2003年6月29日(日)「恐山/減少するイタコさん」

 用事のために岩手に行ったのだが、その帰りに青森県の恐山に行った。
 規模は小さいが、深山に広がる霊場だった。この日は小雨が降ったり止んだりで靄がかかっていて一層神秘的な雰囲気が漂っていた。山のあちこちにお地蔵様があり、静かで人気がないところでも、超然とした何者かに心を見られているような気持ちになった。
 かなり寒くて、半袖のシャツの上に長袖のジャケットが必要だった。
 イタコさんは年々減少しつつあり、引き継ぐ者がいないので廃れてしまうのではないかと懸念されているそうだ。かつては目に障害があったり盲目の女性たちが厳しい修行を経てイタコになったのだが、今では医療や福祉が進んでいるので、イタコになることを希望する女性が格段と減ってしまったのだ。






2003年6月22日(日)「病が文学に向かわせる?」

 朝日新聞に、島田雅彦の「病のシャーマンである言葉」というタイトルのエッセイで、「……誰よりも傷ついている者、悩みの深い者は飲みづらい薬や難解な言葉が必要なのである。だから、今後深く傷つき、思い悩む予定の者は健康なうちに劇薬としての言葉に慣れておかなければならない」と書いてあった。
 いろいろな作家の読者の掲示板を見ると、生きるのが面倒くさくて虚しい人や病んでいる人々が多いと思う。
 小説を書く人間も病んでいて、小説創作を必要としている書き手が多いようにも思う。
 私も文学を読むことや書くことを最も必要としたのは、心が不健康な時だった。
 人々が、文学を読む時、それは心の底から読みたいから、というよりも、賞を取って有名だから、売れているから、常識として知っておきたいから、インテリに見られたいから、という理由で読むのではないだろうか。
 文学は、やはり病んだ人々が必要とするものなのだろうか。
 だとしたら、不健康で文学を必要とするよりも、文学を読まなくても健康である方が良いだろう。
 健康な人間が、文学を必要とするのは、どんな時だろうか。
 健康な人が文学を読むのは、人々のリアルな生き様やドラマに興味があるからだ。
 人間への興味が、健康な人が文学に触れる動機だ。
 まあ、女の体に興味はあっても、人間に興味を持つ人はなかなかいないが。
 文学が多くの人々に読まれないのは、病んだ書き手が希望のないじめじめとした話を書いて自分の心を癒していたり、自分への無価値感から逃れるため自分の存在に意味を付与するために小説を書くというエゴイスティックな姿勢があるからではないだろうか。また読み手にも人間への好奇心や興味が薄れてしまっていて文学のリアルな文章表現につき合うのが面倒だという感じがあるせいだと思う。
 生きることの虚無感から小説を書き続けるよりは、まず心の根底にある虚無感をコントロールして、自分への無価値感や虚無感をなくしていく努力をすべきだ。これはどんな職業に就いていてもそうだ。
 生きる意味を求めなくても、自分の存在意義を得るためにあくせくしなくても、ただ自分が存在しているというだけで生きていることの価値が感じられることの方が大切だ。
 私は、小説を書くことに執着する病んだ書き手ではなく、小説を書かなくても安定した心で生きていける健全な書き手でありたい。

 織物は今、試作を繰り返しているところ。私の場合、新製品の糸や人があまり使わない糸を使ったりするので、その都度試作が必要になる。素敵な糸だと思っていても、実際に使ってみると扱いにくかったりして、その糸を生かす織り方を見つけるには、けっこう時間がかかったりする。しかも綴れ織り技法を取り入れて絵柄を織っていると普通の何倍もの時間がかかってしまう。これでは商売にならない。商品を陳列して、希望者にお売りするという感じになると思う。



「イラン映画『風の絨毯』カマル・ダブリズイ監督」


<あらすじ>
 飛騨高山で、四百年前に消失した伝説の祭屋台を現代に蘇らせようと、有志の人・中田は、その祭屋台を飾る見送り幕にペルシャ絨毯をかけようとしていた。
 江戸時代にシルクロードを渡ってきたペルシャ絨毯が祇園祭の屋台にかけられた史実をヒントにしたのだ。
 そのペルシャ絨毯のデザインを託されたのは、画家である永井絹江。
 夫・誠は、古美術商を兼ねたペルシャ絨毯輸入業をしている。
 絹江は、自分の一部が絨毯となって生き続けるだろう、とデザインに命を注ぐ。
 絹江とさくらは、絨毯が無事に完成することを祈る。
 やがて誠がそのデザインをもとにしたペルシャ絨毯を受け取るため、イランへ発とうとするが、その直前、絹江が交通事故で亡くなってしまう。
 悲しみのあまり笑顔を失い心を閉ざす娘のさくら。
 絹江がデザインした絨毯を完成させることが、悲しみを乗り越える方法だと信じて、誠はさくらを連れてイランに渡る。
 その絨毯は絹江の形見になるはずだった。
 しかし、絹江がデザインした絨毯は織られていなかった。
 絨毯仲売人のアクバルは、絨毯の工場に制作を注文したはずなのだが、工場長がすっかり忘れていたのだ。
 落胆するさくらと誠。
 そんな中で、さくらは、アクバルの甥っ子ルーズベと出会う。
 ルーズベは、さくらを馬車に乗せたり、一緒に食事をしたり、一緒に遊ぶ。
 ルーズベはさくらの幸せを願い、24間体制で絨毯を早く織り上げるようにアクバルを説得する。
 アクバルは、イランに見切りをつけて帰国しようとする誠とさくらを引き止めて、総力を挙げて絨毯製作に取りかかる。
 さくらは、ルーズベなどイランの子供たちとの交流で、少しづつ明るさを取り戻し、笑顔を見せるようになる。
 ついに絨毯は完成する。
 さくらとルーズベの思い、日本とイランの子供たちや大人たちの思いが織り込まれている絨毯が、飛騨高山に現れる。
 (了)

 全国上映映画館は下記のホームページへ
http://www.minipara.com/movies2003-2nd/kaze/index.shtml

<感想>
 良い映画だった。
 心を閉ざしていたさくらが、ルーズベを始めとするイラン人の子供たちと一緒に遊び楽しむことで笑顔を見せ、ルーズベがさくらの幸せを願い、絨毯が早く完成するように、みんなで糸を乾かしたりしているシーンは、とても感動的だった。
 一緒に遊んで楽しみ、お互いの幸せを願うこと、そのことが、言葉の通じない異文化の人間同士を近づけたのだ。
 アクバルも、いい加減なところがありながら人情深く、誠意を懸命に見せようとしたり、無邪気に歌ったり踊ったり、いかにもイラン人らしい人間味のあるキャラクターだった。
 イランの街並や家の中の様子やイラン人の国民性を知ることができる、見て損はしない映画だ。

------直伽の五段階評価------

芸術度<★★★★☆>
テーマ度<★★★★★>
ストーリー性がある度<★★★★☆>
映像が美しい度<★★★★★>
お勉強になる度<★★★★★>
元気アップ度<★★★★★>



2003年6月3日(水)「イラン映画『少女の髪どめ(原題:BARAN)』マジッド・マジディ監督」

 先日、赤坂の国際交流基金フォーラムで行われた「イラン文化週間」というイベントに行ってきた。講演、イラン映画、手工芸の展示などがありとても楽しかった。毎日、いろんなイラン映画をやっていて、どれも素晴らしかった。特に、「運動靴と赤い金魚」「カンダハール」「私はタラネ15才」「テヘラン悪ガキ日記」が、良かった。
「私はタラネ15才」(ラスール サドレアメリ監督)はまだ日本では上映していない映画だったのだが、とても感動した。15才の少女が仮結婚した相手の男性の子供を妊娠し、仮結婚が解消されて、様々な困難に直面する映画だ。男女の問題では、女性が不利になる厳しいイランの現実について考えさせられた。会場からも涙をすする音があちこちから聞こえていた。ぜひ今後も上映して欲しい映画だ。
でも、これらの映画は残念ながら一回の上映のみで終了してしまった。今、街で上映されているマジッド・マジディ監督の「少女の髪どめ」もとても素晴らしかった! 今日はその話。

【「少女の髪どめ」マジッド・マジディ監督】

<あらすじ>
 建築現場で買い出しやお茶くみの仕事をしている若者ラティフが主人公だ。親方のメマールは、イラン人だけではなくアフガン難民も雇っている。アフガン難民を無許可で雇うのは違法だが、メマールは「遠いところから働きに来て、安月給でイラン人よりよく働く」とアフガン人に同情的だ。
 ある日、アフガン難民労働者のナジャフが転落事故を起こして足を骨折する。翌日、ナジャフの友人ソルタンが14才ぐらいのアフガン人の少年を連れてくる。働けないナジャフが、代わりに息子のラーマトを寄越したのだ。ラティフはひ弱なラーマトを小馬鹿にしている。
 ラーマトは力仕事をするが、ある日大失態をする。メマールは、ラーマトとラティフの仕事を交換する。楽な仕事をラーマトに取られたラティフは不愉快だ。ラティフはラーマトに様々な嫌がらせをする。ラーマトが仕事をしている台所の食器や道具を壊したり、ラーマトとソルタンの出勤を待ち伏せて、上からペンキを浴びせたりする。
 ある日、ラティフは、ラーマトが女の子であるのを知ってしまう。家の家計を助けるために男の子のフリをして働いていたのだ。
 翌日からラティフの態度は一変する。ラーマトに恋をしたのだ。誰かがラーマトに文句をいえばラティフが走ってきてラーマトをかばう。
 ある日、移民調査官がやってきて、無許可で働くアフガン人労働者を探す。移民調査官はラーマトを見つけ捕まえようとするが、ラティフが割り込んで移民調査官と格闘し、ラーマトを逃がしてやる。
 だが、アフガン人労働者は全員解雇されてしまった。ラーマトはいなくなる。
 ラティフは、メマールに嘘を言い休暇の許可を得てラーマトを探しに行く。偶然ソルタンと出会い、ラーマトの新しい仕事場を教えてもらう。
 ラティフは、冷たい急流で大人の女たちに混じって石を運ぶ辛い仕事を黙々としているラーマトを目撃する。激しく流れる川の轟音は、ラーマトの母国のアフガニスタンの戦争や死や貧困を連想させる。ラーマトが急流に飲まれそうになると、助けたいと思わず身を乗り出してしまうラティフ。
 ラティフは仕事場の建設現場に戻り、またメマールに嘘をつき滞っていた1年分の給料をもらう。それをソルタンのところに持って行きお金を預け、ナジャフに渡して欲しいと頼む。翌日会う約束をするが、待ち合わせの場所に現れたのは、足を骨折したナジャフだった。
 ナジャフは、ソルタンは自分より困っていたからお金をソルタンにそっくりそのまま渡してしまった、と言う。そのお金でソルタンはアフガンに帰国した。愕然とするラティフ。
 翌日ラティフは、なけなしの金をはたいて松葉杖を買い、ナジャフの家を訪ねる。ナジャフは、アフガンにいる兄が殺されたことを知って泣いていた。それを陰で見ていたラティフは、松葉杖を戸口において黙って引き返す。
 川の冷たい急流で石を運んでいる痛々しいラーマトの姿を、陰から見守り涙を流すラティフ。
 翌朝、ナジャフが、建設現場のメマールを訪ねてきて、お金を貸して欲しいと懇願しているのをラティフは耳にする。
 ラティフはとうとう自分のIDカードをお金に換えて、再びナジャフを訪ねる。戸を開けたのは、ラーマト、本名はバランという娘だった。
 ラティフはメマールからお金を預かってきたと嘘をつき、ナジャフにお金を渡す。ナジャフは、これでバラン(ラーマト)と一緒にアフガンに帰国できる、と言う。ラティフは打ちのめされる。バランを辛い仕事から解放するために、お金を作り、差し出したのに、もう二度と彼女に会えなくなるのだ。
 それでも、翌日、ラティフは見送りに行かずにはいられない。バランは、荷物を運ぼうとして、籠の野菜を地面にこぼしてしまう。ラティフは駆け寄り、野菜を拾うのを手伝う。バランは、ラティフに向かって微笑む。だが次の瞬間、バランは、厳しい現実に戻るかのように、毅然とブルカを被る。バランを載せたトラックは、国境の向こう側へ去っていく。
 一人残されたラティフ。
 ラティフは微笑む。雨の降る地面に、バランの小さな足跡が残っていた。(了)

「少女の髪どめ」の公式ホームページ。
http://www.herald-arthouse.com/kamidome/index.html

<シネマレビュー>
 素晴らしい映画だった。
 日本では、セックスしたいから、一人は寂しいから、と女を追いかける男をよく見かける。男に限らず、誰もが“恋”や“愛”という言葉のもとに自分の欲望や夢を相手に押しつけてしまいがちだ。だが、この恋愛映画は人間同士の純粋な愛を描いているので本当に心が洗われる。ラティフは、ラーマト(バラン)と深いつき合いがなかったにもかかわらず、本物の愛を貫いた。
 それまでラティフはラーマトを待ち伏せてペンキを浴びせたりして嫌がらせをしていたのに、ラーマトが女の子だとわかった途端に、ラティフはお洒落をしてラーマトに会いたい一心で待ち伏せる。私は、このあまりの変化に戸惑ってしまった。きっとラティフは、ラーマトの境遇や一生懸命な姿に心を打たれたのだろう。と同時に今まで嫌がらせをしていた自分を恥じたのだろう。
 もし私がラティフだったら、ナジャフに渡すはずだった1年分の給料にあたるお金をソルタンが使ってしまった時点で、とても疲労してしまっただろう。
しかし、ラティフは違う。それでも、松葉杖を献上したり、自分のIDカードをお金に換えて、自分からであるとは一切悟らせずにナジャフにお金を差し出す。
 しかし結局、こうしたラティフのラーマトへの想いは実らなかった。早く別れが来ただけだった。
 それでも、ラティフは、ラーマトを助けずにはいられない。自分を忘れて、ラーマトが幸せになることを考えてしまうのだ。ついにラーマトまで失ってしまうラストシーンで、 彼が見せる笑みの表情は素晴らしい! 見返りを期待しない本物の愛だったのだ!
 イランでは、男女の愛は、万人への愛、神への愛に通じる、という。イラン人のメンタリティを感じさせる映画だった。
 ラーマトがアフガン人の象徴として描かれていることにも注目したい。
 第25回モントリオール映画祭グランプリ受賞作品。

------直伽の五段階評価------

芸術度<★★★★★>
テーマ度<★★★★★>
ストーリー性がある度<★★★★★>
映像が美しい度<★★★★★>
お勉強になる度<★★★★★>
元気アップ度<★★★★★>

 あらすじは、公式ホームページに書いてあるので、時間とエネルギーをさいてわざわざ私が書かなくても良いと思ったのだが、この映画はできるだけ多くの人に知ってもらいたいので今回は特別に書いた。

 先日、スーフィー派のイラン人ミュージシャンがオーガナイズした、「ペルシャのスーフィー音楽と、ルーミーの詩を聴く夕べ」というイベントに行った。そのイラン人が率いるrumiというグループが、ペルシャのスーフィー音楽を日本向けにアレンジした音楽で、親しみやすかった。



2003年5月30日(金)「藤野靖子 タペストリー展『新美南吉』」

 2001年10月2日(火)の日記にも書いてあるのだが、2001年に東京都国立近代美術館工芸館で開催された「染と織の造形思考/現代の布」という工芸展で、藤野靖子氏の「李賀」というタイトルの絵巻物のような綴れ織りを見て感銘を受け、私が習っている桂川先生の勧めもあって、今日は藤野氏の個展に行ってきた。
 最も奥にあった、横3メートル、縦2メートルぐらいある大きな織物にはとても感動した。横50センチ、縦30センチぐらいの中サイズのタペストリーも素晴らしかった。どれも色彩が豊かで抽象的な絵画のようでシルクの質感がとても良かった。中サイズには1センチに7本のタテ糸が通っていて、繊細な色彩と形が細かく表現されていた。最も奥にあった大サイズには、だぶん1センチに3本のタテ糸が通っている。
 一流の綴れ織りを織る人は、絵画の才能もあるのだ、と思った。絵画に似せるだけの綴れ織りが良いのかどうかは別としても。藤野氏の作品は絵画的であると同時に、布の質感も生かされているので素晴らしい。
 中サイズのものは18万円、小サイズ(名刺サイズより少し大きい)のものは2万5千円、大サイズには価格がついていなかった。
 残念ながら、個展は明日まで。(千疋屋ギャラリー

 先日、イラン映画の「少女の髪どめ」を見てとても感動した。これについてはメルマガに書くつもり。



2003年5月18日(日)「メールマガジン」

 本(主に小説)や映画(主にイラン映画)についてのエッセイを書いて、不定期(一ヶ月に一回ぐらい)にメルマガを出そうと思う。エッセイといっても今まで通り、日記に書いているような内容のものだ。今後は、メルマガで発信したものを、そっくりそのまま日記にペーストするつもり。
 時々、織物のネットショップの案内もするつもりだ。

 サンプル誌は以下の通りだ。

ーーーサンプル誌ーーー

みなさん、お元気ですか。東京は毎日のように小雨が降っていますが、私は、十分な睡眠と毎朝食べるバナナとヨーグルト、納豆で、爽やか気分で一日を始めます。
ここでは、直伽が読んだ本や観た映画について語ります。手織りショップの情報もいち早くお知らせ致しますので、どうぞよろしく!
手織りは高品質でアーティスティックなものを、「タユランの糸車」の感想を送っていただいた方には、かなりお安くしますのでお買い得です。

「『岬』中上健次(文春文庫)」

<あらすじ>
 「彼」と呼ばれる秋幸が主人公と思われる。「彼」は母親と母親の二番目の旦那との間にできた息子だ。この「彼」の実父は、三人の女に子供を孕ませている。その一人の女が母親であり「彼」が生まれたのだ。最後の場面で「彼」と肉体関係を持つ売春婦は、実父が女郎に生ませた「彼」の腹違いの妹である。「彼」は、母親と母親の三番目の旦那である義父と、母親と義父と間に生まれた息子の文昭と一緒に暮らしている。「彼」には、「彼」の母親と死んだ最初の旦那との間に生まれた、美恵と芳子という二人の姉がいる。美恵は旦那である親方と近所で家庭を築いている。芳子は名古屋で家庭を築いている。「彼」は美恵の旦那である親方のところで土方の仕事をしている。最初は、義父の組で文昭とともに土方をしていたのだが、人間関係がこじれて美恵の旦那の組に移った。親方には妹の光子がいて、光子の旦那の安雄が親方のところで働いている。光子は、一番上の兄である障害者の古市を嫌いだ。光子は、死んだ父親の家や土地を古市が一人占めにしている、と不満を持っているのだ。美恵の死んだ父親(母親の亡くなった最初の旦那)の兄弟の弦叔父は酒をせびりながら浮浪者のように彷徨う。
 複雑な血縁関係にある彼らは、山々と川と海に閉ざされたこの「路地」という土地で、虫のように、犬のように生きている。
 ある日、安雄が古市を殺す。姉の美恵が、心身に異常をきたし始める。昔、「彼」には兄がいて、兄が母親と「彼」を殺しに来たことがあった。あの時と同じだ、と「彼」は思う。しかし、兄は自殺してしまってもういない。
 母親の、亡くなった最初の旦那の法事が、母親と「彼」と義父と文昭の住んでいる家で行われる。母親の亡くなった最初の旦那は、美恵と親方の住む家に住んでいた。自殺した兄もその家で首をつった。本来なら、美恵と親方の家で法事をすべきでないのか、と芳子は言う。芳子と夫と子供たちが、名古屋から法事のためにやってくる。美恵の心身の状態が悪化する。なんとか生きようとする美恵。芳子一家と美恵と「彼」たちは、岬に行く。
 芳子一家が名古屋に帰った後、美恵は自殺未遂をする。「彼」は、売春宿にいき、そこで働いている腹違いの妹と肉体関係を持つ。


<ブックレビュー>
 有名な小説だし芥川受賞作なので読んでみたのだが、正直いって内容はあんまり面白くなかった。親が勝手気ままに複数の異性と肉体関係を結んでは犬みたいにばたばた子供を産んで、そのツケを子供が負い、自殺したり病気になったり気が触れたり近親相姦してみたり……、最初から最後までドロドロとした話ばかりで暗い気分になった。
  「彼」の曖昧で閉ざされた生き方にも少々苛々した。土方という仕事や自分の生活リズムには満足していたようだが、環境によって乱されてしまったわけだ。こうした環境が嫌なら出て行けば良い、でもそうしないのはどうしてだろうか、という疑問を持った。こうしたドロドロとした暗い場所に留まっていて最後まで出口を見つけようとしない「彼」には、どうしても共感できなかった。終始閉ざされていてドロドロじめじめとした小説空間だったので、せっかくお金と時間を削って読んだのに、こちらまで暗い気持ちになった。
 心の襞や心の営みを描くのが純文学だといえば聞こえは良いのだが、いくら文学として高度な技術が使われていても、最初から最後までドロドロじめじめ、希望のない生き方をしている登場人物ばかりだったら、何のために読んでいるのだろうかと思ってしまう。
 この計画性のない無責任な母親やいいかげんにあちこちに種をまき散らす「彼」の実父にも、まったく共感できなかった。
 また小説の前提となっている血のつながりへの感覚にも違和感を覚える。血がつながっていない他人同士でも縁があれば肉親以上の愛情ある関係が成立するし、血がつながっている肉親同士でも未熟であれば健全な愛情関係は築けない。
 妹と肉体関係を結ぶ最後の場面でも、近親相姦して血につながるものすべてを陵辱してやる、と大真面目に罪を犯すような感じなので白けてしまった。近親相姦といっても、生物学的に血がつながっているというだけで、実質的には赤の他人なので、「妹」とか「近親相姦」という概念のもとで語られているのがピンとこない。
 それでも読み進んでいけるのは、文体と語りに魅力があるからだ。一つのセンテンスが短くて、装飾がない地味な文章で、作ったような比喩がなく、「路地」で土方をしている彼等の世界とぴったり合っている素朴な文体だった。心の深いところから発せられた言葉で書いてあり、静けさがあり、切なさや哀しみを含んでいるような、しっとりとした文章だった。と同時に濃密な感情が渦巻いていて、登場人物たちがとても生き生きとしていた。特に女性を美化して描いていないところは素晴らしい。(男性作家が女性を美化しないで書くのはとても難しいことだと思う)
 気分が暗くなる内容だが、文体と語りは一流で、文学の勉強にはなる小説だ。

----直伽の五段階評価----

エンターテイメント度<★☆☆☆☆>
芸術度<★★★★★>
テーマ度<★★★☆☆>
文体のパワー度<★★★★★>
お勉強になる度<★★★★★>
元気アップ度<☆☆☆☆☆>



2003年5月6日(火)「ドキュメンタリー映画『パタゴニア 風に戦ぐ花 橋本梧郎南米博物誌』岡村淳監督」

 パタゴニアとは、南米の南極に近い寒い一帯だ。映画館のチラシに載っている岡村さんのエッセイによれば、大航海時代にパタゴニアに訪れたヨーロッパ人たちは、この地を「呪われた不毛の土地」「地上最悪の地」と呼んでいたそうだ。金銀やダイヤモンド、香木や野生動物の皮革などを収穫するという目的では、豊かな土地ではないのだ。
 しかし、パタゴニアには、そうした物質的価値を超えた何かがあるのだ、という。
 ダーウィンは、「ビーグル号航海記」という本で、<私の心に深く印象を与えた風景>として、パタゴニアをあげている。
 あるご高齢のブラジル移民の方も、生涯を終えようとしている時に、パタゴニアの氷の落ちる光景が目に浮かんだ、と言っていたそうだ。

 この映画は、ブラジル移民の植物学者である88才の橋本梧郎先生がパタゴニアに植物旅行に行かれた際に、岡村さんも同行してロードムービー風に撮られたものだ。
 数え切れないぐらい多くの種類の植物、草花のみずみずしい黄や赤、透明で清冽な河水と空気、登ると視野一面に立ち現れる氷河、空高くに迫る氷河から崩れ落ちる氷、まるで冥土とつながっているような、清らかで奥深い雄大な自然が映し出されていた。
 地球にはまだ、俗世間からかけ離れたところに、太古から息づいている美しく清らかな場所が存在するのだ。



2003年4月28日(月)「ドキュメンタリー映画『赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み』岡村淳監督」

 これは、フマニタスという慈善協会が成長していく過程を記録した映画だ。なんといっても、フマニタス慈善協会の創立者であるカトリック司祭の佐々木治夫の意志の強さと行動力には頭が下がった。
 映画は、2002年にフマニタス慈善協会創立25周年のミサが行われているところから始まる。佐々木神父は、1930年に生まれ、25才でカトリックの司祭になり、38才でブラジルの日系人への宣教目的でブラジルに渡った。ここで、身寄りのないハンセン病患者と出会い、佐々木神父を始め多くの人々の運命を変えることになった。
 知識も資金もなかったが、思わぬ寄付をされ、ハンセン病の診療センター・フマニタスを設立した。フマニタスとは人類愛という意味だ。大嵐や洪水などの天災に見舞われるのもしばしばだったが、信仰と共に乗り越えてきた。職員たちの一日は、朝のお祈りから始まる。
 ブラジル人のマウロ医師も創設に参加し、今では大学で講座を持つほどの専門家になった。ブラジルはインドに次いで2番目にハンセン病が多い。25年間の間に沢山のハンセン病患者の治療を行い、そのハンセン病の研究実績はブラジル内外の学会からも表彰されている。
 長崎純心聖母会のシスターたちも参加していて、その一人はこう言っていた。「その人にとっての最善は何かを考えて尽くす、愛を持った生き方や接し方ができれば良いです」「お金やいろんな意味で欠けている人が多いから仕事がはかどらない。でもその方が楽しいですよ」
 フマニタスは、新しいプロジェクトを始める。ストリートチルドレンたちに勉強や技術を教えるのだ。ストリートチルドレンの家庭は、貧しくて食べ物がなく家庭内暴力があることが多い。彼らに朝食、昼食、おやつも支給される。職員は、「この仕事で経済的に豊かになることはないが、かけがえのない仕事だ」と言う。
 子供たちは、そろばんの授業を受け再生紙を作る作業をしたりする。14,15才の子供たちが言う。「ここにいるおかげでいろんなことを学べます。もう道にたむろしなくて良いのです」「前は反抗的だったが今は違う。大嫌いだった勉強もするようになった」
 羊の毛を紡いで編み物や刺繍製品も作っている。これらは日本に送られ、彼らはお小遣いと食料を受けとっている。
「ここに来て自分が変わった。行儀が良くなりもう子供じゃないと感じている」「この制度のおかげで公立学校の勉強も続けられる。家の手伝いもできる。将来は看護婦になって苦しんでいる人を助けたい」と彼らは口々に言っていた。
 男子生徒たちは有機農業も教わる。ウサギの飼育をしながら少年たちは言っていた。「物を愛すること、心を込めることを教わった」「この制度がなかったら間違った道を歩んでいたでしょう。このプロジェクトをもっと大きくしたい」
 年に一度の運動会やダンスパーティもある。「最高だぜ!」「ありがとう!」という子供たちの言葉が飛び交っていた。
 また、フマニタスは土地なし農民を支援する活動もしている。ブラジルでは、植民地時代の弊害で、今日でも大土地所有者の多くが、元の住人を暴力で追い払い、書類を偽造し不正に土地を所有している。こうして追い払われた土地なし農民たちが道路わきにキャンプをはって暮らしているのだ。大土地所有者が日本の国土の二倍近くの土地を不正に所有している、と2000年にブラジル政府は発表している。
 こうした土地を土地なし農民たちに分配する農地改革を促すためのデモンストレーションを土地なし農民たちは命がけで行っている。佐々木神父も聖書の教えによって農地改革を命がけで支持している。大地主から、佐々木神父の命を奪うと何度も脅されてきた。地主側は、様々な権力と手段を使って農地改革を防ごうとするのだ。
 土地なし農民たちには、食料などが不足していて、今後どうやって生活していくか様々な困難が立ちふさがっている。農地改革によって分配された入植地でも食料の供給が滞っているのだ。佐々木神父は、食料を配って回り、有機農業をたい肥作りから教えておられた。
 フマニタスでは零細農民の生産基盤を少しでも強くしようと共同でプロポリスも生産している。かつて日雇い労働者の娘であったシスターは言う。「作業は静粛に、一挙一動にこれを飲む人を思い浮かべること、この仕事は他の人々のために大切なのです、と神父に教わりました」
 ある日、土地なし農民たちに分配された入植地を訪れると、野に火がついて焼けていた。誰かが放火したのだろう。
 フマニタスの闘いは続く。佐々木神父は言う。「教えるのは大変だが嫌にはならないです」
 さらに、フマニタスは農学校も設立した。ブラジルは農業大国と言われながら、農業離れが進み、人口の四分の三以上が都市に集中し、大資本による輸出用の産物ばかりが奨励されている。そのため自分たちの食べる食物が不足して、四千万人以上の人々が飢えに苦しんでいる。佐々木神父はグローバリゼーションに抗って、食物を自分で生産し誇りを取り戻していく願いを込めて農学校を開校した。
 ここに通う14,15才の少年たちは言っていた。「将来は農業技師になりたい。この学校の先生が理想です。土地を獲得した土地なし農民たちと共に働き助けていきたい」
 ブラジルではクリスマスを真夏に迎える。佐々木神父は政府から土地を分配された土地なし農民たちを訪れる。日本から要らなくなった古着と共に送られてきた玩具を子供たちにプレゼントして一緒に楽しんでおられた。
 ブラジルに来て40年、佐々木神父の努力が実を結んできたのだ。信仰と共に生きながら闘い続け前進するフマニタス。 

 佐々木神父は、強靱な精神力と信仰のおかげで、幾つもの困難を乗り越え、慈善協会をここまで大きくされた。この成功の背景にはキリスト教のカトリックの教えがある。こうした宗教の力は素晴らしい。日本では、宗教のイメージが落ちてしまったが、本来宗教にはこういった力があるのだ。

 私もキリスト教の敬虔なカトリック信者の家庭に生まれ育ち幼児洗礼(洗礼名はマルガリータ)を受けているが、10年以上も教会のミサには行っていない。毎週日曜日にミサに通うのが面倒だという理由もあるが、クリスチャンの両親や友人の生き方を見てきてかなり欺瞞があると感じたからだ。
 彼らの心には空虚がある。生活のために真面目に働いているが、何のために生きているのかよくわからないのだ。こうした問題と向き合って自分の足で解決しようとはしない。信仰で誤魔化そうとするのだ。キリスト教に依存して、自分の心の問題から逃避している。宗教に依存するのを信仰だと勘違いしている人が多いため、教会からは遠ざかった。そういう人が多いと教会に行っても楽しくないからだ。
 前に、創価学会の集会に参加したことがあるが、そこでも同じことを感じた。みんな同じような顔をしていて、個性が感じられなかった。中にはそうではない人もいるけれど、希望のない人が宗教に依存している、という印象を持った。
 宗教団体に属していなくても、人を助けようと活動することはできるし、自分の好きなことややりたいことで人生を充実させ豊かにすることもできる。宗教なしには生きられない人は、心の弱さから依存しているのではないだろうか。宗教団体に属しお祈りをすることで心の安定が簡単に得られるのだろう。しかし荒涼とした砂漠のような人生であっても、宗教に頼らないで、自分の足で立ち上がり生きる楽しみを自分で見つけていく努力をすべきだ。
 先日、中島らもの「今夜、すべてのバーで」という小説を読んだ。アルコール中毒患者の話がさらりと軽快に書いてあるのだが、さまざまな依存の問題について考えさせられる重いテーマの小説だった。
 ここに、宗教を信じる人が陥りやすい依存の問題について鋭いことが書いてあった



「『今夜、すべてのバーで』中島らも(講談社文庫)」

 アルコール中毒患者が入院し退院していくまでの過程を、ノンフィクション風にユーモアを交えて軽快に書いてある。アルコールだけではなく、様々な依存の問題について考えさせられた。
 アルコール中毒というのは、お酒を「好き」だからなるのではない。主人公のアルコール中毒患者の言葉を引用するとこうだ。
「酒の味を食事とともに楽しみ、精神のほどよいほぐれ具合を良しとする人にアル中は少ない。アル中になるのは、お酒を『道具』として考える人間だ。……この世からどこか別の所へ運ばれていくためのツール、薬理としてのアルコールを選んだ人間がアル中になる。肉体と精神の鎮痛、麻痺、酩酊を渇望する者、そしてそれらの帰結として『死後の不感無覚』を夢見る者、彼等がアル中になる。これらはすべてのアディクト(中毒、依存症)に共通して言えることだ」
「薬物中毒はもちろんのこと、ワーカホリックまで含めて、人間の“依存”っていうことの意味がわからないと、アル中はわからない。……“依存”ってのはね、つまりは人間そのもののことでもあるんだ。何かに依存していない人間がいるとしたら、それは死者だけですよ。……この世にあるものはすべて依存の対象でしょう。アルコールに依存している人間なんてかわいいもんだ。血と金と権力の中毒になった人間が、国家に依存して人殺しをやってるじゃないですか。連中も依存症なんですよ。たちのわるいね。依存のことを考えるのなら、根っこは“人間がこの世に生まれてくる”、そのことにまでかかっているんだ」
「酒をやめるためには、飲んで得られる報酬よりも、もっと大きな何かを、『飲まない』ことによって与えられなければならない」

 ブッシュ大統領ももともとアルコール依存症だったが、今では国家権力とキリスト教に依存して大量殺戮の殺人者になっている。サダム・フセインの独裁政治にも問題はあるが、戦争を仕掛けては大量殺戮と国土の破壊を繰り返す米国は、マイケル・ムーアの言っていた不安や恐怖のために、武力や国家権力に依存し続けている。

上記した「“依存”ってのはね、つまりは人間そのもののことでもあるんだ。何かに依存していない人間がいるとしたら、それは死者だけですよ。……この世にあるものはすべて依存の対象でしょう」という箇所には私は共感しない。人生に意味を見出せないアルコール患者の言葉としてはリアリティはあるのだが。自分と自分を取り巻く環境が健全であれば、何かに依存しないで生きることはできると思う。

 「依存」とは、中身を失った状態だと言えないだろうか。何のために生きているのかわからない不安定感や空虚感や生きる苦痛を和らげるためにキリスト教信者になるのは宗教への「依存」だ。働く楽しみを失い義務が習慣化し働き続けなければ落ち着かない人は仕事に「依存」している。権力と金を手に入れるために政治家になる人は国家への「依存」だ。残念なことに、現代はこうした多くの「依存」によって社会・政治が動いている。
 人生が何かへの「依存」ではなくなったところに、「楽しさ」や「好き」や「愛」の感情が生まれてくるのではないだろうか。「依存」をやめたら、虚無に直面してしまい彷徨う人が大勢出てくるかもしれないが。彼等は不安定感や空虚感から逃れるために「依存」している、といえる。
 心から世の中の人々に尽くしたいと考えて政治家になる人は何人いるのだろう。自分の仕事を天職としてかけがえのないものとして感じている人は何人いるのだろう。生きることが楽しいと感じている人は何人いるだろうか。
 私たちは、「依存」から脱却して、「楽しみ」や「好き」や「愛」の気持ちから生きる努力をすべきなのだ。

 ところで、岡村淳さんのドキュンメンタリー映画「パタゴニア 風に戦ぐ花 橋本梧郎南米博物誌」が、ゴールデンウイーク中に東京で上映される。
 5月3日15:40より小岩コミュニティーホール(JR小岩南口、TEL.03−365
7−1107)
 主催はメイシネマ上映会(TEL.03−3659−0179 )



「織りだされた絵画 17〜18世紀タピスリー」

 先日紹介したヨーロッパの17〜18世紀の時代のタピスリーを見に行った。壮大なタピスリーだった。縦3メートル、横7メートルぐらいの大きなタピスリーにもかかわらず、近くで見ると葉っぱの先など1ミリぐらいの細い部分まで丹念に細かく織ってあった。それも絹糸や羊毛で織られているのだ。大きさのわりには生地が薄く、しっとりと艶があった。保存と管理のため、照明が暗く設定してあるので、実際の色彩がわかりにくくて残念だった。この時代には、画家が下絵を描き、それをもとに織り職人たちが織っていた。宮廷に仕える画家や織り職人だったため、費用などすべて宮廷が負担していた。このために歴史に残る見事なタピスリーを製作することができたのだ。
 城は石でできていたため、暖かみのあるタピスリーが重宝された。別荘の城に持って行くにも、タピスリーは便利だったそうだ。
 しかし、少し絵画に追従しているような気もした。懸命に絵画に似せようと織ってあるのだ。現代は、ジャカード織りなど、織りの機械で絵画のようなタピスリーを早く生産することはできる。でもそれではつまらない気がする。
 織物は、絵画と同じように織ろうとしても限界がある。絵画と絵画に似せた織物と比べたら、絵画の方がずっと良い。織物は所詮、タピスリーでも、物の印象やイメージしか伝えることができないのだ。布独自のしなやかさ、柔らかさ、素朴さ、素材、凹凸感を生かした織物が、今後の織りの芸術だと思う。


<シャンボール城:9月>17世紀後半

国立西洋美術館
5月23日(日)まで



「芸術は社会への貢献か、制作者の誇りか」

 タピスリーを見に行ったついでに、東京都美術館にも行ってみた。ここではいつも美術団体の公募展の入選作品が展示されている。一畳ぐらいの大きなサイズの絵画が壁面一杯に所せましと並べられている。普段、絵画を目にすることのない私は、これほどの多くの絵画を目の前にすると、絵画から受ける様々な画家のエネルギーの濃密さに圧倒される。ここには、魂のこもった美術作品が全国から集合しているのだ。おそらく、芸術家の一人一人のアトリエに、こうした美術作品が沢山たまっているのではないだろうか。
 私は新宿に住んでいるが、会社のビル、高級マンション、公共施設、図書館、病院、スポーツセンター、飲食店、どこに行っても、絵画などの美術作品が飾ってあるのをあまり見かけない。時々、壁面に飾ってあるけれど、それはポスターであったり、風景写真を写し取ったような安っぽい絵画やイラストだったりする。
 沢山の美術品が、ある特定の場所に集中していて、世の人々や街の中に浸透していない、と思う。それは文学についても言えるのだが。
 東京都美術館に公募展を鑑賞しに来る人は、入選者や美術団体の関係者が最も多いのではないだろうか。文学と同様に芸術も、世の中に開かれていないという感じがする。
 個展に行くと、公募展に飾ってあるような作品に100万円〜200万円ぐらいの値札がついていたりする。それは、芸術家の才能や労力や経験などを考慮すると相場なのかもしれない。値段を低くするということは、その芸術家の誇りに傷がつくことなのだ。
 しかし、その誇りのせいで、美術品が世の人々や街の中に浸透しないのではないだろうか。芸術活動が社会貢献だとすれば、少しは買い求めやすい値段にして、世の中に美術品が行き渡るようにした方が良いのではないだろうか。
 病院などに行って素晴らしい絵画が飾ってあったら、患者さんの心も和むだろう。



2003年4月18日(金)「ドキュメンタリー映画『緑の砂漠か緑の再生かーブラジルのユーカリ植林と日本』岡村淳監督」

 日本人として、とても考えさせられた。これは、私たちが日々使っている紙製品とブラジルで生活が困難になりつつある農民たちとの関係を描いたドキュメンタリー映画(1994年製作)だ。
 映画は、NGOのグリンピースの船が、世界最大の紙パルプの輸出量を誇る製紙会社アラクルス社の港で抗議行動をするところから始まる。製紙会社が、熱帯林を伐採し先住民を追い出し、ユーカリを大規模に植林して、土地や農民に深刻な損害や被害を与えている、というのだ。
 この他、ブラジルには日本とブラジルの合弁会社セニブラという製紙会社もある。こうした製紙会社から、紙の消費量が世界で最上位にある日本に向けて、紙パルプが大量に輸出されるのだ。私たち日本人一人が年間に消費する紙は240s、燃えるゴミの中の約45%が紙製品だそうだ。
 20年以上も前から(2003年から考えると30年以上前)、日本資本が加わった製紙会社がブラジルに大規模なユーカリ植林をし始め、タイやパプアニューギニアなど第三世界の各地に広がった。
 ユーカリは、大量の水を吸い、様々な生物を寄せ付けない作用を持っているのが特徴だ。そのため、大量のユーカリを植林すると、河や沼を枯らして農民に被害を与えるのだ。しかも、有害な物質を出すので土地にも大きなダメージを与える。
 ある調査によると、熱帯雨林1ヘクタール中にいる脊椎動物が1600s、ユーカリ植林地では30s、サハラ砂漠で100s、という。ユーカリ植林地ではアフリカのサハラ砂漠の動物量の三分の一以下なのだ。
 ブラジルは最大のユーカリ植林地で、九州と四国を合わせた面積がユーカリ植林に占められている。
 ミナスジェライス州はブラジルの貯水タンクと言われるほど河の源流地帯であるため、ユーカリ植林によってブラジル各地の水資源に問題を起こすことになりかねない。実際に、20年余りの大量のユーカリ植林のために干上がってしまった直径500メートル近い湖があり、人々は「ユーカリのために干上がった」と言っていた。
 セニブラ製紙会社の社長は「ユーカリ植林には問題はない。逆に環境を守るという学者もいる」「紙の消費量は文化レベルに比例する。日本は極度に発展しているので紙を大量に消費するのだろう。どんどん使ってください。どんどん生産します」と話す。
 一方で、セニブラ製紙会社のユーカリ植林地の近くに住んでいる農民はこう語っていた。「セニブラのユーカリ植林地の方から水が枯れてきて困っている。ユーカリの周りには作物ができない。ユーカリ植林を伐採した跡には農作物が育たない。食料の余裕がなくなった」
 ユーカリは、動物の餌になるような生物やミミズなどの土壌生物も寄せ付けないのだ。川は水位が下がって、ちょろちょろと流れていた。このままだと、農民たちは生活の場がなくなり彷徨うことになってしまう。

 とても心苦しくなる映画だった。私たちの紙の消費は、ブラジルなどの貧しい農民たちの犠牲で成り立っていたのだ。
 セニブラ製紙会社の社長は、「紙の消費量は文化レベルに比例する」と言っていたが、それは少し違うと思う。文豪の良質の文学や古典などは、出版の見通しが立たなくなっていたり絶版になりつつある。現在最も多く出版されている本は、書店の店頭を見ればわかるとおり雑誌や漫画やエンターテインメント小説なのだ。
 戦争もそうだが、紙の場合も、先進国の次元の低い欲望の肥大で第三世界の人々が犠牲になっている、という気がする。
 私は小説を出版したが、小さな出版社で自費でする場合はせいぜい500部〜1000部ぐらいのものだ。それぐらいの数の本は売れなくても、知人や友人に配ればけっこうなくなってしまう。しかし商業ベースで出版する場合は最低でも4000部ぐらいから出版する。しかも一般的に購買部数の2倍は出版されているのだ。例えば4万部売ろうとしたら8万部は出版しないと売れないのだ。それも出版した書籍全体の約50%が返本される。約50%というのは平均だから、文学関係の本はさらに返本が多くなる。
 こういった事情のため、沢山の商業出版の本が倉庫で眠っていたり処分されているのだ。
 この無駄な紙の消費をなくすためにはオンデマンド出版が良いということになるが、本の価格が高くなる。この間、「イラン・思考の旅」というオンデマンド出版の本を買ったら消費税・送料込みで2、805円かかった。ソフトカバーで大した装幀ではないし紙の質も良くないしカラー写真があるわけでもない。もし書店に並んでいたら1200円ぐらいだと推定するが、オンデマンドだから2倍以上の値段がついているのだ。オンデマンド出版の本を購入する人間が大多数を占めるようになれば、単価はかなり安くなると思うのだが。知的好奇心はあっても、やはりマイノリティは損だ。(マイノリティは損だと感じるたびに、ネットで発信する必要性を強く感じる)
 トイレットペーパーについては、ウオシュレットを使うと良いと思う。トイレットペーパーの使用量が半分以下になる。 しかし東京医科歯科大学教授の藤田紘一郎さんはこう言っている。「……例えば女性の膣にはデーデルラインかん菌というバイキンがいて、酸性に保つことによって雑菌の繁殖を抑えています。それをやたらにビデで洗っていれば膣炎になる。肛門もばい菌で覆われているからウンチが出ても痛くないけれど、ウォシュレットで洗ってばかりいると、普通のウンチをしても痛くなったりする。こうした例はたくさんあります」
 コピーしたり自宅のプリンターで印刷した紙は、試し刷り用の紙やメモ帳にしたりして繰り返し使った方が良い。
 紙のリサイクル技術が進歩するのを願うばかりだ。

 「赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み」も良い映画だった。今日は時間がなくなったのでまた今度書く。

 岡村淳さんのエッセイ、「岡村淳 ブラジルの落書き(ブラジリアン・グラフィティ)」は、とても面白いしためになる。近いうちにリンク集に入れようと思う。



「『イラク戦争』の写真」

 下記のHPに「イラク戦争」が始まった直後からの写真映像が載っている。毎日、写真が更新されていて、戦争とはどういうものかをまざまざと教えてくれる。

http://www.marchforjustice.com/id191.htm

 米国は今回も、多くの劣化ウラン弾やクラスター爆弾をイラクに打ち込んだ。今後も永久的に続く放射能や不発弾による被害で多くの人が死んだり病に倒れるのだろう。戦争は終わってもジェノサイドは静かに続くのだ。劣化ウラン弾による被害については「イラク湾岸戦争の子供たち 劣化ウラン弾は何をもたらしたか」森住卓(高文研)に書いてある。
 こうした政治の力に抗おうと、先日統一地方選挙に行って投票してきたが、結局石原現知事が圧勝した。私は無力感を感じた。



2003年4月3日(木)「『金色の虎』宮内勝典(講談社)」

 とても面白かった。迫力があってスケールの大きい長編小説だ。拝火教の鳥葬の冒頭シーンから一気に引き込まれた。心の深いところを刺激され、エモーションを掻き立てられ、気がつくと夢中になって読んでいた。人を引き込む力が強く、ダイナミックな疑似体験をさせてくれる生きた小説だ。
 母親を脳腫瘍で亡くしたジローは、人は死ぬことで記憶や意識も消滅してしまうのか、死の向こうには何があるのか、という根元的な問いを抱いて放浪する。死が日常的なインドやヒマラヤの描写も圧倒的で、超越的に生きようとする聖者たちとのドラマが展開される。ジローは、欲望を極めて聖なるものへとジャンプしようとするセックス教団のグル、シヴァに惹かれて共に行動するようになる。
 精神科医の田島も、『性の抑圧や、世間のしがらみ、一夫一妻制など、地上のタブーすべて取り払ってしまえば、人というやつから、いったいなにが現れてくるのか。きよらかで、軽やかな心なのか。ぞっとするほど淫らで、おぞましく、醜悪なものにすぎないのか』という問いからシヴァに惹かれセックス教団を陰で支える。
 シヴァとセックス教団に強制捜査の手が及ぶ。当局に追われて、ヘリコプターで世界を彷徨うシヴァとジローと田島。
 いたるところで入国を拒絶され、流浪の末、南米の浜辺の家でシヴァは息を引き取る。ジローはその死を看取り、ヒマラヤの聖者を訪ねる。彼もまた、死を迎えようとしていた。ジローは彼の死にも寄り添い、春の日だまりの中、静かに息を引き取るのを見守る。
 死や生きる意味についての小説で、読後はとても不思議な気持ちになった。
 死の虚無を見つめそこに何があるのかを突き詰めようとするジロー、欲望の果てから何が出てくるのかを見据える田島、欲望や死を超えて悟りを得ようとする聖者たち、精神病者、半陰陽の性器を持つヒジュラ、売春婦、死にゆく人々、大地を通り過ぎて逝った二千億人の人々、地上にいる七十億人の命たち、悪やエロスやありとあらゆる側面を併せ持った生者や死者たちすべての人間が、互いに接触し関わり合い、宇宙的な大きさを持った命の流れを形成し、意味という目には見えないものが浮かび上がってくる小説だった。
 社会病理が蔓延し生きる意味が見出せなくなっている現代において、希望を与えてくれる貴重な小説だ。
 とても意義ある本なので、さっそく「直伽のお気に入り……」に載せた。

 宮内さんの3月24日の日記に、2002年4月19日、東イスラエル・ジェニンの難民キャンプで起こったイスラエルによるパレスチナ人虐殺事件の写真が沢山載っているホームページアドレスが書いてあった。その後、このホームページはグローバリゼーションを推し進めようとしている人たちによって消されてしまったそうだ。しかし、このホームページを保存していた方がいて、海亀通信の掲示板にそのアドレスが書いてあったのでここに転載しておく。圧縮ファイルになっているので、解凍して、HTMLファイルを実行してください、とのことだ。
http://members.tripod.co.jp/akumakazuhito/Jenincamp.lzh

 脳や内臓などがはみ出ている残虐な写真を含んでいるが、これが戦争の現実なのだ。
 宮内さんの日記には、女性や繊細な人はこの写真を見ない方が良いと書いてあったが、私はできるだけ多くの人に見てもらいたい。なぜなら戦争というと戦争映画のイメージを思い浮かべ海の向こうの出来事として感じている人が多いからだ。写真のように無惨な姿になってしまった人間を、愛する人や身内の顔と置き換えて想像してみて欲しい。不当に攻撃されて家族や友人を殺され家を壊され追いつめられたら、人間いつか死ぬなら仇をとって死にたいと自爆して復讐する人間の気持ちがよくわかる。
 自爆攻撃は肯定できないが、そうせざるを得ない状況と現実を把握し、どうしたら戦争を止め世の中を変えていけるのか、個人個人で考えて行動する必要があると思う。
 この写真を見たからには、彼らの死を無駄にしないようにしたい。



「小泉首相がやるべきこと」

 4月1日から年金、医療、介護などの社会保障の制度が変わり、国民の負担が増したり給付カットになる。国には経済的な余裕はないのだから、人殺しに税金を使わないで欲しい。切り捨てられるのは常に弱者からだ。
 小泉首相は、万が一にでも北朝鮮から攻撃を受けた場合、日本には核兵器がないから米国に頼らざるを得ない、と言ってブッシュ大統領を支持している。しかし去年の9月、北朝鮮の拉致問題を承知でピョンヤン宣言をしたはずだ。
 北朝鮮に拉致された日本人のうち、生存者五人の一時帰国が認められた。しかしいざ彼らが日本へ帰国すると北朝鮮には戻れなくなってしまった。横田さん夫妻が北朝鮮に行くことも「家族会」は押しとどめてしまった。米国は、北朝鮮は大量破壊兵器を保有していると主張し、北朝鮮は核兵器の再稼働を進めていると言う。北朝鮮が日本に向けてミサイル発射の訓練をしているというニュースもたびたび流れる。
 「家族会」の背後には「拉致議連」などのタカ派の政治家たちがいる。彼らによって北朝鮮は脅威だという世論が故意に作られているのではないか。大衆を脅かすことで、米国支持に向けようとしているのではないか。
 北朝鮮との関係が不安定になりつつあるのは、北朝鮮だけではなく日本のやり方や世論にも一因があるのではないか。
 小泉首相がやるべきことは、ピョンヤン宣言が今もなお有効であることを確認して、外交によって拉致問題などを話し合い、北朝鮮との関係を修復していくことだ。対話によって北朝鮮や米国との関係を良好にしていけば良いのだ。
 ところで「イラク戦争」という言葉が使われているが、イラクと米国が戦争をしているというよりは、米国が一方的にイラクに攻め入っているわけだから、「イラク侵攻」と名付けるべきだ。
 戦争には一切加担せず、イラク再建のための手助けで世界に協力して欲しい。

 あまり時間がないので、日記を書くのは一ヶ月に一回か二回にしようかと思っている。岡村さんからまたビデオテープを送っていただきとても嬉しかった。その話はまた今度。