大な戦争犯罪がもちろんのこと、最高司令官であった昭和天皇が不起訴になったこと、ソ連・中国・オーストラリアなどの追訴論をアメリカが押さえ込んだこと、731部隊のような日本軍の戦争犯罪が裁かれなかったこと、日本の植民地支配から解放されたばかりの朝鮮は戦勝国と見なされず、「勝者の裁き」に参加することもできなかった、
米英仏蘭など植民地宗主国であった戦勝国に、日本の植民地支配責任を裁く意図も能力もなかった、ことなどです。

首相による靖国神社参拝は、日本国憲法の政教分離規定に反することで、裁判でも「違憲」とした確定判決が複数存在するのに、「合憲」とした確定判決は一つもありません。
そこで、靖国神社から宗教法人格を外して純粋は特殊法人として、宗教を問わずに国民全体が慰霊できるようにする、という試みがありますが、これも目的が「追悼」にあるのではなく「顕彰」にあることには変わりがないので問題です。
明治政府は仏教徒やキリスト教徒などの宗教を問わず全国民を戦争に動員するために、靖国神社は無宗教であると説いていました。
靖国神社参拝は、国家の儀式であって、宗教ではないから、帝国臣民として参拝しなければいけないとして、仏教徒にもキリスト教徒にも靖国神社参拝をさせて、国家のために生きて国家のために死ぬことを誓わせました。
その結果、仏教徒もキリスト教徒も、日本の戦争に積極的に協力していくようになったのです。
つまり、靖国神社は、非宗教を装うことで、他のすべての宗教を天皇制国家の「祭祀」である「国家神道」に従属させていたのです。
靖国神社は、国民を戦争に動員するイデオロギー装置にほかならなかったのです。

また靖国問題を「日本の文化」の問題として扱うのも間違っています。
「日本文化は死者を赦す文化」などと言って、A級戦犯を赦し、侵略と植民地支配の過去を水に流すべきではありません。
戦争の死者との「共生感」、「死者の魂と生者と魂との行き交い」などと言って靖国神社を美化するのは間違っています。
日本の中世・近世には、仏教の「怨親平等」思想の影響で敵味方双方の慰霊を行う方式が存在しました。
事実は、日本には死者の遇し方の一貫した伝統などは存在しないのです。
靖国神社は、天皇・国家に盲目的に従った戦死者のみを祀っているのであり、天皇・国家に敵対した日本人の戦死者は排除しています。
靖国神社の「祭神」は、単なる「戦争の死者」ではありません。
靖国神社は、「日本の文化」を超えたところで、日本国家の政治的意志によって選ばれた特殊な戦死者を祀り、かつての日本の戦争と植民地支配がすべて正しかったという歴史観に立っている場所なのです。

靖国神社の代わりに無宗教の「国立戦没者追悼施設」を作るという案がありますが、この施設では過去のすべての戦争に関わった死者、日本人も非日本人も、軍関係者も一般民間人も追悼対象に含まれる点で、靖国神社と異なるでしょう。
だがそれにもかかわらず、「第二の靖国」とならざるを得ないです。
なぜなら、依然として、過去の侵略戦争と植民地支配に対する一片の反省も刻まれていないし、過去の日本の戦争に対する歴史認識が意図的に曖昧にされているからです。
また、「戦後」の武力行使については、自衛隊の戦闘行為はつねに、不正な敵への正しい武力行使として、日本の死没者だけを追悼対象にするのであって、外国人の死没者は含まれないのです。
ここでも「靖国の論理」が復活しています。

中国でも、抗日戦争紀年館はいくらでもありますが、侵略戦争よりも自衛戦争を記念する方が、「祖国のために死んだ」兵士を讃えようというベクトルは強まるでしょう。

軍事力をもち、戦争や武力行使を行う可能性のある国家は、必ず戦没者を顕彰する儀礼装置をもち、それによって戦死の悲哀を名誉に換え、国民を新たな戦争や武力行使に動員していきます。
「国立戦没者追悼施設」が、「第二の靖国」とならないためには、国家が戦争責任をきちんと果たし、憲法9条を現実化して、実質的に軍事力を廃棄して、非戦・平和主義を確立していかなければなりません。

以上のことが書いてありました。
この本にはとても共感しました。
かつて石橋湛山(いしばしたんざん)、幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三などは、異端者と見られながらも、反戦を訴えていました。
当時、小国主義など戦争を回避する政策や反戦を訴えていた人々が、弾圧されて投獄されたり拷問を受けたり死刑になっていました。
国家や世間の狂気の暴走に流されることなく、日本の未来の平和を心から願い反戦行動していた人々が、不当な扱いを受けていたのです。
これらの先人たちの方がずっと、日本の未来のためを思って働いてくださったと思います。
本当は、こうした人々の方が、神様として祀られるにふさわしいと思います。
しかし靖国神社には、当時の国家体制に従って(従わされて)亡くなったと判断された者のみが、日本を先導した「英霊」として祀られています。
小泉首相は「戦犯者・戦没者」を「お国のため」に亡くなられたという言い方をしますが、これは変だと思います。
(まるで「お国のため」に良いことをして亡くなられたような言い方です)
「戦犯者・戦没者」は、大日本帝国の無知・無力によって犠牲になられた(お国によって殺された)方々です。
今、日本は北朝鮮に経済制裁をとか、北朝鮮は核実験をするとか、お互いに疑心暗鬼になって不安を募らせ、軍事力を増強する方向にありますが、アメリカが北朝鮮に向けて韓国に配備している核や大量破壊兵器を取り除けば、北朝鮮の核問題も解決に向かうように思います。
不安が不安を呼ぶことで、軍事力を増強して戦争を招かないようにしたいものです。
拉致問題も追及すべきですが、日本も、かつて北朝鮮を侵略して膨大な数の北朝鮮人を殺戮して、賠償金・補償金支払ったりして謝罪していません。おまけに朝鮮戦争では日本は米国を支援して儲けているわけです。日本はそれを棚に上げるべきではありません。
軍事力を即座に完全に廃棄することは、今の段階では難しいかもしれませんが、世界各国で軍事力に頼る解決方法をやめて、公正な見方で対話をして解決し、軍事力を廃棄する努力をすべきだと思います。
日本は過去の戦争を反省して小国主義的な道を歩むべきです。二度と戦争をしないことで、日本の誇りを取り戻すことができるし、天国にいる戦犯者や戦没者たちも心安らぐことができるでしょう。
小泉首相のように、再び同じ過ちを繰り返すために(米国と共に戦争できるように過去と似たような国家主義を復権させ国民に愛国心を教えようと)戦犯者・戦没者たちを「英霊」として感謝し崇めるという態度で弔うと、天国におられる戦犯者・戦没者も心安らげないと思います。

オンライン書店の「靖国問題」のページ(おすすめの本です)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480062327/qid=1118410504/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-9373579-6461124

【映画情報】
ドキュメンタリー映画『Little Birdsーイラク戦火の家族たち』
私たちは、イラクで現時に起こっていることを遠い世界のことと思ってはいないでしょうか?
イラク戦争を支持し、自衛隊派遣を決めた日本は、戦争の当事者でないと言い切れるでしょうか?
私たちには、今この現実を見つめる必要があるのではないでしょうか?
戦火のイラク市民に何が起こったのか。
今も続く戦火の中で、イラクの人々はどう生きているのか。
取材は2003年3月に始まりました。
戦火に傷ついた様々な家族を描きながら、戦争の「意味」を、日本と世界に問いかけます。
http://www.littlebirds.net/index.html

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【イラン関連のイベントや映画情報】
http://www.moji.gr.jp/iran/
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【難民を排除しないで】
イラン人ジャマルさんを支援する会
クルド人難民二家族を支援する会
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【メールマガジン】
「イラン映画を知ろう」(イラン映画の情報が得られます)
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【反戦デモ・シンポジウムのお知らせ】
WORLD PEACE NOW もう戦争はいらない
http://www.worldpeacenow.jp/
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【市民運動や社会運動に関する様々な情報】
http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-June/thread.html
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2005年6月5日(日)「日本に誇りを持つためには」

 日本が侵略戦争をしてその最高司令官だった昭和天皇や岸信介などのA級戦犯その他のBC戦犯を裁いてこなかったこと、首相が靖国神社参拝して戦犯や特攻隊などを崇めること、性の商品化やいじめが多いこと、人と人とのつながりが希薄なこと、平和のためのアクションやデモや人権団体に参加する日本人が少ないこと(政治・社会に関心が薄くて自分の事だけをやっている人間の方が、仕事がはかどって儲かっていたりする)、自分たちの過ちの責任をうやむやにしようとする組織の体質、多くの人々(特に若者)が政治・社会の問題にあまり関心を持っていないこと、など日本の問題が一本の糸で繋がっているように思える。
 日本が抱える問題の根底には、正義感(責任感と言っても良いが)の欠如があると思う。日本で正義という言葉を出すと人々から、失笑されたり、バカにされたりする。政府は正義よりも米国にへつらう事を大事にして、それを支持する人も多い。大部分の人が正義を信じていない、という感じだ。
 天皇や戦犯が裁かれなかったということで、中枢から正義の意味がなし崩しになって、社会全体に正義への不信感が蔓延してしまい、正義感が麻痺してしまったのではないだろうか。
 安保闘争を繰り広げても、政府が変わらなかったためや内ゲバが起きたため、世の中を変えることに失望してしまったのだろうか。
 こうした日本の問題を解決するには、まず天皇や戦犯の責任などから一つ一つ問うて正していくべきだ。正義(責任)に目醒めて、政治・社会に興味を持って何らかの形(過激ではない方法)で変えていこうとしないと、人々は日本に真の誇りを持つことはできないだろう。


2005年6月4日(土)「日本の安保理常任理事国入りに反対」

 去年、パウエル元国務長官や前アメリカ国務副長官アーミテージが、日本が安保理でその役割を十分に果たすことのできる一員になるには、日本憲法第9条を修正する必要がある、と言っていた。
 だから小泉首相・自民党は、憲法改正や教育基本法改正して、アメリカと共に戦争できるようにしたいのだろう。
 アメリカは日本の安保理常任理事国入りを支持しているが、それは日本がアメリカの子分として国際紛争にますます介入することを望んでいるからだ。
 日本が安保理常任理事国入りをしても、アメリカのお先棒かつぎとしてますます奔走するだけだろう。
 日本の常任理事国入りは、アメリカに付き従って世界的規模の軍事的役割を果たすことと結びついているので、私は反対だ。
 いつの時代にも、国家は「平和のために」とか「愛国心」などという美しい言葉で、国民を操ってきた。
 過去のアジア太平洋戦争でも「自存自衛」のためなどと言って、国民を戦争に動員し、世界で数千万という人々が犠牲になった。
 戦争は政策だ、とか言う人がいるが、殺し合いを政策の選択肢に入れて欲しくない。
 新聞によれば、憲法9条改正を支持している人が約半数いるそうだ。
 どうして日本が右傾化しているのかというと、過去の侵略戦争を根本のところから反省せず大国主義的な意識で政治を行っているからだと思う。
 右派の思想の本質は、大国意識や優越意識を持って世界に挑むという帝国への欲望だ。日本はその欲望を今も持ち続けて大国意識で政治を行っている。
 謙虚にならなくては、また過ちを犯すだろう。
 日本は、小国意識で政治を行うべきだ。
 日本は、自ら小国であることを自覚し、他国からもそのように認識されることを前提に、武力以外の方法で国の安全を保障し、道徳と学問と科学と芸術の国になれば良いと思う。
 それが日本独自の道であると思うし、日本の良さやアイデンティティを取り戻す方法だと思う。


2005年5月29日(日)「『小国主義』田中彰・著(岩波新書)」

メールマガジン

私は最近、「小国主義」田中彰・著(岩波新書)を興味深く読みました。
「日本国憲法は小国主義者の植木枝盛(うえきえもり)らの草案をもとにしてGHQが作ったので、日本国憲法には日本人の小国主義の思想が生きているのだ。日本国憲法の中に結実した日本の歴史的小国主義と憲法9条にかかわる国際平和主義の理念は、あくまで堅持すべきだ。それが多くの先人たちの努力を受け継ぐことであり、過去の戦争の膨大な数の犠牲者に対する日本人としての債務である」という意味のことが書いてありました。
小国主義とは、自ら小国であることを自覚し、他国からもそのように認識されることを前提に、武力以外の方法で国の安全を保障しようとするものです。
植木枝盛は、自由・平等を認め、平和を保ち軍備の縮小・廃止を指向する国の形を考えていたのです。
こうした精神が、本来の日本人のあり方だったのだと思います(少数派だったのでしょうけど)。
日本が、憲法9条などを改正しようとすることは、こうした先人たちを大事にしない、ということでもあります。
日本人の自由・平等・平和の精神は守ってもらいたいですね。それが本当の愛国心だと思います。

この本は、小国論の立場から、植木枝盛・中江兆民の主張、三浦銕(てつ)太郎・石橋湛山などの小国主義者たちの思想を辿りながら、軍事大国路線を突き進み敗戦によって破綻した近代日本の歩みをどう捉えなおすべきか、日本近代史の全体像を描きなおしています。

近代日本では、大国主義(大日本主義)と小国主義(小日本主義)の思想がありました。
大国主義は、軍事力と保護政策による領土拡大と征服を優先して国家の利益と国民の幸福を得るものです。
日本は大国主義を選んで、中国や朝鮮半島などのアジアへ侵略・支配へと突き進みました。
石橋湛山など小国主義の一つとして小日本主義を唱える人々は、領土の拡張に反対し、大日本主義がもつ危険性を指摘し、日本が確保した満州や朝鮮などの利権を棄てて、必要な時以外は極力軍事力に頼ることなく、国内の政治の改善、個人の利益と活動力との増進によって、国民利益を得るように主張していました。
もしも日本が、小日本主義を選んでいたら、太平洋戦争での敗戦はなかっただろうし、中国や朝鮮半島などのアジアへの侵略・戦争の罪を背負うこともなかったと思います。

よく人々は、満州を占領した理由として、当時の日本は大恐慌で貧しかったため、鉄や石炭などの資源や市場を獲得したり、小作農民の不満を満蒙の広大な土地への幻想をあたえることで国内の対立を緩和する必要があったとか、最大の仮想敵国であるソ連が満州、中国へと南下してきて日本を植民地にする恐れがあったため日本に有利な戦略体制を固める必要があったからだ、「自存自衛」のためだったと言います。
しかし「自存自衛」のために行った中国や朝鮮半島などへの侵略・戦争は、莫大な数の人々が殺されただけでなく、当時の日本国家財政にも悪影響を及ぼしたし、太平洋戦争にまで発展し日本は焦土と化し、今もなお中国や朝鮮半島などの人々が反日感情を持っていて、子孫代々と負の遺産が引き継がれています。

石橋湛山は、「日本は植民地を保持しなければ無意味な戦争を防止できるし、軍備費も削減でき、国家財政に好影響を与える。日本は植民地・勢力範囲を捨てるべきだ。欧米列強も領土を持つべきでない。日本は欧米列強に領土を解放させるのが賢明な策だ。海外領土の解放には道徳の力が必要だ。積極的に世界の弱小国全体を日本の道徳的支持者とすれば沢山の利益がある。それでも欧米列強が横暴で東洋の諸民族や世界の弱小市民を虐げるのであれば、虐げられる国の盟主となって、自由解放の世界的盟主として東洋ないし世界の支持を得て闘えば良い。それが日本が救われる唯一の道だ」と主張していました。
もしもソ連など諸外国が中国の政争に干渉し、日本を侵略する意図がある場合に、軍備を整えれば良いという意味のことを主張していました。
ソ連など諸外国が中国を侵略して日本を占領しようとしていないうちに、日本が中国や朝鮮半島などを侵略したのが間違いだったのですね。
ソ連など諸外国が日本を狙って中国を侵略した時に、日本が中国を応援してソ連など諸外国と戦えば良かったのだと思います。その方が中国からも感謝されたと思います。

石橋湛山は先見の明があり、本当に日本の未来について考えてくださった政治家・言論人だったと思います。
日本の平和と未来のために幸徳秋水など小日本主義や反戦を訴えていた多くの人々が、弾圧されて投獄され拷問を受けたり死刑になって不当な扱いを受けました。
一方で戦争に貢献した人ほど神様として祀られ国民代表としての首相が靖国参拝して尊敬している、というのはおかしいですね。
やっぱり過去の戦争を反省していないと思います。
日本が中国や朝鮮半島などへの侵略について反省する、という事は、近代日本が大国主義を選択したことは失敗だったと認めることではないかと思います。
日本は小国なのに、大国意識を持つから過ちを犯してしまうのです。
今でも小泉首相・自民党などが、日本に大国意識を持って政治を行っています。
大東亜戦争はアジアを解放した、国家のために死ぬのは偉いなどと言って、日本の恥部を正当化しようとします。
彼らはまったく厚顔無恥です。厚顔無恥になることと日本に誇りを持つこととは違います。
大国主義は失敗だったのだから、今後の日本は謙虚になって、小国主義的な道を歩むべきでしょう。

お薦めの本です。(わかりやすく書いてあります)
オンライン書店の「小国主義」のページ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004306094/qid=1117331002/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/249-9373579-6461124
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【映画情報】
ドキュメンタリー映画『Little Birdsーイラク戦火の家族たち』
私たちは、イラクで現時に起こっていることを遠い世界のことと思ってはいないでしょうか?
イラク戦争を支持し、自衛隊派遣を決めた日本は、戦争の当事者でないと言い切れるでしょうか?
私たちには、今この現実を見つめる必要があるのではないでしょうか?
戦火のイラク市民に何が起こったのか。
今も続く戦火の中で、イラクの人々はどう生きているのか。
取材は2003年3月に始まりました。
戦火に傷ついた様々な家族を描きながら、戦争の「意味」を、日本と世界に問いかけます。
http://www.littlebirds.net/index.html


2005年5月22日(日)「閉塞社会で起きていること」

 日本に生まれ育ってこれまでずっと不可思議に感じていることは、学校でも実社会でも理由もなく人を苛めたり袋叩きにしたり中傷をしたりする人々が潜在的にかなりいる、ということだ。
 前にボランティア精神でイラクで活動されていた高遠さんら日本人が人質になった時も、多くの日本人がバッシングした。普通の人々が、税金がもったいないなどと彼らを中傷していた。彼らに使われる税金については、一人あたりごく僅かであるのに。
 自分はそれほど税金を支払っていないのに、国が無駄使いをしている莫大な税金には何も言わないのに、高遠さんらには激しく悪口を言っていた。

 最近ニュースになっている尼崎JR脱線事故でも、犠牲者の遺族宅に嫌がらせの電話や電報などが相次いでいるというニュースが神戸新聞に載っていた。JR西日本に対する言動を非難したり、無言電話をしたり、遺族側は「これ以上エスカレートするのが怖い」と地元警察に通報し、兵庫県警は、悪質ないたずらとみて警戒を強めている、ということだ。
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/00003428sg200506161000.shtml

 高遠さんらをバッシングした人々も、政治的スタンスからというよりも、誰かを叩きたい苛めたい、というネガティブな欲求からだろう。
 日本の小説にもたびたび描かれるように、この閉塞した社会で、日本人の多くは自分に自信がなく、コミュニケーション不全を抱え、程度の差はあれ寂しさと鬱屈した感情を溜め込んでいるのだろう。
 最近の新聞に、生活用品メーカー「ユニ・リーバ」が、世界10カ国の女性計3200人にアンケートしたところ、日本では「自分の容姿は他の人よりも劣っている」と考える人が4人に1人と、他国に比べ際立って多かった、と書いてあった。日本は全体的に、自分に対する評価が低く、外見的魅力に満足している人は、各国平均の37%に対し14%で、大きく下回った、という。
 こうしたことも、自分の存在に自信が持てないことの表れではないだろうか。
 日本人は、自分に自信がないから、理由は何でもいいからとにかく人を苛めて袋叩きにして日頃のモヤモヤをスッキリさせて、自分はこいつらよりも正しい優越していると感じたいのだろう。こうした日本人が、水面下にかなりいるように思う。
 少年たちによるホームレス襲撃事件などもたびたびニュースになっているが、これもこうした理由からではないだろうか。
 誰もが何か変だと感じていて、その鬱屈したエネルギーを権力に向けて世の中を変えようと努力するわけでもなく、弱者をいじめることによって晴らそうとする性根があるように思う。

 日本では世の中を変えようとするデモやイベントやアムネスティなどの人権団体に参加する人が他国に較べて極めて少ないことも、いじめや売春や痴漢が多いこともこうしたことと関係しているように思う。
 そして何より日本の閉塞を示すのは自殺率の高さだ。先進国中では随一の高さだ。とくにバブル崩壊後、リストラの横行・格差拡大にともなって中高年の自殺が急増している。でも格差が拡大しても、ヨーロッパなどとは違って貧困層がもっと福祉の充実を求めて声をあげるとか、社民党や左派の支持が増えて政権交代とかいうようなことはなく、自分を責めるかのように自殺していく人が増える。ここに、日本社会の閉塞が現れているような気がする。
 人質バッシング、いじめ、デモや人権団体に参加する人が少ないこと、自殺などが増えているのは、多数派やお上とは違う、流れにさからった自分の意見を持つ人に対して、人々に寛容さや優しさがないことも大きな理由の一つだ。実際、「周囲から浮かない」ように気を遣っている子供や若者が多いし、在日外国人の政治参加を感情的に拒む声も多い。
 そして「公」というものを、自分が主人公として発言し参加し改良していく場ではなく、自分より上にあって自分の意思ではどうにもならず、それに対して自分が奉仕するもの、と考える間違った「公」意識を植え付けられているためだろう。

 日本では自殺が多かったり自傷行為をしたり引きこもりや自分に自信が持てない人が多いなど、閉塞感や不満が自分に向かい自分の首を絞めてしまう場合が多い。これも不満が体制や権力に向かわないように、間違った何かを植え付けられているからだと思う。
 残念なのは、多くの日本人が、不安やモヤモヤ感をなくしたいゆえに、愛国心を持ちたいゆえに、日本の過ちから目をそらした(実像を見ようとしない)右派(小泉首相・自民党)の主張や政策に盲目的に寄りかかってしまおうとしているところだ。その方が考えなくて良いから簡単なのだろう。でもそれは、欺瞞に同調してさらに欺瞞を重ねるようなもので、解決にはならない。過去の戦争やその後の教育や拝金主義によって、日本の自然や人間の美しい部分が壊されているのだと思う。私たち日本人は、現実と向き合って、日本の自然や人の美しさを取り戻す努力をしていくべきだ。それが本当の愛国心だと思う

 閉塞した社会の中で、鬱屈したエネルギーを溜め込むのではなく、自分でサイトを開いて意見や本音を書いたり、芸術表現したり、世の中を変えるための活動に参加したりしたら良いのではないかと思う。


2005年5月20日(金)「戦犯者・戦没者は『お国のために』亡くなったのではない」

 よく小泉首相が、戦犯たちを「お国のため」に亡くなったという言い方をするが、この言い方は変だ。まるで「お国のために」良いことをして亡くなったかのような言い方ではないか。これから憲法改正して、日本が行う(かもしれない)戦争にむけて、国民に「国のために命を捨てる」ことは「名誉なこと」という意識をつくるために、「お国のため」という言い方をしているのだろう。
 私たちはそれに騙されてはいけない。
 過去の戦争が、日本のためになっているとは到底思えない。日本が中国や朝鮮半島などを侵略したために、アメリカからハルノートを突きつけられ、日米戦争が起きた。あの頃、アジアを植民地にしていた欧米列強の罪も大きいが、日本が行った侵略や戦争は、今もなお負の遺産となって、私たちを苦しめている。
(北朝鮮ともうまくいかないし、中国や韓国ともぎくしゃくしている。米国に追従していなければいけないし、そのためイラクなど中東地域からは不信感を持たれている)
 近代日本では、大日本主義と小日本主義の思想があった。
 大日本主義は、軍事力と保護政策による領土拡大と征服を優先して国家の利益と国民の幸福を得るものだ。日本は欧米列強の真似をして大日本主義を選び、中国や朝鮮半島などのアジアへ侵略・支配へと突き進んだ。
 一方で、石橋湛山など小日本主義を唱える人々は、領土の拡張に反対し、大日本主義がもつ危険性を指摘し、日本が確保した満州や朝鮮などの利権を棄てて、必要な時以外は極力軍事力に頼ることなく、国内の政治の改善、個人の利益と活動力との増進によって、国民利益を得るように主張していた。
 もしも日本が、小日本主義を選んでいたら、太平洋戦争での敗戦はなかっただろうし、中国や朝鮮半島などのアジアへの侵略・戦争の罪を背負うこともなかった。
 また、幸徳秋水・堺利彦・内村鑑三などは、異端者と見られながらも、反戦を訴えていた。
 これらの先人たちの方がずっと、日本の未来のためを思って働いてくださった。
 「お国のために」という言葉は、この先人たちにふさわしい。
 当時、小日本主義や反戦を訴えていた人々が、弾圧されて投獄されたり拷問を受けたり死刑になっていた。
 国家や世間の狂気の暴走に流されることなく、日本の未来の平和を心から願い行動していた人々が、不当な扱いを受けていたのだ。
 本当は、こうした人々の方が、神様として祀られるにふさわしい。
 靖国神社には、当時の国家体制に従って(従わされて)亡くなったと判断された者のみが「英霊」として祀られている。
 つまり、死者を差別し選別して祀ってある。
 たとえ中国や韓国など近隣国が沈黙していたとしても、首相が靖国神社に行って、戦犯たちを日本を先導した模範として弔うことには反対だ。
 戦争の貢献度によって、国家が人間の魂に優劣をつけて差別して、公人が戦犯者に尊敬の念を表すのは絶対におかしい。
 戦犯者・戦没者は、大日本帝国の無知・無力によって犠牲になられた(殺された)方々であって、「お国のため」に亡くなられたのではない。
 小泉首相の靖国公式参拝などこの政府のやり方を認めてしまう事は、いずれ私たちの魂の価値も、国家によって決められることを許してしまうことだ。
 国家が、人間の魂の領域に介入することは、人権にかかわる問題だ。
 個人が靖国参拝することと、政治家など公人が靖国参拝することとは、このように意味がまったく違う。

 小泉首相が本当に戦死者を追悼したいなら、プライベートで行うか、千鳥ヶ淵戦没者墓苑や国立沖縄戦没者墓苑などに行って参拝すれば良いと思う。
 小泉首相の「先人の死者の霊を祈りたい」という言葉に騙されないようにしたいものだ。
 戦犯たちを日本を先導した模範として弔うのではなくて、大日本帝国の無知・無力によって犠牲になられた方々として追悼したいものだ。
 過去の戦争を反省して、小日本主義的な道を歩み、二度と戦争をしないことで私たちは日本に誇りを持つことができるし、戦犯者や戦没者たちも天国で心安らぐことができるだろう。


2005年5月17日(火)「『対岸の彼女』角田光代・著(文藝春秋)」

メールマガジンより

今年、直木賞をとった小説です。
これは、友達とは何なのか、コミュニケーションとは何なのか、といった問題がテーマになっています。
主人公の小夜子は3才ぐらいの子供を持つ主婦です。
小夜子は子供を連れて公園に行ってみるのですが、子供を連れている母親たちと仲良く話ができるわけでもなく、自分の子供もなかなか子供のグループに入れないので、寂しく感じています。
公園を転々とするのですが、それでも母親同士、子供同士うまくコミュニケーションができないのです。
小夜子は、現実と向き合おう、世の中とつながりたい、と働くことを決意します。
小さな会社の社長である独身女性・葵に面接で気に入られて、そこで働き始めます。
仕事は掃除です。
同時進行で葵の過去も語られます。
葵は、高校時代にいじめられて転校し、新しい学校でも信頼できるクラスメートに出会うことができませんでした。
でも一人だけ友達ができたのです。
でもその友達もいじめを受けて、二人は学校から逃避して、自殺未遂をする事件を起こすのです。
葵のそういった過去と、小夜子の現実が交錯して話が進行します。
小夜子は、夫や姑との仲がぎくしゃくしたり、子供の母親同士の付き合いや会社の人間関係に違和感を感じたりしています。
葵の会社で働く人々は、陰で葵の悪口を言っています。
小夜子は、つながりを求めて働き始めたのに、会社の人々は葵の悪口を言った後、みんな辞めてしまうのです。
小夜子も複雑な気持ちがあって辞めてしまうのです。
一人ぼっちになった葵。
葵は会社を縮小して、引っ越します。
小夜子は、葵のことが気がかりで、葵を探して会うのです。
そして、また私を雇ってください、葵のところじゃなきゃだめなんです、と懇願し葵を助けるのです。

このような話でした。
要するに女の友情小説です。
私は小夜子にはあまり共感できませんでした。
人生において何かやりたい事があるわけでもなく、なんとなく結婚してなんとなく子供を産んで育てている、自分のやっていることに自信が持てない女性なのです。
小夜子は掃除の仕事が面白くなってくるのですが、それが掃除でなくてはいけないわけではない。他の仕事でも良いのだろうと思います。
最後の方に、「なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げこんでドアを閉めるためじゃない、また会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ」といかにも読者に希望を与えるような言葉が書いてありました。
それは良い言葉だと思うのですが、どうして小夜子は最後に、葵のところじゃなきゃダメなんです、と懇願してまで、掃除の仕事をしたがるのか、よくわかりませんでした。
葵を助けたい気持ちはわかるのですが、小夜子にとって人生の意味とは何なのだろう、と不思議に思いました。
人生の意味とは、自分のやりたいことや仕事と結びついているように思います。
小夜子には、友達がいなくても一人ぼっちでも自分はこの道を行く、という確固たる生き方があるようには感じられませんでした。
そういったものがあやふやな人の友情を、どこまで信じて良いものか、私自身よくわかりません。
人は、人生でやりたいことがあるから、生きる場所や理解してくれる人々と出会い関わることになるのではないでしょうか。

小説の書き方は手馴れていて、読者に希望を与えるようなことが書いてあるし、世の中には小夜子のような自信のない人が多いので、共感を呼んでいるのだと思います。
皆さんはどう感じましたか。

いろいろ書きましたが、コミュニケーションがテーマであったので、とても興味深く読みました。
日本の大きな問題は、コミュニケーション不全だと思います。
同性の友情もなかなか築けないですが、一生続く異性の愛を得るのも難しいのではないでしょうか。
小夜子はどうして結婚をしたのだろうか、とこの小説を読みながら不思議に思いました。
日本人の既婚者の性交渉頻度はとても少なく、海外の大手コンドームメーカーの調査によると、世界平均は年間103回なのに対し、日本は46回と半分以下だそうです。
一方で、女性専用車両ができるぐらいに痴漢が多く、普通の人が売春などしていて、性産業が発達してとても繁盛しています。
小学校では性教育をしたりしていますが、その前に、人と人とが向き合ってお互いのことを理解するための話をする教育をした方が良いのではないかと思います。
学校では群れている人が多いのですが、相手を理解しようと話をする人はとても少ないように思います。
だから理由もなく苛めたり、表面的なことで人間の価値を決めたり、レッテルを張ったりして差別する社会になってしまうのではないでしょうか。

テレビでは連日、北朝鮮が核実験をするかもしれない、というニュースをやっています。
北朝鮮が核実験をすると、日本にも死の灰が降ってきて放射能汚染するそうです。
私はこれも、世界の国々のコミュニケーション不全が招いている出来事だと思います。
金日成・金正日父子政権にも追及すべき問題はありますが、6者協議で米国に有利な話し合いをするのではなく、公正な話し合いをすれば良いのではないでしょうか。
そうすれば、北朝鮮も6者協議に復帰するのではないでしょうか。
2003年に北朝鮮旅行に行った時、北朝鮮の人々は、米国が北朝鮮に向けて韓国に核兵器や大量破壊兵器を配置したり軍事演習をして脅かすから、こちらも軍事力を強化する必要があるのだと言っていました。
北朝鮮のみならず、米国こそ韓国に配置している核や大量破壊兵器を取り除いて、朝鮮半島での軍事的緊張を緩和するべきです。
米国が、核や大量破壊兵器で北朝鮮を脅している限り、北朝鮮の核問題は解決されないだろうと思います。
現地のガイドさんや小学校で話をした子供たちや店の店員など、出会った北朝鮮の人々はみんな「政治的にはいろいろ問題があるけど、本当は日本と仲良くしたい」と口々に言っていました。
みんなと仲良くしたい、という良心は国境を越えて誰にでもあることでしょう。
そうした良心を破壊しない、教育や政治や外交をしてもらいたいものです。

また長くなってしまいました。
ここまで読んで下さった方々、どうもありがとうございます。

松直伽
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ペルシャ音楽のライブ
「CARAVAN」
5月21日(土)
オープン:18時
スタート:18時45分
料金:3000円
場所:ミュージアム東京
東京都杉並区荻窪5−30−6
福村荻窪ビル2F
090-4956-7996
http://www.museumtokyo.com/new/museum/
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【映画情報】
ドキュメンタリー映画『Little Birds-イラク戦火の家族たち』
私たちは、イラクで現時に起こっていることを遠い世界のことと思ってはいないでしょうか?
イラク戦争を支持し、自衛隊派遣を決めた日本は、戦争の当事者でないと言い切れるでしょうか?
私たちには、今この現実を見つめる必要があるのではないでしょうか?
戦火のイラク市民に何が起こったのか。
今も続く戦火の中で、イラクの人々はどう生きているのか。
取材は2003年3月に始まりました。
戦火に傷ついた様々な家族を描きながら、戦争の「意味」を、日本と世界に問いかけます。
http://www.littlebirds.net/index.html

キューバ映画『永遠のハバナ』
http://www.action-inc.co.jp/suitehabana/
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【イラン関連のイベントや映画情報】
http://www.moji.gr.jp/iran/
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【難民を排除しないで】
イラン人ジャマルさんを支援する会
クルド人難民二家族を支援する会
http://www.bekkoame.ne.jp/~pyonpyon/fjc/j.htm
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【メールマガジン】
「イラン映画を知ろう」(イラン映画の情報が得られます)
http://excite.freeml.com/cats/entertainment/movie/movie/docudrama-freeml.html
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【反戦デモ・シンポジウムのお知らせ】
WORLD PEACE NOW もう戦争はいらない
http://www.worldpeacenow.jp/
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【市民運動や社会運動に関する様々な情報】
http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-May/thread.html
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2005年5月14日「北朝鮮の人々が訴えていたこと」

 2003年に北朝鮮旅行に行った時、現地のガイドさんや小学校で話をした子供たちや店の店員など、出会った朝鮮の人々はみんな「政治的にはいろいろ問題があるけど、本当は日本と仲良くしたい」と口々に言っていた。
 金日成・金正日父子体制は良くないと思うが、だからといって経済制裁や戦争を起こすと、こうした普通の人々が犠牲になるだけだろう。
 6者協議で米国に有利な話し合いをするのではなく、公正な話し合いをしてもらいたいものだ。
 そうすれば、北朝鮮も6者協議に復帰するのではないだろうか。
 北朝鮮の人々は、米国が北朝鮮に向けて韓国に核兵器を配置したり軍事演習をして脅かすから、こちらも軍事力を強化する必要があるのだと言っていた。北朝鮮のみならず、核保有国を非難する米国こそ、朝鮮半島での軍事的緊張を緩和するべきだ。米国も、北朝鮮に向けて核兵器や大量破壊兵器を韓国の基地に配置しているのも大きな問題ではないか。米国が、核や大量破壊兵器で北朝鮮を脅している限り、北朝鮮の核問題は解決されないだろう。

「織物制作日記」

 やっぱり、織物に関することも、息抜きにこの日記に書くことにした。
 最近出来上がったのがこの服。
 はじめはひたすらカラフルな色合いの糸で織り(左の写真)、布を織り上げて羽織りに仕立てた後、カーキ色に染める。染めた後は右の写真のように、カラフルな色は少ししか残らず、全体的にカーキの渋い色合いとなる
 染めるとほとんどカーキ色になるとはいえ、糸の色や種類によって染まり方が違うので、様々な色糸やいろんな素材の糸を使うことにより、カーキ色に深みや複雑さが出てきて面白い色合いとなる。またしぼり染めをした後に、カーキ色の下から鮮明で複雑な色合いの柄が出てくるのも、こうした技法のためだ。画像をクリックしたら、詳細ページに飛びます。