「ウイグル人留学生トフティさんを救う署名のお願い」
 ウイグル人留学生トフティさんが、中国に一時帰国の際、身に覚えのない政治犯の罪で逮捕され有罪となり、ウルムチの刑務所に収監されています。ウイグル人は中国内で少数民族であり、イスラム教が主流です。中国政府はそういった少数民族のナショナリズム高揚・独立志向を極端に恐れているようで、トフティさんは政治活動をしているわけでもないのに、ウイグルの歴史を研究しているというだけで、反政府的な活動とみなされ逮捕されてしまったそうです。日本での友人たちがトフティさんの釈放を中国政府に訴える署名活動を行っています。詳しくは、「トフティさんの復学を求める会」へ。



2003年3月21日(金)「イラク攻撃/夢・期待・錯覚が日本経済の基盤/ネット集団自殺」

 ついにイラク攻撃が始まった。また人々が殺されたり負傷したり、建物が破壊され大地が汚染されたりするのだ。私たちは、こうした悲劇を茶の間のブラウン管でただ眺めているしか手立てがないのだ。「人間の盾」の人たちは無事だろうか。数日前、「人間の盾」の米国人一人がイスラエル軍にブルドーザーで殺されたと新聞に書いてあった。
 せめて、首相官邸の「ご意見板」に意見を出そうではありませんか。
 青山 貞一氏(環境総合研究所所長)が呼びかけておられる、イラク攻撃反対の文書に賛同し署名した。「各党代表等への正規意見申し入れ文書」に賛同される方は、no-war-iraq@eforum.jpに名前と、肩書きまたはお住まいの地域を大まかに書いて送ってください、とのことだ。

 米国は、イラクが武装解除しないといって先制攻撃しているが、大量破壊兵器を保有して世界を荒らしているのは米国ではないか。米国も、国連の査察を受けて大量破壊兵器を破棄すべきだ。
 この戦争が終わったら、今度はアフリカでも攻撃するのだろうか。米国が権力を振り回して、世界中で戦争をしかけたりグローバリズムを押し進めようとしていることと、私が生活の中で感じてきた日本人の闇の部分とは地続きだ。
 私は学校や社会で、表面的なもので人間の価値が低く見なされたりする不公平や差別的なものがあるのを感じてきた。学校では、容姿や能力がないとバカにされて友達ができなかったり(媚びたら友達はできるだろうが)、虐めがあってもみんなが見て見ぬふりをしていた。教師もそうだった。社会に出ると、上司にはペコペコと媚びてご機嫌を窺い、周囲の目を気にせねばならない。そうしなければ除け者になって立場が弱くなり生きていけないのだ。小泉首相が米国にペコペコと媚びへつらっているのと同じように。
 個人の生き方を見てもそうだ。天職を見つけようと自分の生き方を探って心に正直に生きている人間は、結果的にフリーターになり不安定な生活になったり、結婚をしないで子供もできなかったりする。
 天職を見つけるなんてバカらしい、安定した仕事について従っていれば安心よ、と適当に就職し大多数に追従する生き方をしている人間の方が生活が安定して結婚したり子供を持てたりする。
 日本人は、人間の痛みを理解する想像力や正義感を持ったり、独自の生き方・やり方を編みだし一人で貫徹するという姿勢にはあまり価値を置かない。強い巨大な力や大多数の意見や習慣や惰性に従うことに価値を置き、安心と安定を得るのだ。こうしたメンタリティが、反戦デモに行く日本人が少ない根本的な原因だ。(前にも同じようなことを書いたが)
 いつも忙しく勤勉に働いていても、大部分の人は生活のために、社会の強い巨大なものに従っているだけなのだ。
 先日も、ある人にデモに行かないかと誘ったら、「戦争は良くないけど、デモをしたってあまり意味ないよ。戦争は人間の業なんだ。大きな流れには逆らえないんだ」という返事が返ってきた。積極的に現状に従うというよりは、追従する方が楽だという怠慢さ、あきらめ、開き直りがあるのだ。
 こうした日本人の低いメンタリティは、資本主義の経済構造とつながっている。
 容姿、人種、民族、宗教、職業、性別、国、生まれ育った地域、で弱く不利な存在を差別し、搾取し、排除し、経済成長してきた。表面的なものや付属的なもので人間を差別し、人々の自信のなさや空虚を夢や期待で覆い隠し、錯覚を起こさせることで商売が活性化し繁盛してきた。
 人々は心が空虚で自信がないために、表面的なものや付属的なもので存在意義を得ようと執着する。こうした心の空虚や現実からの逃避が、日本の資本主義経済の原動力なのだ。世界の根本が間違っている。
 本当に価値ある部分は小さく隠れていて、商売のかなりの部分は人々に夢や期待を抱かせ錯覚を起こさせることで成り立っている。本当の姿を見せないのだから健全な競争はない。いかに自分の仕事、商売、会社、企業は優良か、人々に期待させようと錯覚させることにおいて競争しているのだ。お金の動きにも誤魔化しがあると推測する。裏表がない真面目な仕事もあるだろうが、たぶん儲からないだろう。本質の部分だけでは、生活できない世の中なのだ。
 政治、医療、芸術、文芸、水商売、飲食店、食品、化粧品、衣服、その他さまざまな分野でそうだ。例えば外に出て、食品を買おうとしても、どれもが鮮度や香りや色など薬品で誤魔化しているものばかり。女性の誰もが化粧で誤魔化している。百貨店に行くと店員さんのどの笑顔も人工的で、商品もブランドのネームバリューで値段がつり上がっている。病院は多くても、再発がなく質の高い治療をする医者や歯医者は少ない。おまけに点数を誤魔化す医者や歯医者が多い。多くの仕事と同様に小説の有力な新人賞でも若い人が有利だ。どんな場所に行ってももてはやされるのは若い女性や美人や才能のある人ばかり。自分にとってどれほどの意味があるのだろう、実際はどうなのだろう、という視点もなく、既成の美しさや才能に盲目的に群がるのだ。どこか変だ、不公平だ、と感じることをあげればキリがない。
 世の中でいう「自立」とは、こうした流れに加担することでもある。
 こうした巨大な一方向の流れの中で日本は経済成長したわけだ。だから誰もが盲目的に追従するだけなのだ。小泉首相が米国に追従するように。
 表向きは勤勉だが、人々の内面は<自分は居ても居なくてもどっちでも良い>という感じ方で蝕まれている。大部分の人は多数決の多数派に追従して生きていながら、自分が自分であることの意味がわからなくて、自分は他人と替えがきくと感じている。
 オウム真理教に走った若者たちは、こうした虚無感から救われたいと切実に願ったのだろう。最近、ネットで知り合った複数の男女が集団自殺をする事件が頻発したが、彼らも虚無感に覆われていて、自分が何のために生きているのかわからなかったのだと推測する。

 米国が押し進めるグローバリゼーションやイラク攻撃、米国の資本主義の大きな流れに追従している日本の経済構造や水面下で広がっている虚無感、差別、学校で差別や虐めを受けている生徒がいても誰も助けない生徒や教師、日本では反戦デモに参加する人が極めて少ないこと、カルト集団への入信、自殺者の増加、麻薬やアルコール依存、乱交、引きこもり、離婚や独身の増加、フリーターや失業者の増加、といったことは根っこでつながっている。
 日本社会のみならず地球全体が、異常な方向へ進んでいる。
 大多数に追従するのをやめて、一人一人が自分の頭で考え自分の道や楽しみを見つけて、世の中を作り替えていこうとする姿勢を持つことが、今の大きな流れを変えて地球を救うことになる。



2003年3月8日(土)「多摩美術大学生産デザイン学科テキスタイルデザイン卒業制作学外展 2003 」

 今日は、多摩美術大学のデザイン科の卒業制作の展示会に行った。織物の大作がかなりあった。気に入ったのは、百木彩さんの「Tibet」、伊藤木綿さんの「つちの温度」、佐藤千尋さんの「ツムギウタ」、河合由香里さんの「FAMILY」、園部麻衣子さんの「WANDERING」、などのタペストリーだった。
 「Tibet」は、チベットに旅行された時の写真をビニールシートのようなものに写し取り、それを等間隔で裂いて裂き織りで織ってあった。周囲は糸で額縁を作るように織ってあった。
 「つちの温度」にはセンスを感じた。縦糸が見える平織りなのだが、様々な素材を使い、綴れ織り技法で抽象的な絵のように織ってあった。ところどころ織っていない部分や扇形に織ってある部分やペイントされている部分もあって上手だった。
 「ツムギウタ」は、遠くから見るとダークな色彩で上方から下方に垂れる茂みのように見えるのだが、近寄って見ると深みのある色彩で、様々なつむぎの糸が使ってあり織り方にもテクニックを感じた。
 「FAMILY」は綴れ織りと裂き織りが混合したもので、鮮やかな絵画調の色彩が素晴らしかった。
 「WANDERING」も鮮やかで幻想的な色調が良かった。さらに布の上から洒落たポップなアップリケがしてあり、不思議な調和があり面白かった。
 
 私が通っている東京アートセンターの桂川先生や社長の村瀬さんも来ておられた。桂川先生は多摩美でも教えておられるのだ。
 私は、これらの作品のユニークさにため息をつきながら鑑賞した。制作者はみんな若くて容姿も良い人が多く、才能の他に将来の可能性もあるので素晴らしいと思った。村瀬さんが、「今年もここから何人かが東京アートセンターのスタッフになったよ」とおっしゃった。「先生になられるのですか」と聞いたら「いいえ、店の販売ですよ」と言われた。
 そういえば東京アートセンターのお店に美大を出た若い女の子のスタッフが何人かいて、「前に大きな織りの作品を製作したことがあるんですよ」と言っていたのを思い出した。「今も制作しているのですか」と聞くと、「今は仕事が忙しくてやっていない」と言っていて、寂しい気持ちがしたのだった。
 学生たちは大学の織り機で製作していて、自分の織り機は持っていないそうだ。卒業後は、織りの大作を作る機会がないので、卒業制作には力を入れて大作を作るそうだ。
 今後も、素敵な織りの芸術作品を創作し、続けていかれるのを願っている。

 岡村淳さんから、「タユランの糸車」の感想をいただいたので、HP表紙の「書評・感想集」に載せた。



2003年3月5日(水)「ドキュメンタリー映画<ブラジルの土に生きて>岡村淳監督

 私にとってはとても意義深い記録映画だった。「郷愁は夢のなかで」とは対照的な内容で、ブラジルに自分の居場所を作って成功された夫婦の話だった。5人の子供、8人の孫、ひい孫に恵まれ、地元のブラジル人にも慕われて、農業や陶芸などに力を尽くして沢山のものを残された夫婦だった。
 石井延兼さんは1909年生まれ、奥様の敏子さんは2才年下だ。延兼さんは17才の時にブラジルに渡り、4年後に帰国し敏子さんと結婚され再びブラジルに戻られた。
 奥様の敏子さんが大変魅力的だった。後半は敏子さんが主人公のようにも思えた。87才ぐらいのご高齢にもかかわらず、料理を作って家族の健康を支え、心臓病の夫の世話をし、さらに陶芸に打ち込まれている精力的な姿には神々しいものを感じた。アトリエには、お弟子さんがいて、陶器のみならず土も製品化するために熱心に仕事をされていた。話し方も歩き方もてきぱきしていて、体の姿勢も良く、毎日を活動的に生きておられた。
 しかも、この土地、サンパウロから北東650キロ離れているミナスジェライス州に来られた時は、まだ電気もなかったそうだ。何もかも一から始められて自分たちの居場所を作り育んで大きくされたのだ。その生命力と逞しさには頭が下がった。夜には二人で、こうしたものを与えてくださった神様に感謝をしてお祈りをされていた。素晴らしい生き方だった。日本の現代人が忘れてしまった生き方ではないだろうか。

 敏子さんの87才の誕生日には、大人になった娘たちや孫やひ孫に囲まれて楽しそうだった。フランスから娘さん夫婦が来られたり、アメリカからも石井さんの妹夫妻が来られたり、身内からもとても慕われていた。
 地元のブラジル人たちが敏子さんに向けた言葉は最高の賛辞だった。「敏子と知り合って人生観が変わりました。彼女は花や料理、細かなことに心を込めます。彼女と共に生きられるのは幸せです」「台所でも陶芸の時でも、彼女はいつも喜びにあふれています。彼女の喜びが私たちに伝わってくるのです」
 延兼さんが亡くなられた後、敏子さんは一人になられても、「いつも夫がそばにいる、一緒にいるからかえって安心」と料理を作ったり陶芸に打ち込んでおられて、一生懸命に生きておられた。その姿に感銘した。
 延兼さんは敏子さんに「心にかなうもの、これこそ自分の焼き物だと思えるものを残しなさい」という言葉を残された。とても良い言葉だった。私もそうしたものを創作したい。
 延兼さんのお墓参りに来られた知人が、「良いところですね」と農場を褒めると、敏子さんは「良いところにしなくては」と言っておられた。敏子さんの生きる姿勢が伝わってきた。
 一見、淡々と彼らの日常を追っている映像なのだが、とても学ぶことの多い作品だった。年を取るということに希望が湧いてくる作品だ。敏子さんの生き方には羨望を感じてしまう。私は元気がない時、87才の敏子さんを思い出して、ご高齢なのに活動的で一生懸命に生きておられたなあ、と元気づけられている。敏子さんの生きる姿勢は、私の心の支えになった。
 こちらの生きる希望や活力を引き出してくれる作品というのは、映画でも文学でも少ない。特に文学の中には、現実の世界と同様に、見習いたくなるような大人はなかなか登場してこない。何のために生きているのかわからない空虚な人間ばかりが登場するので、最近は文学にも食傷気味だったが、この映画は現代人が忘却してしまった、何もないところから自分の居場所と人生の意味を作り上げていくという、人間のあるべき姿が描いてあった。とても貴重な、多くの人に観てもらいたい記録映画だ。
 星野さんも、この映画の敏子さんを好きだとおっしゃっていた。敏子さんは現在91才でご健在だそうだ。



「イラン映画<1票のラブレター>ババク・パヤミ監督」

 良い映画で好感を持てた。これも、多くの人に観てもらいたい映画だ。舞台はペルシャ湾の美しい島・キッシュ島。
 選挙で投票をしてもらうために、選挙管理委員である女の子が投票箱を抱えてキッシュ島にやってくる。島で待っていた警備兵は、女の子だったので面白くない。男女差別の習慣があるのだ。二人はユーモラスにぶつかり合っている。彼女が「投票は人々のためなのよ」と懸命に砂漠や茂みのある島中を走り回り、警備兵はだんだん協力するようになる。彼女は、様々な現実と問題に直面して無力感に襲われるが、それでも投票で世の中が改善されると信じて、人々に投票を呼びかける。そのひたむきさに、警備兵の心が傾いていく。
 女の子が島を立ち去る時に、警備兵は素朴な恋の告白をする。女の子は意に介さない様子で、迎えの飛行機に乗りこんで行ってしまう。
 警備兵は、いつものようにまた島の見張りに立つ。最後の寂寥感がとても良かった。

 イラン人の特質が窺える映画だった。女の子の信じる気持ちや世の中を改善していこうとする姿勢、無力感を感じても再び希望を持って活動しようとする逞しさ、女性のこうした面に惹かれていくイラン人男性の心など、とても共感できた。



2003年2月27日(木)「嬉しかったこと」

 先日、岡村淳さんと物物交換した。「タユランの糸車」を送ったら、岡村さんはご自分の「ブラジルの土に生きて」という貴重な記録映像の作品を送ってくださった。とても嬉しくてまた元気になった。これは、ブラジルの大地に根ざした日本人夫妻の記録だ。良い話で好感が持てた。特に妻の敏子さんの力強い生き方に羨望を覚えた。子供を産んで育て自立させた後も、夫の世話や陶芸や料理や農業に力を注いで、濃密な人生を生きてこられた。八十代後半の高齢でおられるのに、てきぱきと陶芸や料理などをされていて、心臓病の夫を支え看取られた。一人になられた後も、今も夫と一緒にいる、と言われていたのが印象的だった。
 私もこのような老後を送りたいと思った。
 沢山書きたいことがあるし、長くなるので今度改めて書く。

 照明作家の中村竜哉さんのExhibition“imagination”に行ってみた。2001年2月に西郷山プロジェクトの「灯り展」でご一緒させていただいた縁でハガキをもらい、行ってみたのだ。無機的でありながら想像の空間にいるようで不思議な気分を味わった。ライトの他にも、陶器や家具のデザインもされていて作品が並んでいた。この時にかかっていた音楽も幻想的で現代的だった。この音楽も中村さんの作曲されたものだ。作品も空間も音楽も好きだった。一番好きだったのは、音楽。この春に“imagination”というCDがリリースされるらしいので、買うつもり。中村さんのHPをリンク集に入れた。

 私は毎日、午前中は織物、午後は仕事、夜は小説創作という生活をしている。創作している時が一番楽しくて充実しているが、織物も小説も完成するまで時間がかかるのがもどかしい。まあ、締め切りなどないし、マイペースで好きな時に楽しんでできるので気楽だが。
 最近裂き織りにはまっている。タテ糸はシルク、ヨコ糸を着物のシルク生地で織るのが気に入っている。昨日、Webでも販売しようと思っている裂き織りの小さめのテーブルセンターを桂川先生に見せたら5000円ぐらいが適当だと言われた。
 それぐらいの値段をつけて、「タユランの糸車」の感想を送っていただいた方には1〜4割値引きしようと思っている。いつ販売できるようになるのか、いまだに未定なのだが。
 まだ織物教室に通っているのか、と思われる方がいるかもしれないが、織物は非常に奥が深い。織物をやり始めて5年目、まだまだ初心者だが、その奥深さに圧倒されている。やればやるほど興味がつきない。本格的に織りを身につけようとすると無限に学ぶことがあるのだ。

 “SAORI”手織り教室では手織りの理念を学んだ。その後、“東京アートセンター”では技術を学んでいる。たまに“東京手織機繊維デザインセンター”の手織り講座に行くこともある。
 “東京手織機繊維デザインセンター”の講座や織り機のレベルは高い。ここの社長さんは言う。「うちは手織り教室ではないよ。技術を学ぶところだ」確かにそうだ。ここでは数日間という短期間で朝から夕方まで集中的に学べる。織物教室を主宰されている先生たちが、全国から学びに来られるそうだ。教室ではないから、みんな対等に分け隔てなく会話をする。
 教室となると、そうはいかないのだ。技術を学ぶためというよりは、仲間を作って織りを楽しむ、という人が多くなる。そのため、教室を拠り所にして人々がつるみ、仲の良い者同士のグループができたりする。グループ内の人間の織物に対しては、「素敵ね、素敵ね」と褒め合ったりする。もしも「どうして機械織りみたいなつまんない作品作るの?」と言おうものなら排除される空気がある。仲の良い人間同士はよく話すが、教室に入ったばかりの人やセンスが違う人間は、彼らに話しかけない限り誰とも口をきくことなく教室に通うことになる。
 私は、教室の生徒さんたちが作るバーバリーのマフラーみたいな織物にあまり魅力を感じないのだが、本音を言うと角が立つので「そうですね、素敵ですね」などと適当に合わせたりしている。
 グループや仲間といったものは一体何なのだろうか、と時々考えさせられる。
 桂川先生は優しい先生だ。丁寧だし、親切に教えてくれる。桂川先生のHPをリンク集に入れた。

 3月18日(火)〜5月25日まで、国立西洋美術館で、「織りだされた絵画」という17〜18世紀のヨーロッパのタピスリーの展覧会がある。
 織物の頂点にある芸術なので、多くの人に観てもらいたい。



<ボウリング・フォー・コロンバイン>監督・出演・脚本:マイケル・ムーア

 なぜコロンバイン高校の乱射事件はおきたのか、なぜアメリカには銃犯罪が多発するのかという疑問を検証し、アメリカの倒錯した精神構造を暴いているドキュメンタリー映画だ。
 アメリカでは誰もが銃を持っているから銃犯罪が起きやすいと考えがちだが、それは違うらしい。カナダの人々の銃保有率はアメリカのそれを上回る。ところが、アメリカでは年間一万三千人が銃で殺されるのに、カナダでは百人台で、百分の一なのだ。人口比を考えても、アメリカではカナダの十倍以上の人間が殺される。
 それはなぜなのか。
 アメリカの人々には、誰かが襲ってくるかもしれないという不安と恐怖があるためなのだ。アメリカ政府がことあるごとに武力攻撃をしようとするのも、テロが襲ってくるかもしれないという、不安と恐怖があるからだ。全米ライフル協会会長も、「銃があると安心するんだよ」と言う。その不安と恐怖は、どこからやってくるのだろうか。
 ムーアは言う。「この映画の訴えようとしている究極のことは、コロンバインについてでもなければ銃についてでもない。アメリカというのは今も昔も変わっておらず、恐怖の文化であり、恐怖を感じた時にどのように国内外で暴力的になるのかを伝えているのだ」
 この映画が、アメリカの国際政治のあり方やアメリカ社会を考え直すきっかけになることを願う。

 コロンバイン高校で乱射事件を起こした少年たちは、今虐められている人間は将来もずっと虐められる、今ダメな人間は将来もダメ、という歪んだ風潮の中で虐められて居場所がないと感じたのだろう。
 高校や家庭という世界の中には居場所がなくても、他にはありうるのだ、将来は違うかもしれない、と誰かが示せば、破滅を目指さなくても済んだんじゃないか、と元コロンバイン高生は語っていた。正しい理屈だけど、私はそんなに簡単なものではないと思う。
 他にはありうる居場所が、自分の人生にない、ということが絶望の原因だと思う。今いる自分の世界には居場所はないが、他のところにはありうる、将来は違うと夢想するのは簡単だ。だが、自分の現実の生活や人生の中で居場所を見つけられないのが悲劇なのだ。現実の生活や人生で起きる出会いというのは、運だからだ。だから、他に良い居場所があったとしても、自分の人生にその出会いがなければ、自分は運が悪いと思ってしまう。そうなると、世間だけではなく天までが自分を虐めている、と感じてしまうのだろう。
 これを救うのは、対話だろう。乱射した高校生たちは、世界に怒りを感じていた。なぜ怒りを感じているのか、もっと自分の気持ちを見つめて、親や教師や生徒たちに、怒っている理由を言えば良かったのだ。周りの人間が、その怒りの気持ちをくんで、環境を変えようとしたら、絶望した高校生たちも救われたのではないだろうか。
 みんなが気持ちよく過ごせるように、と誰もが願って努力すれば、絶望することを防げるのではないだろうか。



2003年2月21日(金)「反戦デモに参加する日本人が少ない理由」

 今世界中で、ものすごい数の人々が反戦デモに参加している。ベトナム戦争当時を上回る史上最大規模であるそうだ。アメリカでも約150の都市でデモや集会が行われ、。ニューヨーク・マンハッタンでは15日、約38万人が参加したという。サンフランシスコでは市人口の3分の1を超す約25万人が、市街をデモ行進した。ロンドンでの参加者は、100万人を超えたという。その他、オーストラリア、フランス、タイ、中東でも、大規模なデモが行われ、世界全体でおよそ60カ国、1000万人あまりが反戦デモに参加したそうだ。

 しかし東京・渋谷で行われた反戦デモに参加した人は数千人らしい。どうして、日本では反戦デモに参加する人間が少ないのだろうか。私の周囲でも、反戦デモに参加する人は極めて少ない。みんな心の中では平和を願っているし、世界情勢に関心を向けていると思う。しかし行動をしないのだ。

 日本に生まれ育ってきて、日本人は親しい関係を結ぶのが苦手なのだ、と感じてきた。才能、能力、容姿に恵まれていれば人々は惹かれて寄ってくるが、そういった条件がない人間は友達を作るのが難しいのだ。迎合すれば、友達はできるだろう。日本では、才能、能力、容姿に恵まれない人間は、力関係において合わせたり媚びたり追従する側にならなければ友達を作るのは難しいと思う。日本人は表面的なものに惹かれやすいのだ。
 小学校の時、ある女の子がクラスメートのグループに虐められていた。クラスのみんなは誰一人助けようとしなかった。先生もそうだった。みんな見て見ぬふりをしていた。勉強のできる優等生や良い子ほど、見て見ぬふりをしていた。私も怖くて「暴力はやめなさいよ」と言えなかった。みんな関わりたくないので、その女の子から遠ざかっていった。
 こうしたことと、世界を改善しようと行動を起こす日本人が少ないことは、地続きであるような気がする。身近な虐めを見て見ぬふりをしている大多数の日本人が、イラクに対しても心から救おうとして平和的解決を望む行動を起こしにくいのは、なんとなくわかる。日本人には何かが欠けているのだ。彼らも心の中では、虐めはなくなって欲しい、殺し合いは嫌だ、と平和を願っているのだが。

 でもある男の子が彼女を助けたことがあった。その男の子は落ちこぼれだったが心が優しくてとても勇気があった。
 彼のような人間が、きっと個人の意思表明としてデモに行っているのだろう。僅かだが、こうした日本人もいることは確かだ。そこから平和と希望が立ち上がってくるのだろう。



2003年2月16日(日)<イラク湾岸戦争の子供たち 劣化ウラン弾は何をもたらしたか>森住卓(高文研)」

 これは湾岸戦争(1991年)の時に初めて使用された劣化ウラン弾による放射能被害の実体を描き出したフォトレポートだ。激戦区となったバスラでは、癌による死亡者数が戦前に比べて激増し、年々増え続け、2000年には17倍に達したという。今はもっと増えていて、増加の一途を辿っているだろう。
 アメリカ軍を主体とする多国籍軍が使用した劣化ウラン弾の使用量は、300トンから800トン、「広島に落とされた原爆の一万四千倍〜三万六千倍の放射能原子がペルシャ湾にばらまかれた。長期にわたって広島原爆の二万倍から三万倍の放射能が住民を襲うのである。ウランの放射能半減期が45億年であることを考慮すると、イラク、クェートの住人は永久に健康障害に苦しめられるのである」(矢力崎克馬琉球大教授)という。その結果、白血病や癌患者が激増したのだ。

 湾岸戦争の時、テレビの画面では、青白い夜空の中をハイテク兵器の様々なミサイルが飛び交っていた。アナウンサーは、ピンポイント攻撃で正確に敵の目標物を攻撃している、と繰り返していた。まるでテレビゲームを見ているような非現実的な感じだった。
 しかしこの時、空の下では、私たちの想像を絶する残虐な大量殺戮が行われていたのだ。バグダッドのアメリアシェルターでは、1991年2月13日、ミサイルの攻撃によって非難していた市民1500人が犠牲になった。内部は500度以上の高熱になり、全員が焼け死んだ。シェルターの壁面には、犠牲になった人々の顔写真が追悼のために飾られている。壁や天井には、犠牲になった子供たちの皮膚や髪の毛が張り付いている。まるで、「熱いよー、助けてー、お母さーん」という叫び声が聞こえてきそうだ。

 無脳症や様々な先天性異常を持って生まれてきた子供たち、白血病や癌でいびつな姿になってしまった子供たち、栄養失調で老人のようになってしまった赤ん坊たちの写真もショッキングだった。
 湾岸戦争以後、バグダットの病院でも白血病や癌が戦前に比べ10倍にも激増した。先天的な障害児の出生児は30パーセント近く、ざっと四人に一人の比率になる。
 劣化ウランの微粒子は二十五マイル以上も風下に運ばれる。このミクロン・サイズの微粒子が人体内に入れば、数年、あるいは数十年肺に滞留し、周囲組織に放射線を浴びせ続ける。地上に落ちた微粒子は、地下水を汚染する。体内に入れば、癌、白血病、先天的な障害児出産、などを引き起こす。しかも、放射性ウランは遺伝子を傷つけ、何世代にもわたって悪影響を及ぼすのだ。
 恐ろしい話だ。しかも、国連の経済制裁により激しいインフレを起こし市民は困窮状態で特に子供たちの栄養状態は極めて悪い。しかも浄水用の塩素剤や殺菌剤も化学兵器の原料になるという理由で輸入できず、水道水の衛生状態も悪化している。医薬品も、化学兵器の材料になるからという理由で規制され極めて不足している。そのため、簡単な病気でも死んでしまう子供が増えているのだ。
 さらに「放射能汚染地帯」として国連に指定されている地域でも農業が営まれ、汚染されたキノコやトマトがイラク全土に出回っている。
 湾岸戦争と経済制裁は、イラクへのジェノサイドではないだろうか。あまりに非人道的なやり方だ。
 白血病のある少年は、「将来はパイロットになってアメリカと戦いたい、復讐をしたい」と言っていた。

 米国はイラク攻撃への準備を着々と進めている。もしも攻撃したら、非常に恐ろしいことになりそうだ。
   
 読売オンラインによると、15日、イラクへの武力行使に反対するデモがアジア、中東から欧州に至る世界各地で一斉に行われた。抗議行動は世界約60か国、400都市で数百万人が参加して行われ、ベトナム反戦運動最盛時のデモを上回る史上最大規模だったという。イギリスでは100万人、ベルリンでは50万人、ローマでも100万人がデモに参加した。
 東京・渋谷でも市民団体などの呼び掛けで約5000人が「ピースパレード」に参加した。米国のイラク攻撃を阻止するのは、こうした個人行動だろう。
 私もデモに参加したいのだが、まだ体力に自信が持てないため、しばらく休養している。
 この本を、「お気に入りの本とイベント情報」に入れた。



2003年2月7日(金)「<大東亜戦争は日本が勝った!ーブラジル最後の勝ち組老人>岡村淳監督」

 HPを開設していると、たまには良いことがあるものだ。なんと、岡村淳さんがメールをくださった。岡村さんがご自分の名前を検索されたところ、私のホームページに行き当たったそうだ。岡村さんは、2002年12月7日(土)の日記に書いた「ドキュメンタリー映画<郷愁は夢のなかで>の作者だ。
 ここのところ風邪をひいていたのだが、感激のあまり風邪ウイルスが吹っ飛んで元気になった!

 このドキュメンタリー映画は、去年の12月5日に早稲田大学でツレアイと一緒に観た。戦時中、ブラジルの日系移民たちは“勝ち組”と“負け組”を形成していた。“勝ち組”とは日本の敗戦を信じることができず、情報不足と不安の中で日本が勝ったと狂信的なまでに信じていた人たちだ。“負け組”とは日本が負けたことを受け入れた人々だ。当時、“勝ち組”の言動は犯罪につながるほど過激だったそうだ。それほど、日本が勝ったと信じることが、ブラジル移民たちの心の拠り所になっていたのだ。今でも、日本が負けたことを情報としては受け入れているが、心の中では納得がいかずずっと日本が勝ったと信じ続けている移民が少数ながらいるそうだ。この映画は、そうした“勝ち組”である老人の話だ。
 彼らは、なぜ日本の勝利を心の拠り所にせざるを得ないのだろうか。外国へ移住することで、自分のアイデンティティや居場所がわからなくなってしまったのだと思う。ブラジルでの不安定な状況の中では、“日本は勝った”という幻想にしがみつくしか、他に希望がなかったのだろう。見終わった後、やるせなさと寂しさが後を引いた。
 この日は、星野智幸さんと岡村淳さんとのトークもあった。岡村さんの暖かい人柄が伝わってくるトークだった。
 私のツレアイは一番前に席を陣取り、岡村さんに質問をしていた。星野さんに二年ぶりぐらいにお目にかかって嬉しかった。

 岡村淳さんへのインタビュー



タピスリー/完璧な織機

 本来「タピスリー」とは、ヨーロッパの中世の城に飾られていた何百年も当時のままの状態を保っている織物の壁掛けのことだ。ベルサイユ宮殿内にあるもの(名前をよく知らない)、アンジェ城の“ヨハネの黙示録”やパリのクリュニー美術館にある“貴婦人と一角獣”は有名だ。
 これらは綴れ織りの技法で織られている。日本で、綴れ織りの「タピスリー」を製作するためには、竪機(たてばた)や水平機などの綴れ織り専用の織機が必要となる。通常の卓上織機や足踏み式の織機では、難しいそうだ。
 東京アートセンターの講師で綴れ織りで有名な桂川先生は、綴れ織りは、卓上織機では機の三分の一の幅、足踏み式織り機でも機の三分の二〜四分の三の幅のものしか織れないとおっしゃっていた。桂川先生に、綴れ織りができる織機なら、東京手織機繊維デザインセンターのものが良いと言われて行ってみた。
 確かに、社長さんと箕輪先生も、綴れ織りを通常の足踏み式織機でやる場合だと機の三分の一の幅のものしか製作できない、とおっしゃっていた。
 これはどういうことかというと、社長さんと箕輪先生によれば、「タピスリー」というのは長年壁に掛けておくとタテ糸(フリンジになる方向の糸)が伸びて布が歪んでくるのだそうだ。これを防ぐために、タテ糸を強く張ってヨコ糸を強く打ち込む必要がある。ヨーロッパの城にあるタピスリーは、何百年も先のことを考えて、専用の織機でしっかりと強く織られているそうだ。そのために、当時のままの美しさを保っていて歪みがないのだ。
 一般の卓上織機や足踏み式織機で、機の幅を一杯に使って綴れ織りのタピスリーを製作すると、出来上がった時は美しいが10〜20年経ってから布が歪んでくるそうだ。これは織幅が広くなると織機に負担がかかるためタテ糸を強く張れなくなるからだ。
 つまり、タテ糸を強く張れるかどうかがポイントで、その張力に耐えうる織機が、綴れ織りには向いているのだ。

 いろいろ織機を使ったり見たりしたが、服地を織るならシャクトスピンドル社のものが一番良い。一般の織機は、男巻きと女巻きの部分が歯車と歯車止めで固定されていて、ある程度織ったらその都度歯車止めを外して布を巻き取らねばならない。しかしシャクトスピンドル社のものは違う。男巻きの部分がワイヤーで固定されていて、椅子の近くにある手前のレバーを下げるだけでワイヤーが緩み簡単に布を巻き取ることができる。布の巻き上げが簡単なのだ。しかし、西陣の綴帯や綴れ織りの「タピスリー」製作には、一般の織機と同様に向かない。
 綴れ織りも服地も織れる完璧な織機は存在しない。何を織りたいかによって織機も違ってくるようだ。

 今年は、織物のwebショップを開いてみるつもりだが、織物は(小説もそうだが)、商売を目的にするとつまらない作品になりがちだ。売るために割が合うかどうか、多くの人々に気に入られるにはどうすれば良いか、などという邪念が入り込んできて、織りそのものを楽しめなくなってしまう。これではただの商売になってしまって、webショップをやる意味がない。何千円を儲けるためにやりたいのではない。小説の感想を送っていただいたら織物をお安くします、という方法で本が売れればと思い立ち、webショップをやるつもりなのだ。
 しかしどちらも道楽のようなものだ。私にとっては、生き甲斐なのだが。
 織物は、百貨店ではお目にかかれないようなユニークなもので、なおかつ素材にこだわったものを並べるつもりだ。文学を志す人間がやるのだから、普通の織物ではない。文学的織物だ。心の営みとしての織物で、言葉が糸に変身したものを製作したい。
 織物も一生やっていきたいので、楽しみながら製作して作品がたまったところでwebショップ開設したい。楽しみながら、というのが重要で、楽しくないとユニークな織物は生まれないと思う。
 もしも、待ってくださっている方がおられたら、メールアドレスを教えていただければ、webショップ開設の時にいち早くお知らせ致します。



「イラクに行く普通の人々」

 イラク国際市民調査団というNGOや、一水会の木村事務所の 「ブッシュ政権のイラク攻撃に反対する会」が、イラクを訪問するツアーを組んでメンバーを募集している。喜納昌吉の歌グループもイラクに行くそうだ。「ブッシュ政権のイラク攻撃に反対する会」の発起人・賛同人リストには、沢山の政治家や文化人や学者の名前が載っている。イラクでは、2月19日〜21日に、NASYO(非同盟学生青年機構)主催の"NO TO AGGRESSION & WAR ON IRAQ"という国際的な反戦会議がある。これは大きな催しもので、キャンドルマーチ、平和行進、侵略反対のキャンペーン、などもあり、この日に向けて世界から多くの人が集まる予定だ。先日もイギリスから数十人がイラクに入り、その後数百人がイラクに向かう予定であると新聞に書いてあった。
 マスコミは、イラク攻撃に反対するための「人間の盾」、という言葉を強調して報道しているようだが、それには少し語弊がある。
 目的は一人一人違うだろうが、ツアーは「人間の盾」になるのを第一の目的として組んでいるのではない。イラク国際市民調査団を主催するジャミーラさんは、イラクの窮状を知ってもらいたい、だからイラク攻撃が終わった後もツアーを続けていくと、おっしゃっていた。木村事務所も、戦争が始まったらすぐに中止するそうだ。
 食うに困らない国で生まれ育った私たちが、イラクの窮状を自分の目で見ることにはとても意義がある。しかし、今の局面で行くのは危険ではないだろうか。もしかしたらその危険を凌ぐ大きな意義があるかもしれない。
 私にはわからないが、彼らの無事を祈るばかりだ。



2003年1月25日(土)「<エトロフの恋>島田雅彦(新潮一月号)」

 心に染み入るものがあった。とても魅力的な小説だったので、最近はエトロフの主食である鮭ばかり食べるようになった。
 これは、「彗星の住人」の続編である。喉の病気で歌手を引退し、日本ではホームレスになり、男性機能も不能になった50才ぐらいのカヲルが描かれている。カヲルは皇太子妃になった不二子を恋するゆえに、日本を追放され、友人の勧めでエトロフに移住する。
 つき合う男が次々に死ぬというジンクスを持つニーナ、ニーナの弟、シャーマンである彼らの母親との交流によって、カヲルは過去の人生と向き合っていく。カヲルの内面や人々との触れ合いが、エトロフの寒風や冷たい海、寂れた街や森を背景に描かれていた。
 カヲルが13才の頃に、不二子は父親の海外赴任に伴ってアメリカへ移住し、それ以降は文通のつき合いになる。あまり現実的なつき合いはなかったのに、どうしてカヲルは不二子にあれほど強い想いを抱いているのか理解に苦しんだ。カヲルが不二子に惹かれる理由、不二子がカヲルに惹かれる理由が、「エトロフの恋」のみならず「彗星の住人」の中でもよくわからなかった。
 人に惹かれる気持ちに理由はない、と言われれば、そうですか、と答えるしかないけれども、なぜ惹かれていくのかそれを他人にも理解できるように表現するのが文学ではないだろうか。
 カヲルとニーナの恋には共感できた。お互いに関わり合っていく過程が丁寧に描いてあってとても自然だった。

 カヲルは非常に不遇だったために、不二子の幻影を求めざるを得なかったのだろう。まるで不幸な人間が神を求めるように。
 カヲルの頭から不二子のことが離れないのは、不二子との関係が未完だったからでもある。カヲルは年月を経てエトロフに来ても、未完の関係を引きずっているのだ。
 小説の最後に、カヲルはニーナの弟と森に入る。そこで、マモルや不二子など過去に関わった人々の霊と対面する。カヲルは、彼らと対話をすることで未完の関係を完結させようとしたのだと思う。
 ニーナとつき合っているカヲルは、ジンクス通り死ぬのだろうか。
 不安と希望が入り混じったまま、沢山の謎を残して小説は終わる。
 カヲルの孤独と哀しみ、どん底の状況下で憂鬱と不安を抱えながらも希望を持って生きようとする健気さに心を打たれた。小説空間に共鳴して、読んだ後も何日間かカヲルの気持ちを味わっていて、他の小説をすぐに読む気にはなれなかった。
 今まで島田さんの小説は、純文学とエンターテインメントの中間の読み物だと考えていたが、この小説は純文学だと思う。
 また続編が出たら読みたい。



2003年1月13日(月)「フランス映画<デュラス愛の最終章>」

 マルグリット・デュラスは好きな作家なので観に行った。デュラスの小説に見られるように映画もどこかけだるく淡々とした調子で進行するのだが、奥深くに二人の深い情熱が感じられる作品だった。
 過去10年間書けなくなっていたデュラスは60代の半ば、5年間手紙を送り続けてきた読者のヤン・アンドレアという大学院生と出会い共に暮らし始める。その後16年間共に生活し、ヤンはデュラスの愛人として秘書としてデュラスの仕事を全面的に支持していく。ヤンはデュラスとの生活に息が詰まり、家を出て行こうとする。しかしお互いにお互いなくしてはいられないのだ。デュラスにとっては、ヤンは助っ人であるばかりではなく、創作活動においてインスピレーションを与えてくれるミューズでもあるのだ。実際に晩年の作品は、ヤンとの関係をもとに描かれているものばかりだ。デュラスがアル中で入院した時も彼は献身的に看病し、退院後もヤンはデュラスの口述を世に送り出すべくタイプを打ち続ける。私の印象に残ったシーンは、充実感に溢れるような笑顔の中で、二人が仕事をしているところだった。
 このようにして、デュラスはヤンと出会って以来、息を吹き返したように次々と作品を生み出していく。(その中には名作「愛人」もある)老いたデュラスはついに病気で亡くなるが、ヤンは最期まで尊敬し続け看取った。

 高尚な愛の物語だが、ミューズと呼ばれる人間の生き方には少し胡散臭さを感じるところもある。ロダンの愛人でもあり彫刻家でもあったカミーユクローデル、ヘンリーミラーの愛人であり小説家であったアナイス・ニン、リルケやニーチェの愛人の学者ルー・サロメ、など歴史上でもミューズと呼ばれた人たちが沢山いる。しかし彼らは、小説家として、芸術家として、学者として、果たして一流だっただろうか。彼らは、知性もあって顔も良い。しかし結局のところ、その知名度は大物の芸術家・文学者の威を借りたものではないだろうか。
 ヤンの著作「デュラス、あなたは僕を(本当に)愛していたのですか」は興味深いが(デュラスのことが書いてあるので)、デュラスの文体にとてもよく似ている。作家志望だったということだが、彼の小説はどの程度のものなのだろう。カミーユクローデルの彫刻もロダンの彫刻に似てはいないだろうか。
 ヤンの愛の裏側には、自分が何者かよくわからない、才能も今一つ足りない自信の欠如があったのではないだろうか。(私はアナイス・ニンにも自信のなさを感じる)
 ヤンとデュラスなど、ミューズたちと大物の芸術家・文学者との愛の関係では、弱い自我が強い自我に吸収されていたケースが多かったのではないだろうか。もっとも、ミューズと呼ばれる人間は大物に取り込まれることで勉強しているのだろうし、大物にとってはミューズは創造の役に立つ都合の良い存在なのだろうが。
 創造的な愛には違いないのだが、自我と才能における強者と弱者が都合良く合わさって同志になっているという感じだ。確かにかけがえのない友人ではあろうが(セックスがあるにせよ)、愛とはこんなものなのだろうか。
 相手に似る同志で終始するのではなく、お互いに違う感性と方向性を保つ強い自我と強い自我が、何の見返りもなく一緒にいることを楽しみ、助け合うことが、理想ではないだろうか。

 星野智幸さんの「紙女」にもミューズが登場していた。(「一冊の本」という雑誌の2000年3月号に載った「紙女」を読んだ方はどのぐらいいるのだろうか)この小説の話はこうだ。主人公の小説家「私」は、小説家志望の「紙女」と出会う。二人は同棲をし結婚をする。「紙女」は「私」の性格に似てきて何から何まで気が合うようになってくる。好きな音楽、好きな食べ物、好きな風景、食事をしたくなる時間、不機嫌になるタイミング、映画を観た後の感想の言葉、すべてが似てきたのだ。「私」が「紙女」の体に言葉を書くと、「紙女」は一字一句間違えずに憶える。
 「私」と「紙女」は、お互いを理解してお互いになりきってしまおうとしていた。しかし結局のところ子供ができたのをきっかけに限界に行き当たる。言葉を取り込む側ではなく言葉を植え付ける側の親になったことを自覚すると戸惑い、自分が何者なのかわからなくなってきたのだ。「紙女」は自分は何のために生きているのかわからないと憔悴し、「私」は以前のように書く言葉が出なくなってくる。「私」は「紙女」の自信を取り戻そうと、「紙女」の体に言葉を刻み刺青をする。しかし「紙女」はついに焼身自殺をしてしまう。

 「紙女」が「私」になりたいと望み、何から何まで似てきて、相手のすべてを取り込もうとしたこと、これは本当に愛だったのだろうか?
 私は、こうした「紙女」みたいなミューズに、自信の欠如、自我の弱さを感じて、その愛にも胡散臭さを覚えてしまうのだ。

 デュラスの作品に出てくる愛はとても好きだ。映画では、デュラスの言動の不安定さからヤンが家を出ていこうとするシーンが出てくるが、実際のデュラスが人間に抱いた愛は本物だったと思う。
 特に好きな作品は、「かくも長き不在」(ちくま文庫)。もう出版されていないかもしれないが、主人公の女性の美しさに感動した。テレーズの夫はアルジェリアの戦争に行き死亡も生存も確認されていない。しかし夫が帰ってくるのをずっと待ち続けている。16年後のある日、夫とそっくりの記憶喪失の浮浪者に出会う。彼こそが戦争に行った夫だとテレーズは信じる。彼女は周囲の人々に何と言われようと彼の記憶を引き出そうと必死になるのだ。
 「娘と少年」(朝日出版社)も娘と少年との美しい交情が描かれていた。浜辺でのひとときの心の触れ合いの後、さあもう帰りのバスが来たから行きなさい、と娘が別れを促す。少年はまだ6才なのだ。デュラスとヤンの関係の奥にある愛の感情がモデルになっていると推測する。

 ヤンが映画の中で言う。「最後の年も彼女は明晰だった。しかし死は間近に迫っていた。<どんなに疲れているか想像できる?>それは初めて聞いた言葉だった。彼女は病気で死ぬのではない。世界を見すぎて、あらゆる愛人たちを愛しすぎて、世の中の不正に怒りすぎて死ぬのだ」
 私は、作品を通してデュラスの心の美しさに惹かれていた。



2003年1月2日(木)「明けましておめでとうございます」

 明けましておめでとうございます。
 今年は、織物のウエッブショップを開設し、三作目の小説「キャラバンサライ」をアップするつもりですので、よろしくお願い致します。(いつになるかはまだ未定なのですが)
 ここを訪れた皆様のご健康とご多幸をお祈り致します。



「ペルシア文学<ライラとマジュヌーン>ニザーミー著(東洋文庫)」

 これは、神秘主義の教科書ともいわれている12世紀頃のペルシア文学の作品だ。不思議で奥深い、胸を打つ悲恋物話だった。この本は今は出版されていないので、古本屋で買うか図書館に行かないと読めない。

 少年カイスと少女ライラは、名門の子弟が集まる学校の生徒だった。カイスとライラは惹かれ合うようになり、学友が数学を学んでいる間に、恋いの視線を交わし合うようになる。カイスはライラへの恋に耽溺していく。恋がどういうものかを知らぬ世間は、カイスをマジュヌーン(狂人)と呼ぶようになった。
 彼らの燃え立つ恋を知ったライラの親は、マジュヌーンからライラを隠し、二人は引き離された。マジュヌーンは悲しみ嘆き、ライラの家の近くを彷徨うようになる。ライラの父親はそんな彼をますます狂人扱いし、遠ざけた。
 ライラもマジュヌーンに恋をしていて一時たりとも忘れることはなかったが、家柄の良い地位も人望もあるイブンサラームと結婚することになる。ライラはイブンサラームを心から愛することはできず、密かにマジュヌーンを想い、貞操を守る。
 マジュヌーンはますます悲嘆に暮れ、寝食を絶ち、荒野を彷徨い動物たちと暮らし始める。マジュヌーンの両親も、息子の悲運を嘆きながら年老い、この世を去っていく。
 ライラの夫イブンサラームも、病気になりこの世を去る。寡婦は世の人に素顔を見せてはならないというアラブの習慣にライラは従い、ずっとマジュヌーンのことを想いながら家にこもった。ライラは懊悩していたが、やがて疱瘡にかかり美しい面影もなくなり体はやせ細る。
 ライラは、母親を病床の枕元に呼んで言う。「私はもうすぐ死んでいきます。私の命すなわちマジュヌーンこそが真の愛を捧げることのできるお方でした。あの方にお会いする一瞬の喜びのために私は生きていたのです。でもあの方にお会いできずに死んでいくのですから私の願いを聞いてください。死ぬと決まったこの身、マジュヌーンの花嫁の死化粧には、あの方の涙で髪を洗い、あの方の足元の土で睫墨としてください」と今まで自分の心だけに秘めていた苦しい恋を告白する。こうしてライラは死んでいった。
 マジュヌーンは、ライラの死に心を取り乱し、ライラの墓に取りすがって慟哭した。彼はこの恋に殉じて墓のもとに祈祷所を作って留まった。ついにマジュヌーンも頭を地に伏せ、ライラの墓を抱くようにして息絶える。マジュヌーンは、冠も帯もつけていない。血は乾ききり、一握りの土のようにライラの墓のうち伏していた。

 簡単にストーリーを書いたが、イラン人の精神性が読みとれる文学作品だ。今のイランには厳しい規制はあるが、1979年のイスラム革命より以前はアメリカの影響を受け、洋服や娯楽の規制もなく自由だった。イスファハンには、サファヴィー朝後期(17世紀頃)に建築された、王が200人もの女性を囲っていたといわれる宮殿もある。
 時代とともにイランの様相は移り変わるのだ。しかし、イラン人の心は変わっていない。時代を超えたイラン人の心とはどういうものか、この文学作品から窺い知ることができる。
 ライラとマジュヌーンのお互いを愛する気持ちは普遍的だった。全能の神にひれ伏して祈るような気持ちで愛し合っていた。二人は、魂のレベルで結ばれていたのだ。魂や生命は、人間の能力を超えた自然の一部であり、生きるということは全能の神に帰依していくことである。誕生も愛も死滅もすべて、アッラーに従っていく他ないのだ。
 二人の愛は、外部の圧力で無理矢理引き離されたため、一生悩み苦しみ、孤独で悲痛な生涯を送ることになった。
 ライラは、本心を偽り外部の期待に合わせて生きたが、マジュヌーンは生涯を通して自然や万物の創造主と一体になろうとする求道者だった。