2002年12月31日(火)「クローン人間/人体実験」

 数日前、スイスのカルト教団「ラエリアン」が、クローン人間の誕生を発表した。イタリアの医師らも不妊治療としてクローン人間をつくる計画を進めている。
 今のクローン技術では牛や羊を使った実験でも成功率は低い。原因不明の異常が出てくるのだ。
 この段階でクローン人間を作ることは、人体実験ではないだろうか。
 カルト教団は、人体実験を、宗教の論理で正当化しているのではないだろうか。

 米国のイラク攻撃、米国と北朝鮮との間の緊迫した状況、北朝鮮拉致事件、世界は相変わらず不穏な空気に包まれている。しかし、国際世論としては平和的解決を望む声が多くなっている。民衆の願いと政治の動きとの間にギャップがありすぎる。個人の力の及ばないところで、世界は政治権力によって勝手に破滅へと滑り出している。
 これをくい止めるのは、地元の議員に直接働きかけることや署名やデモなどの個人の活動だろう。



2002年12月20日(金)「<僕は勉強ができない>山田詠美(新潮文庫)」

 昔「ベットタイムアイズ」と「ジェシーの背骨」を読んだときは、わりと才能ある作家だと思った。でもその後の山田詠美の作品はつまらなくて、お金と時間とエネルギーを無駄に使うだけになったので、だんだん買わなくなった。でも先日、タイトルに惹かれてこの小説を買って読んだら、けっこう面白かった。
 主人公の高校生、「僕」は大らかで心優しいが勉強ができない。いろいろな先生や生徒たちとの出会い、恋人や家族との関わりが、軽くて明るい口調で描いてある。無駄な文章がないし、教育問題に潜む大人の病みについてもさらりと描かれていて深刻なテーマが横たわっているのに読みやすい。

 だが疑問に感じるところもあった。虐め、若者の無気力反応であるスチューデントアパシー、現実が生き生きとしたものに感じられない離人症的な感覚、など青少年たちの闇の領域には今一歩踏み込んでいなかった。その上女の子たちが、女性の価値がまるで容姿にあるかのように、「キレイ、カワイイ」に重きを置く社会風潮に追従して描かれていて、古くさくつまらなかった。
 山田詠美はこうした社会風潮から距離を取り、内面から滲み出る女性の魅力を描いているつもりだろうし、人間的な魅力や優位な位置にあるということを示すメタファーなのだろう。人間としてわりと魅力的に描かれている女性は、容姿も美しく描かれていた。見た目にとらわれている中身の貧相な美人の女の子は批判的に描かれていた。しかし魅力的な人間として描かれる女性はどうして常に容姿まで美しく描かれるのだろう。男性の場合はそういった描かれ方はされていないのに。山田詠美は無意識に、男女差別的な風潮に追従して書いている。
 山田詠美に限らず、多くの作家・芸術家は、共感を持たれるような女性の登場人物には常に美しい容姿を与えてしまう。それはほとんど女性の登場人物に限ってなのだ。女は美人に越したことはない、という無意識の男女差別的な感覚があるのだろう。
 実際に、美人が得をし不美人が損をする世の中だ。そのため女の子たちの間では美容整形が流行っていて若年層にまで広がっている。女性の容姿に価値を置く社会風潮の裏側には自信の欠如がある。こうした社会の歪んだ面を無意識に肯定し助長させてはいないか、文化人はそういったことをよく考えて作品を発表したり発言して欲しい。
 
 「僕」と関わっていく他人が走馬灯のように登場しては退場し、人間関係が幅広く描かれているのだが、浅いところもあって物足りなさが残った。
 日本では、勉強やスポーツができる有能な男の子、カワイくてスタイルの良い女の子が尊重される。世間の人々は、人間の目に見えない心や自分独自の生きる姿勢よりも、見た目や機能性の方に磨きをかけ大多数に従うことに価値を置くのだが、主人公の「僕」は、こうした世間の「常識」「正論」と呼ばれているものを壊し、自分独自の価値観のもとに生きようとするのだ。とても健全な男の子なので魅力があった。でも女の子たちにはこうした強さがなかった。
 でも、今の病んだ世の中では、「僕」のような健全な男の子を描いた作品は意義がある。そのうち「お気に入りのイベント情報と本」のコーナーに入れようかと思う。

 山田詠美は小説表現においてセックスの使い方が安易ではないだろうか。セックスは頭でするものではなくて本能や感覚で、といった姿勢がある。一般にセックスをしたがる人は多いが、相手の知性や人間性に興味を持つ人は少ない。コミュニケーションの延長にセックスがあるのだ。
 性教育という言葉があるが、まず他人の中身に興味を持つところから始めるべきだ。離人症的な感覚が蔓延しているので、他人に興味を持つのは難しいのかもしれない。だからといって、相手のことをよく知らないのに、感覚や本能でセックスするのは欺瞞だ。
 山田詠美はセックス描写によって、セックスではない部分を読ませようとしているのだろうが、それにしてもセックスの使い方が安易だ。



「石原慎太郎は危険人物」

 石原都知事が『週刊女性』で「女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪です」と発言。その後も、都議会などで女性への差別発言があったという。
 石原慎太郎には、出産しない女性、閉経後の女性、障害者、同性愛者、在日外国人、老人、病人、もともと生産能力の低い人々に対して、社会的弱者は存在価値がないと決めつけ排斥する考えがあるのだろう。この男の頭の中にあるのは、自分が社会を牛耳って威張りたいという空虚な権力への志向だけではないだろうか。
 生産能力の低い自立できない人々が、子供を作ったりするのは、子供の人権を考えるとどうかと思うのだが、今生きている人間はどんな立場であろうと存在を否定されるべきではない。
 社会的強者は単独では存在せず、社会的弱者によって支えられ存在しているのだから。社会的強者は、社会的弱者がいるがゆえに存在できるのだ。そこを石原慎太郎は勘違いをして驕り高ぶっている。
 119人の女性たちが「石原発言は女性の人格を否定し、名誉を棄損するうえ、都知事の肩書で行われたという点で、女性に対する差別や暴力を助長する恐れがある」と提訴した。石原慎太郎には都知事を辞めてもらいたい。



2002年12月7日(土)「ドキュメンタリー映画<郷愁は夢のなかで>岡村淳監督」

 見終わった時には絶句して、涙がぼろぼろ出ていた。こんなに深く感銘した映画は、もう何年もない。さっそく私のHP表紙にある「About me」の中の「好きな映画」の欄に入れた。

 ブラジルの奥地の町に、世間とのつき合いを絶ち、自作の「浦島太郎」の話を作り続けている独り身の老日系移民一世がいる。1917年鹿児島生まれ。その老人の名は、西佐一さん。郷愁にかられながら、日本とブラジルの両方に絶望させられたブラジル日系移民一世の心象を描いた作品だ。

 岡村さんが、小屋で一人暮らしをしている老人の佐一さんを何度も訪ね、ようやく心を開いた佐一さんに話を聴かせて貰う。佐一さんは、精神修養が大事だと言う。岡村さんが、どんなことをされていますか、と尋ねると、「知らない人でも本当のことを言う。正直になることが大事。人の悪口を言わない、聞きたくもない」と答える。「日本人は利己主義、人をなかなか信用しない。ここブラジルは、人が親切でつき合いやすい」と言う。「浦島太郎」の話の中でも、利己的な人間が勝手に地球をほじくって下げている、というくだりがあった。
 ある日、佐一さんが行方不明になる。居所を探し出すと、養老院で亡くなったことがわかる。岡村さんは、養老院の職員や佐一さんの友人や日本の親族に会い、生前の佐一さんについて話を聴いていく。

 佐一さんは、中学卒業後、夢と期待を抱いて叔父とブラジルに渡る。ブラジルに移住するつもりはなく、お金を稼いだら日本に帰るつもりだった。親しいつき合いをした女性もいたが、自分がいずれ日本に帰ったら妻が淋しい思いをするだろうと、自ら結婚をしなかった。家族や親族のいる祖国で暮らすのが一番良い、と言う。真面目な働き者だったが、人生の半ば、購入した土地でコーヒー栽培をするが失敗。今度は野菜を栽培して収穫を得るが、安い値段で売ったために収入を得られなかった。ブラジルを立ち去ろうと土地を売って六十二才で日本に帰る。この時は、再びブラジルに戻ることは考えていなかった。
 故郷の鹿児島は、方言も通じないほど変わり果てていた。子供の頃に遊んだ川や田畑は住宅になり人々の心も変わっていた。
 両親はすでに亡くなっていて、出迎えた兄姉は、佐一さんのみすぼらしい身なりを見てがっかりし、顔色も悪かったので、ブラジルから病気をもらってきたのではないか、と不安になったという。「いくらのお金を持って帰ってきた?」と兄は詰問する。「八万円……」と佐一さんが答えると、兄姉は落胆した。
 佐一さんは住むところがないので、姉が仕方なく引き取った。畑の隅にある小さな倉庫みたいな掘建て小屋に住まわされるが、佐一さんは、どうしてこんな粗末なところに住まなければいけないんだ、と怒っていたという。佐一さんは自らすすんで仕事を貰おうとしたが、収入を得るのは難しかった。友人も知り合いもなく、故郷に居場所がないことを悟る。
 十ヶ月後に、親戚からお金をもらいブラジルに再び戻ることになる。「手紙は出さないよ」と見送りに来た姉が言う。佐一さんは、兄姉に振り向くことなく空港に消えていった。 佐一さんはブラジルに戻ったが、そのお金を悪質なブラジル人に盗まれてしまう。
 佐一さんは、サンパウロからバスで24時間かかる奥地で、二メートル四方の掘建て小屋に住み、世間との関わりを絶ち引きこもった。前から書いてきた自作の「浦島太郎」を書き続ける。誰にも読ませるつもりのない、自分に向けての物語。その内容は、年齢とともに少しづつ変わっていったそうだ。
 佐一さんは年老い、ブラジル人が彼を引き取り、その家の離れに住むようになる。世話を受けていたが、佐一さんは病気になり、身寄りがいないので養老院に入る。養老院の職員の話によると、佐一さんは沈みがちだったという。「日本に戻りたいのですか?」と聞くと、彼は「自分は人生のすべてを失ったから日本には帰れない」と答えたという。
 1995年に阪神・淡路大震災が起き、その様子をテレビで見た佐一さんは、神戸の親戚を心配していたそうだ。だが、親戚はとうの昔に神戸から引っ越しをしていて、そのことは佐一さんには知らされていなかった。
 この震災の後に、佐一さんはお亡くなりになった。

 とても切ない、心をえぐられるような実話だった。淡々とした語りや映像から、佐一さんの温かさ、誠実さ、人生への落胆、悲痛な涙が滲み出ていた。
 晩年の佐一さんは、「日本のことは思い出さないようにしている。思い出すと淋しくなるから。……でも日本が夢に出てくる」と言っていた。
 日本にいる年老いた姉は、岡村さんが「佐一さんが夢に出てくることはありましたか?」と尋ねると「いいえ、ないですね」と言っていた。
 映画は、日本に落胆して再びブラジルに戻る時の佐一さんのパスポート写真が映し出されて終わる。佐一さんは、とても悲愴な顔をしていた。

 前回の日記に、西佐一氏が絶望したのは、故郷を離れて物理的に拠り所を失ったというよりは人間関係を失ったからではないだろうか、と簡単に書いたが、そこには人間関係を失ってしまわざるを得ない複雑で深い実情があったのだ。
 『ホームレスになった』金子雅臣(築地書館)によると、ホームレスは、事業の失敗から、家族の人間関係が破綻して、路上に出てくる場合が多いそうだが、それは佐一さんにも共通している。
 日本社会の歯車から弾き出され、ブラジルも安住の地ではなく、悲しみ嘆く魂の姿があった。
 
 佐一さんのブラジル移民の友人が言っていた言葉が忘れられない。「知り合いも友人もない見知らぬ土地で、人知れずぽっくり死んでいく移民の無縁仏が沢山いる」
 異国に移住するということはどういうことか、拠り所とは何なのかを考えさせられた。

 日本は一見豊かで文明国に見えるが、人々の内面は病んでいて、独身者や離婚の増加、家庭内暴力、虐め、学級崩壊、人間関係障害など様々な問題が起きている。日本に住んでいても、誰とも親しい関係を築かずに、ぽっくりと人知れず亡くなっていく独り身も増えていくことだろう。ブラジル移民の無縁仏の問題は、日本で抱えている問題と地続きなのだ。
 拠り所・居場所とは何なのか、ブラジル移民のみならず日本の人々にとっても深刻なテーマだ。



2002年11月30日(土)「ドキュメンタリー映画<40年目のビデオレター・アマゾン編〜あるぜんちな丸第12次航> 岡村淳監督」

 ブラジル移民はコーヒー園労働力の需要にもとづいて1908年の会社契約移民に始まり、戦争で途絶するまで約19万人の日本人がブラジルへ移住した。
 第二次世界大戦後、日本の景気がどん底にあった頃、国の政策として日本人がブラジルに移住していくことが再び推奨された。
 戦後の中南米への移住は、1952年に再開され、1962年には「あるぜんちな丸」第12次航では700人近くの移住者を運んだ。移住していくのは、広島、長崎で被爆した人々、石油の発展で失業した炭鉱夫など社会的に弱い立場にある人々が多かったようだ。
 この映画は、境遇も出身も異なりながら、新大陸への夢と不安を抱いて40日あまりを同じ船で過ごした仲間は今どうしているだろう、とかつての同船者がアマゾン(ベレン、トメヤス、カスタニャール)を訪ねて、移住者を記録したドキュメンタリーだ。

 星野さんの西佐一氏についてのエッセイや『砂の惑星』や『ブラジルの毒身』から、ブラジルに移住された方々は、日本にもブラジルにも落胆し居場所を失っているのではないか、と懸念していた。でもそれは勝手な思い込みだった。『40年目のビデオレター アマゾン編』では、「強く望んでアマゾンに来たわけではないし、若いうちは苦労もしたが、今の生活には満足している」という声が最も多かった。「家族もいて、これで良かったと思っている」「日本は冬には寒いけど、ここは気候が暖かいから良い」「バナナが沢山食べれるから満足」「貧しくてもゴルフを思う存分できるのでブラジルの方が良い」、ある初老の女性は、「日本の方が良い」と言っていたが、「でもここの人々は親切、日本人は冷たい」とも言っていた。好きでブラジルに渡ったわけでもなく、昔は苦労しながらコショウ園などの農業に従事したが、今ではまあまあ生活に満足していると言う人が多かったようだ。
 でも、岡村さんが、マラリアで早死にされた方や、会いたがらない方もいる、早死にされた方々のために私たちは一生懸命に生きていくべきだ、と言われていたのが印象的だった。
 『郷愁は夢のなかで』の西佐一氏が絶望したのは、故郷を離れて物理的に拠り所を失ったというよりは、人間関係を失ったからではないだろうか。『ホームレスになった』金子雅臣(築地書館)でも、ホームレスは人間関係を失って路上に出てくると書いてあった。(以前にも同じようなことを書いたが)
 私の5作目の『行旅死亡人』でも、日本で普通の生活をしながら人間関係の貧困さにより心にホームを失い子孫を残さずに死んでいく独身者や子供を持たない夫婦やセックスレス(性の遊びにふける人も私の考えではセックスレスだ)の人々が登場する。
 岡村さんは今、引き続いて無縁仏をテーマにした新作を製作されているとおっしゃっていた。とても興味があるのでまた見たい。

 同じ日に、新作『赤い大地の仲間たち―フマニスタス25年の歩み―』があったのだが見ることができなかった。でもとても良いビデオだ。
 ブラジル奥地のハンセン病患者の隠れ里で、若い日本人神父が、何の知識も資金もないまま、彼らのために診療所作りを始める。ハンセン病の診療センターに始まり、ストリート・チルドレンの更正・授産施設や土地なし農民たちの支援まで活動を拡大していく。第三世界の社会的弱者とともに生きる日本人神父と修道女たちの、愛と戦いの記録なのだ。
 次回にぜひ見たい。



2002年11月24日(日)「ドキュメンタリー映画<home>小林貴裕監督」

 小説や映画で感銘を受けた作品以外のものはいちいち書かないことにしようと決めたら、日記を書く頻度が少なくなった。私にとっては良いことだ。それだけ、創作や創作関連のことに時間とエネルギーを費やすことができるので。

 自作小説「藍のしずく」に鬱状態で学校に行けない男子生徒が登場するので、参考になるかと思い「home」を観に行った。とても良かった。感動したので、ここに書き留めておきたい。
 これは、監督の小林貴裕氏が引きこもりの兄と対話を試みようと努力し、引きこもりから脱却するまでの経緯を描いたドキュメンタリー映画だ。
 祖母の末期ガンを知らせる母親の電話から始まる。長野の実家には、七年間引きこもりを続けている兄、鬱病の母親、ガンの祖母がいる。貴裕と父親は実家から逃れるように、埼玉で一緒に暮らしている。貴裕は実家に戻り、カメラを通じて家族の問題と向き合おうとする。カメラで記録するという第三者の視点が介入したことで、どうしようもなくなった家族関係に風穴があき、客観性を持って適切な距離を持ちやすくなったのだろう。
 実家には陰鬱な空気が流れていて、母親と兄との暴力的な葛藤が続いている。母親はあまりの恐怖で家を出て、12月間近の寒い季節だというのに車庫の車の中で過ごすようになる。貴裕は怒りを感じ兄を責めるが、ますます対立が深まり兄は暴力的になる一方だ。
 それでも貴裕は、家族を救いたいと思う一心から兄との対話を試みていく。長い時間とエネルギーをかけて。
 ある日、貴裕が兄の部屋でビールを見つけて、「これうまいよな、久しぶりだな」などと言うと、「欲しけりゃ持って行っていいよ」という言葉が兄から返ってくる。だんだん、貴裕に応えて自分の気持ちを語り始める兄。ついに母親には暴力を振るわないことを約束する。
 外に逃げた母親は、兄が怖いから家に戻りたくないと言う。貴裕は母親を説得する。
 母親は貴裕と家に戻り、対話を試みようと恐る恐る兄の部屋に行く。初めて、母親と兄が正面から向き合う。
 母親は言う。「お母さんのせいなんだな、引きこもったのは」貴裕は、「そう言うことばっか言ってうっとうしいよ」と返す。「心配だから口がでちゃうんだ。お母さんのやり方が悪かったかもしれない、今度からちゃんとするわ……」と涙を流しながら繰り返す母親。「わかった、わかった」と貴裕はふてくされたような顔をするが、彼の中で確実に何かが変わったのだ。「ありがと、わかってくれた。心配で心配で……」と母親は兄の足に顔を埋める。
 ここのシーンが一番感動的だった。
 最後は兄の独白で終わる。「これ以上お母ちゃんやおばあちゃんやみんなに迷惑をかけたくないし出ていこうと決めました。くそ〜もっといてえなあ。くそ〜でも頑張ってなんとか……もう出ていくしかないし、それがみんなのためだから、母ちゃんごめんな」
自立したい、自立できない、自立したい、自立できない……と書かれた兄の手帳の文面が映し出される。

 画面が手ぶれで揺れるし、アングルなどのカメラワークには違和感を感じたが、そういった欠点がとても小さく感じられるほど、とても良い映画だった。

 引きこもりのすべてのケースが、こうした方法で解決するのかどうかはわからないが、対話の重要性がひしひしと伝わってきた。対話が欠けていたから、七年間も引きこもり家族が苦しみ離ればなれになっていたのだ。
 母親は、自分のやり方のどこが至らなかったのか、引きこもりの原因は何だったのか、はっきりとわかっていたのだろうか。たぶん、誰にも明瞭で確実な分析などできないだろう。
 しかし、兄のことを想い救おうとする家族の真摯な気持ちが伝わったから、彼の心が良い方向へ変わったのだ。
 「home」はこの映画にとてもふさわしいタイトルだった。

 「home」を「直伽のお気に入りの本とイベント情報」に載せた。



「依存し合う家族関係」

 私は、自立した家族の関係というのを身近に見たことがない。過去の日記にもたびたび書いたが、淋しいから、自分の人生の意味が欲しいから子供をつくり家族を形成する人が多い。自分の両足で立って、荒涼とした人生と死に向き合い、他人の気持ちも察して優しくなれる人はとても少ない。子供に優しい親、女に優しい男というのは多いが、自分の空しさや淋しさや性欲を満たしたいから、生活に便利な存在だから、優しくする場合が多いのではないだろうか。
 他人と自立した関係が結べない人が多いが、それ以前に親との愛情ある自立した関係がうまく築けなかったのではないだろうか。私の親も精神的に未熟だ。でも私が病気になった時はとても心配してくれる。それはありがたいのだが、子供の夢や希望に関してはあまり関心がない。たまに関心を持つことがあっても価値を置かない。親が最も望むことは、親の傍で結婚して子供を作り家族が仲良くすることなのだ。淋しいから傍にいて欲しい、これが彼らの本音だ。
 彼らの愛情の裏に未熟さや淋しさを感じるのだ。彼らは自分の人生や夢を持っていない。だから、他人との相違も夢も希望も理解できず、人の自立を心から応援できない。経済的な自立は望むのだが、人間的未熟さには目を向けず直そうともしない。夢や希望が叶わなくても、経済的自立ができれば一人前の大人だと勘違いしている。内側よりも表面の方が大事なのだ。親に限らず、世の中の多くの人々もそうだ。顔の良さ、真面目に勤務していること、いつも笑顔でいること、など表面が良ければ、社会的に成熟した大人だと勘違いしている人はとても多い。だからみんな淋しい。淋しいから、親が子供の気持ちを察することなしに溺愛したり、相手の異性がどんな人かよく知らないうちから恋したり性交渉したりする。でもそのうち勘違いだとわかるから、期待はずれになって葛藤が起きたりする。恋人ならすぐに別れて、同じことを繰り返すのだろう。

 自分のやりたいことや適している仕事で世の中の発展に加担していくことが自立の重要なところであって、そこに報酬が伴うかどうかは結果としてついてくる問題だ。
 だから本当は、やりたいことをやって精神的にも経済的にも自立することはとても難しい。生活のための仕事でお金を得ていても、精神的に未熟な大人が多すぎる。逆に自分の世界を持ってやりたいことをやり精神的には自立していても、経済力が伴わない人も多い。自立できなければ、自分に適している異性を見つけるのも難しい。これが独身者や少子化の増加、性欲を持てあましセックスをただの遊びにしてしまう根本的な原因だ。
 家族関係を矯正し、世の中をまともにしていくためには、自分が自立していくことから始めないといけない。



「SAORI 手織作品展」

 毎年今の季節に行われるSAORI手織り教室の作品展に行った。
 SAORI教室では、SAORIの糸しか使えない、二枚綜絖以上を使う高度な織りができない、という理由でやめてしまったが、やっぱりSAORIの理念と感性は好きだ。既成概念や規則を取り払い自由に織るのがモットーだけあって面白い作品があり学ぶところがある。私のHPの表紙の右上にある織物も、SAORI教室に通う心身障害者の織った織物からヒントを得て作ったものだ。
 東京アートセンターでは本格的な織りを学べるが、ここの生徒さんの織物にはあまり魅力を感じない。カシミヤなどの高級素材を使い、きちんとした織り目で丁寧に織ってあるのだが、まるで一流百貨店で売っている機械織りみたいな布なのだ。これでは手織りの意味はどこにあるのだろう、と思ってしまう。
 東京アートセンターの織物の長所は、素材と技術が信頼できるところだ。SAORI織りはエネルギッシュでユニークで、何と言っても織りの障害者教育に力を入れていて彼らに生き甲斐を与えているところが素晴らしいところ。
 私は、この両方の長所を兼ね添えた織物を製作するつもりだ。



2002年11月16日(土)「<タユランの糸車>の反響」


 読んでいただいた方からの感想は、「面白かった」「ラストが切なかった」などが最も多かった。「平仮名が多いのですが、どうしてですか」とおしゃった方もいた。平仮名を多くしたのは、タユランが外国から来たために不器用な言葉を使っているためだ。サマになっていなかったのだろうか。「ガランジャという架空の国より現実にあるイスラムの国を登場させた方が良かった」というのもあった。それも良いと思うのだけど、今の私の力量では難しかった。その場合だと、もっとシビアな話になり、文体もまったく違うものになったと思う。
 私としては、買って読んで損をしないように、読む側の立場を考えて書いたつもりだ。

 LOFT PLOJECTが出している雑誌のRooftop12月号に書評が載って嬉しかった。リンク集にLOFT PLOJECTのホームページを載せた。LOFT PLOJECTが主催するTALK LIVE HOUSEでは、いろいろな学者や文化人がトーク、ライブを行っていてとても興味深い。

 一つの作品が完成するまで何年かかったとしても、小説創作はずっと続けるつもりだ。どうして人に読まれそうもない文学というジャンルにこだわっているかというと、カミュの「異邦人」「追放と王国」(新潮文庫)、林芙美子の「晩菊」「水仙」「松葉牡丹」「風琴と魚の町」「耳輪のついた馬」「清貧の書」(講談社の文芸文庫)と出会ったからだ。
 文学というと、こういった作品を思い浮かべる。世の中の人々が、よしもとばななや山田詠美(初期の作品は良いと思うのだが)の作品を文学として語っているのを見るとピンとこない。
 カミュや林芙美子の小説は、心の奥深いところから発せられた言葉によって、時間、空間、意識が交錯する別次元の世界を表出させている芸術作品なのだ。特に「異邦人」は完璧な文学作品だ。深い洞察力、研ぎ澄まされた感覚で、人間や社会の暗部にスポットをあてて描いてあり、人々の心を深いところから動かす力がある。
 カミュと林芙美子の作品に出会っていなかったら、文学に興味を持ち続けることはできなかっただろう。

 ところで、2002年2月14日(水)の日記に感想を書いた小説「砂の惑星」(星野智幸)のモデルである、記録映画作家・岡村淳氏のビデオ作品「郷愁は夢のなかで」が12月6,7日に上映される。私は行くつもりだ。
 この作品は、日系ブラジル移民である西佐一氏が夢破れて日本に帰国したが居場所がなく、再びブラジルに戻るが、家族もなく孤独に生涯を閉じた壮絶なドキュメンタリー映画だ。居場所や拠り所について考えさせられる。

12月6日(金)・7日(土)18:00(開映18:30)
場所:梅丘パークホール(世田谷区松原6-4-1 TEL 03-5300-3220)(小田急線梅丘駅北口・徒歩1分)
上映作品:「郷愁は夢のなかで」(155分)
入場料:前売り1000円 当日1300円
問い合わせ・申し込み:優れたドキュメンタリー映画を観る会 飯田光代TEL 03-3426-7058


12月5日(木)18:00
岡村淳×星野智幸 ビデオ&トーク
会場:早稲田大学文学部 戸山キャンパス (地下鉄東西線早稲田駅より徒歩3分)第一研究棟2階の第一会議室(キャンパス内地図) 入場無料、予約不要
上映作品:「大東亜戦争は日本が勝った!―ブラジル最後の勝ち組老人」(約40分)
内容:戦時中、極度の情報不足と不安のなかで移民たちを支えた狂信的なまでの故国への夢。敗戦を信じることができず「勝ち組」を形成した人々も、時代と共に事実を受け入れていったが、今もなお日本の勝利を信じ続ける移民がいるという。(岡村氏紹介のホームページより引用)
問い合わせ:星野智幸 hoshino@t.email.ne.jp

その他の上映作品については、「直伽のお気に入りの本とイベント情報」に載せた。



2002年11月8日(金)

 体調を崩して以来、生活が大きく変わった。早寝早起き、栄養のバランスを考えて三食自分で作って食べるようになった。(それまで毎日身内のために料理はしていたが、自分はほとんど食べていなかった)
 規則正しい生活に正しい食事の取り方をするようになって気持ちも変わった。どことなくだが前より確実に生活が楽しくなってきた。小説を書くことに対する姿勢や生き方が変わったこともあるのだろうが。
 これからは、生活の中で感動したこと、楽しかったことも日記に記しておきたい。

 今日は、「京都はきものムロマチ」という呉服製造元がやる着物のバーゲンに行ってきた。シルクの着物生地の端切れが安く購入できるからだ。新宿センタービル51階で催されていたのだが、同じ階で日本画展もやっていた。日本画にはあまり興味がなかったのだが、4作目の自作小説「藍のしずく」(仮題)のヒロインの高校教師が美大の日本画科を出ている設定なので、取材のことを考えてふらりと中に入った。
 目をひいたのが佐々木裕久の「冬の蜃気楼ー2000春ー」だった。あ、いいな、と思って目を近づけて見れば見るほど素晴らしかった。マットな質感、上品で神秘的な色彩、心を落ち着かせる色と素材感の抽象画だった。
 しばし見とれていると、ギャラリーの方がやって来て教えてくれた。この色は天然の色なのだと。日本画というのは、鉱石や貝殻を粉砕した粉を膠(にかわ)で溶いて描くそうだ。この美しい色彩は、自然のものだったのだ。しかも板に麻紙を貼り付けたものに描いてあるそうだ。
 他を見回したが、日本画といってもごく普通の絵で特に惹かれるものはなかった。この絵が魅力的だったから日本画の素晴らしさに開眼したのだ。
 佐々木裕久氏に感謝。個展などの情報が知りたくなって尋ねたが、残念ながら今年の春にお亡くなりになったそうだ。なんだか寂しくなった。
 せめてここに立ち寄った方に、佐々木裕久氏の絵を見てもらおう。同じ絵ではないのだが、同じような色彩と雰囲気、モチーフの絵だった。フクロウやワシなどの動物が出てくる抽象的で不思議な絵を描かれた画家だったそうだ。
 私が見た絵は、むしろこのHPに載っている「冬の蜃気」に近かった。

 後記
 やっぱりいちいち日々の感動を書いていると時間がなくなるので、今後日記を書く頻度を少なくしていきます。



2002年11月6日(水)「手織り作家としての自己紹介」


 来年に開店できるように織物のWEBショップを計画しているので、早いけど手織り作家としての自己紹介をしておこう。このままでは、いつまで経っても世に認められない「作家志望者」として人生が過ぎていくばかりだ。
 織物を売りたいと考える最も大きな動機は、世の人々に自分のできることで何かを提供していきたいからだ。小説は、提供どころか、大金と時間とエネルギーをかけてもあまり読まれそうになく、それでも読んで貰おうとしたら、ただみたいな値段にしますから読んでください、お願いします、と卑屈にならねばいけないのだと、「文学フリマ」の体験でよくわかった。それでも「作家」という立場に憧れて文学新人賞を目指してあくせくするのは、心身に良くない。文学新人賞の選考の結果に一喜一憂するみじめな生き方は私にはできない。星野智幸さんも、賞の結果は、下読み人や選考員によって違うのだから気にするな、受賞は宝くじに当たるようなものだ、自分の受賞作も他の純文学の文芸誌では一次選考にも当選しなかったとおっしゃっていた。
 小説を他人に読んで貰いたいなら、「文学フリマ」みたいなところで100円か200円で売ったりWEBに載せれば良いわけだから、小説創作に関しては気楽に考えようと思う。
 だから、小説創作はただの趣味としてやっていくつもりだ。小説創作も織りも楽しくなければ私にとっては意味がない。多忙でつまらない小説を量産し、収入が少なく威張るしかない職業作家には、魅力を感じない。(外国の昔の文豪の作品には、時々面白いものがあるが)

 私は1999年の3月に、「タユランの糸車」の取材のために手織り教室の「SAORI」に入ったのをきっかけに織物をやり始めた。それ以来手織りは、楽しく無心にさせてくれる大切な恋人になった。
 「SAORI」で2年半ぐらい学び、2001年5月より「東京アートセンター」で綴れ織りを学んでいる。将来は綴れ織りや裂き織りの絵画的なタペストリーを製作したいのだが、商品化はまだまだ先のことだ。今の私にできるのは、コースターやショールのような生活用品だ。
 「東京アートセンター」では桂川先生に学んでいて、「文学フリマ」でプレゼントしたり安い値段をつけて販売していたコースターを見せたら、一枚800円〜1000円ぐらいで売るのが妥当だと言われた。
 ネットショップでは、場所代がかからないので(その代わりパソコンやインターネット関係でいろいろかかるが)、その分安くして売るつもりだ。「タユランの糸車」の感想を送っていただいた方には、さらに安くするつもりだ。
 今後は、小説創作も含めて、直伽工場に徹したい。それもあと50年。寿命まで良い作品をたくさん世の中に送り続けることができれば幸せだ。



2002年11月3日(日)「文学フリマ」


 文学フリマに参加した。楽しいような辛いような複雑な気持ちで6時間を過ごした。参加料2000円で、小説「タユランの糸車」を1000円、コースターを300〜500円で出していたが、売れないので、最終的には小説をコースターと同じぐらいに下げた。それでようやく、3冊売れた。
 小説や評論の原稿をホッチキスでとめて小冊子にして、50円〜数百円で売っている人が最も多かった。本の値段は様々で、100円や数百円、定価とあまり変わらない値段のものもあった。本と一緒に、CD、Tシャツ、ポストカード、チラシを売っている人もいた。

 開店前から、30人ぐらいが列になって並んでいたが、みんな佐藤友哉さんという講談社ノベルズのエンターテイメント作家が目当てだった。開店してからは、佐藤友哉さんの前に100人以上の長蛇の列ができていた。このイベントは4つの大小の会議室の中でやっていたのだが、私の売り場はたまたま小さい部屋の真ん中に位置していて、佐藤友哉さんは同じ部屋の最も奥にあり、この小さな空間が、彼の多くのファンで満杯になっていた。おかげで、来場された他のお客さんが歩いて見て回るスペースがなくなり、他の部屋と較べて「文学フリマ」全般を見ようと入って来るお客さんは少なかった。
 この作家の小冊子は1500円で安くはないのに、午前中には売り切れたらしく、増刷のためまたコピーをして小冊子を作っていたようだった。午後になってからは、部屋に入るファンが数人に限定され、みんな部屋の外で待つようになり廊下で列ができていた。閉店時間になると、完売と書かれた紙が張られ、佐藤友哉さんは爽快な顔をしていた。

 隣りの部屋では、藤林靖晃さんという、昔に群像新人賞を受賞した無名の純文学の60才ぐらいの書き手が、自作小説の原稿をコピーしたものを透明なビニール袋に入れて、100円で販売していた。群像新人賞は純文学の作家への登竜門みたいな大きな賞だ。かつては栄光に輝いた、目立たない作家もいるのだなあと感じ入るものがあった。でもここでは売れていたらしい。私も買った。
 他に、早稲田大学の現代文学会の「リブレリ」を100円で買った。「重力」という早稲田文学の主幹がやっている雑誌も買いたかったけど、売り切れていた。

「文学フリマ」は、無名の書き手が人々に知られるために参加するには、適しているイベントだと思った。でも安くないと売れないから、原稿のコピーをホッチキスでとめて100〜300円で売るのがベストだ。だから、私のように定価1200円の本を売るよりは、数百円の文庫本や小冊子を安価で売る方が良いと思った。今度からは、小説を小冊子か文庫本にしたいと思っている。

 自費出版みたいな形で単行本にする場合の1番のメリットは、編集者が赤入れをして構成・文章など表現全般に関するアドバイスや指摘をしてもらえるところだ。(文庫本にする場合や、他の出版社ではわからないが)私がお世話になった郁朋社では、丁寧に指導していただけたので満足している。2番目のメリットは、一定期間でも書店に置いてもらえるので、一般の人々の目に触れる機会ができることだ。他には、200〜300枚などの長いものは本にした方が読みやすいというのがメリットだと思う。
「文学フリマ」も人々に知られる良い機会だが、来場された方々は、一部を除き本やイベントの関係者やその知り合いが最も多かったのではないだろうか。
 純文学の小説を買って読んでもらおう、と真面目に考えたら絶望してしまう。遊びで参加するのが精神衛生上良いと思った。

 2003年4月13日(日)には、主催者はアマチュアだが、「ぶんぶん! 7」というオールジャンル文章主体同人誌即売会がある。川崎市で催されて、机半分のスペースの参加料金が3,500円。たぶん、「文学フリマ」よりも漫画やエンターテイメントの小説が多いと思う。
お問い合わせは、「ぶんぶん!」のHPまで
http://www.din.or.jp/~yosinobu/ivent.html



佐藤友哉さんのファンの列(手前に座っている人は私)。次の写真は、私がいた部屋の全体(昼休み)。最後の写真は大部屋の様子。



「小説を出版してわかったこと」

 「小説家」というのは、他人によって作られるのだと思った。マスコミや多数の読者によって「小説家」という立場ができて、本が売れるようになるのだ。本は、お金と労力と時間を使って読んだ後でなければ、読んだ甲斐があるのかどうかがわからない。だから無名の人が本を出しても、その本が良いのかどうか信用されないし損をする不安があるため他人は買わない。(よほど面白いエンターテインメント小説なら別だが)だから買ってくれるのは身内と知り合いだけという事態になる。(それでもありがたいが)
 有名であったり異常に売れていたり文学新人賞を取った本だと、人々は簡単に買うのだ。そこには、人々が文学についてよく知らない、自分の目利きを持っていない、大多数に従うのが安心という自信の欠如があるのだろう。だから、有名な本であれば、なんとなく安心して買うのだ。
 この大衆心理を利用して売るためのシステムに乗ることが、「小説家」になるということだ。小説を書くのは自由でも、他人に読ませることは自由にならない。いくら信頼に足る良い小説を沢山書いたとしても、読む人間がいなければ「小説家」ではないし、価値も生まれないのではないだろうか。
 「文藝」冬号に、永江朗×神山修一×福永信の座談会が載っていた。永江という人が、「群像」2002年6月号に載った大塚英志さんの「不良債権としての『文学』」というエッセイに対して、「大塚英志の言っていることに何で腹が立つのかというと、むりやり経済問題に還元してしまっているから。ゴッホが生涯に売れた絵が一枚であるように、経済的価値と作品の価値とは関係ない」ということを語っていた。
 神の視点から見れば、売れない小説でも価値あるものはある。実際に、売れる小説というのは、圧倒的にエンターテイメントばかりで、価値の高い文豪の文学作品などは絶版になりつつある。
 しかし、私の実感として、労力、お金、時間、能力、知識を沢山費やして本を出版しても、他人に読まれることなく返本されて大量のゴミになってしまうと、やっぱり意味がないと思ってしまうのだ。高みの見物みたいに神の視点からものを言うのは簡単だが、読まれない本がゴミの山になったら、それでも価値があるなんて言えるのだろうか。
 この悲惨な状況を救おうとして、大塚英志さんは「文学フリマ」を開催されたのだと思う。お金の問題ではないのだ。「不良債権としての『文学』」では金銭の話が出てくるが、それは表面的なことであって作品の価値を経済的価値に還元している内容ではない。文学が生き残るためにはどうすれば良いのか、という話なのだ。

 だから、またいつか自分の小説を文庫本にでもしたら、「文学フリマ」に参加したい。あと3作、世に出せれば良いと思っているので。

 「文学フリマ」を主催した早稲田文学のHPをリンク集に入れた。ちょっと不完全なところもあるが、ここで文学を中心としたイベントの情報が得られる。



2002年10月20日(土)「社会復帰/人生の目標」

 ようやく社会復帰した。この度のように健康を大きく崩したのは生まれて初めてだ。おかげで生活スタイルや生き方が大きく変わった。今後の私の人生目標は、「楽しみ」をできるだけ沢山味わうこと。眠って活動して食べること、空気を吸えること、太陽の明かりや水や草木があること、この当たり前のことを味わうだけでも生きている甲斐があると思った。
 これまでは、商品価値=存在価値と感じてしまいがちだった。子供の頃から、容姿、成績、学校のレベル、大人になってからは、文学新人賞を取れるか取れないか、など人々にどうやったら認められるか、ということに振り回されていた。でも、自分の商品価値の有無と存在していることの価値とは無関係だということに気づいた。外部・世界と関わって考えていくことは大切だが、社会や人々の病理に翻弄されて、こちらがストレスを感じ身体を壊したり心を病んだりしたら、すごくバカらしい。暗いニュースや病んだ社会に触れても、こちらまで暗い気分にならないように世の中と距離を取っていくつもりだ。(自分の健康を保つために)
 だから今度から小説を読んだり映画を観ても、楽しくない、心を打たれないものに関しては書かないことにしたい。でも、読んで面白い純文学の小説や心を打たれる映画というのは、非常に少ない。だからつい不平不満を書いてしまうのだが、身体に良くないので、面白くなかった作品について書くのは慎もう。
 先月観たイラン映画「チャドルと生きる」<ジャファル・パナヒ監督>はなかなか良いと思った。特に手法が良かった。 イランの首都テヘランで刑務所から仮釈放された若い女性たちが、厳しい社会の現実の中で力強く生きていこうとする。彼女たちが直面する様々な困難が、次々と登場する人物にリレーのようにバトンタッチされながら映し出されていく。彼女たちの困難はだれもが体験しうる社会の病理の一つであり、逃れられない円(サークル)を成していることがわかってくる。この手法のために一人一人が直面している絶望的な問題と、イラン社会の矛盾と病理が浮き彫りになり、一人についての描写は短いのだが結果として個人と社会の深層まで掘り下げた映画になっていた。でもちょっとラストが絶望的ではないだろうか。
 小説の「フランシスコ・X」<島田雅彦/講談社>では、フランシスコの果敢で勇気ある生き方に力をもらった。フランシスコのような強い人間に憧れるが、面従腹背のイサークの生き方も好きだった。この小説によれば、キリシタンを斬首や火あぶりにしたら殉教の崇高さに心を打たれて改宗する者まで出てきたそうだ。そこで穴吊りの刑という、糞尿を溜めた穴に逆さ吊りの頭を突っ込ませる滑稽な刑に変えると、改宗者の数が激減したという。
 遠藤周作の「沈黙」に出てくる殉教は、海に沈められるなど心を打つイメージで書いてあった。そういえば、世で崇められている殉教した聖人は、磔や火あぶりなど、どこか惹かれるところのある崇高な死に方だ。糞尿の中に頭を突っ込まれてもがき苦しむ滑稽な殉教だと、殉教の魅力が失われるなら、殉教って何なんだろう、という疑問がわいた。
 「霊操」という言葉がよく出てきたが「マインドコントロール」とどう違うのだろうか。共感するところは多かったのだが、語りや説明が多くて情景描写が少なく、臨場感に欠けるような気がした。これも小説技法の一つなのだろうが、「彗星の住人」の方が面白かった。
 どうも私の場合は、好きな映画や作家であっても、「100%好き」ということはないようだ。好きな作品や作家に対しても疑問がわき上がってくる場合が多いのだ。
 でも疑問について書いたり、いろんなことに矛盾を感じて発言したりすることは、あまり楽しいことではない。
 楽しいことをして生きようとすれば、のんびりとした規則正しい生活の中で小説創作や織物をすれば良いのだ。だから日記はあまり書かなくなると思うけど、来年には織物のショップ開設をしたいと考えている。
 私は、人々に楽しみを提供していきたい。

 11月3日に開催される「文学フリマ」にはもちろん参加する。このイベントでは、「タユランの糸車」を1000円(税込み)で販売する予定だ。本をお買い上げいただいた方で希望者には私の織物コースター(一枚300円〜500円)を2枚までプレゼントするつもりでいる。

文学フリマ
時間 11月3日(日)11〜17時
場所 青山ブックセンター本店内(B2) カルチャーサロン青山
入場 無料
内容 プロからアマチュアまで、60あまりの書き手・団体が参加する即売会。ここでしか買えない品物が多数出品されます。
参加予定 福永信(作家)、長島肩甲(俳人)、山岡頼弘(批評家)、鎌田哲哉(批評家)、横田創(作家)、佐藤友哉(作家)、白倉由美(作家)、大塚英志(批評家)、小説トリッパー、新現実、早稲田文学 ほか
主催 文学フリマ事務局+大塚英志事務所
協力 青山ブックセンター

その他には次のようなイベントがあります。
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