2002年7月27日(土)「<裸の王様、アメリカ>宮内勝典(岩波書店)」

 これは、9.11テロ事件以後の世界をどのように生きるべきか思索し行動する作家の日記だ。作家の生活、オウム真理教、地球環境、原発、核廃棄物、アメリカ先住民、連続テロ事件、報復戦争、米国の欺瞞、日本の政治、世界で起きている様々な出来事について、エッセイのように書いてある。
 9.11事件以後の日記では、超大国アメリカの身勝手さ、横暴さ、不公平さを暴き出し、なぜ長い歴史において戦争が繰り返されているのか、解決するにはどうすれば良いのか、人間の深層部から思索されている。

 コンラート・ローレンツの「攻撃」やリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」には、人間の暴力的な本性について書いてあるそうだ。宮内さんの日記から抜粋するとこうだ。
「人間には暴力性がある。攻撃性がある。それは否定しようがない事実だ。それが果てしない諍いを生み、犯罪や共同体や国家の残虐性を生み、テロを生み、戦争を生む。……むろん、遺伝子そのものが戦争を起こすわけではない。文化生態学でいう<ミーム>についても考えるべきであろう。火や水のように、物理的な実体はないけれど、ぼくたちが生きている社会では実体をもっているもの、たとえば、愛、たとえばアイデンティティー、そうしたものが<ミーム>だ。戦争は、遺伝子と<ミーム>の複合体だ。だが、ヒトという種の攻撃性が源にあることに変わりはない。
 つい何年か前、ルワンダで凄まじい虐殺があった。一つの国で、二つの部族がいがみあっていた。外部にいるぼくたちには、その二つの部族のちがいなど、まったく見分けがつかない。同じ黒人にしか見えない。だが内乱がおこり、彼らは隣人たちに、鉈をふりかざして襲いかかった。棍棒で、なぶり殺しにした。そうして、50万人もの血が流れた。
 ……隣人たちに鉈で襲いかかる攻撃性、それがぼくたちの内部にひそんでいる種の実体なのだ。……
 世界史は、まさに戦争の連続だった。……とくに二十世紀は凄まじかった。統計によると、戦争と戦争の合間の平和な期間は、五年ぐらいしかつづかないそうだ。ぼくたちは狂ったサルだ。……
 現代科学が生んだ、宇宙衛星や、レーダーなど、ありとあらゆる人類の知の産物が、動物行動学と同じ地平で使われている。ホモサピエンスという種の攻撃性をコントロールすべき知が、狂ったサルの狂気を、さらに恐ろしいものにしている。……
 アメリカが世界のリーダーならば、ホモサピエンスの攻撃性をコントロールしなければならない。……
 超大国は、ホモサピエンスという狂ったサルの攻撃性そのままに行動すべきではない。報復戦争はやめるべきだ」

 これが、宮内さんの主張であり、私も大変共感して影響を受けた。
 それでは、未来に向けて私たちはどうすれば良いのか、次のような考え方を示してくださっている。
 グローバル化は、異質なのものを障壁とみなして、なぎ倒し、破壊しつつ進行していく。文化も経済もまったく同様で、白か黒かの二者択一を迫っていく。多様性を受け容れようとしないのだ。 それへの反撥として、世界は今、それぞれの原理主義、民族主義やナショナリズムへ傾きかけている。
 これからは、クレオール化を目指すことが大切なのだ。
 クレオールとは、もともとはカリブ海地域の混血によって生まれた言語や文化を指していた。今では、多文化混在の象徴として使われている。
 つまり、血や文化が相乗して、停滞することなく、より複雑化・多様化しつつ、たえず新しい局面、境界面を生みだしていくクレオール現象こそ、今後の救いではないかと言われている。

 最後に、坂本龍一氏との対談が載っているのだが、次のこれらの文章にも同感した。
「戦国時代は、たとえば川中島を挟んで山梨県民と新潟県民が殺し合いをやっていた。けれど、いまはそんなことは考えられない。アンデンティティーが藩から国へ拡大したからですね。そのアイデンティティーをもっと大きくして、惑星的にしてほしいと」
「仏教に対して一つ疑問があるんですよ。ブッダはさまざまな幻想を否定して、輪廻さえ否定してしまった。覚りをひらけば輪廻から離脱して、涅槃にいくと考えた。輪廻というのは、いわば自然や時間の循環性ですね。それを否定して涅槃という超越幻想を残してしまったために、現実世界をマーヤー<幻>と見なして、地上を軽んじる傾向を生んでしまったんじゃないか。これが<オウム真理教>を生んでしまった遠因ではないだろうかと思うんですよ」

 日記の前半に書いてあった、東京電力のプルサーマルについての文章にも共感した。
「プルトニウムとウランの混合燃料<MOX>を、一般の原子炉で燃やした場合、核分裂が不安定になって、制御不能の事故が起こりやすくなることは、これまで多くの専門家たちが指摘している。もしも汚染されたら、ふるさとは死の大地となり、ふたたび安全でおいしい水が作れるようになるまで、十数万年かかるはずだ。プルトニウムだから、チェルノブイリの比ではないだろう。こんな危ないとわかりきっているプルサーマル計画を推進しようとしているのは、世界中で日本だけだ。……
 ぼくも以前、雑誌の企画で電力キャンペーンの協力を求められたことがある。……電気についての思い出を、千字ぐらい書いてくれればいいという。……当然、破格のギャラがでる。……東京電力からの原稿依頼があったときは、破格のギャラに目を丸くして、もう心の中で原稿を書きだしていた。……だが、裏にひそむ原発推進キャンペーンに加担することに変わりない。……
 そのころ妻は息子の学費を捻出するために、眼を悪くしながら出張校正のアルバイトをしていた。網膜に異常が起こりかけていた。家計は火の車だった。意地を張らず、たった千字、目をつぶって書くだけで、びっくりするようなお金が転がりこんでくる。だが、もしも原発事故が起こったら、作家として筆を折らなければならないだろう。
<すまん。これだけはどうしても書けない。かんべんしてくれ>とぼくは妻に頭を下げた。妻も喉から手が出るほど、お金が欲しかったはずだが、<書いちゃだめよ>と答えてくれた。……文士であるならば、絶対にやってはいけないこともあるのだ」

 宮内さんの人柄と小説家としての倫理観と夫を尊敬する奥さんとの信頼関係が垣間見える文章だった。
 宮内さんは、9.11テロ事件、報復戦争の時、HPの日記に、急がしくて日記を書いている暇はないが言葉によって立つ身であるから今発言しなければいけない、と作家としての使命感を奮い立たせて書いておられた。
 この時の日記にはこう書いてある。
「……内面の活動・営みそのものが文学です。ぼくは戦争のことも考えながら、小説も書く、といった器用なことができなかった。戦争に対してきちんと発言し、意思表示すべき時だと思いました。時に迫られたわけです。ぼくは<決断>を含まない文章を信用できません。あたりまえのことですが、胸の言葉に従うしかない……」

 宮内さんの今のHPにはその頃の日記のファイルはないのだが、この本に収録されていて、いつでも読めるのでありがたい。日記なのでどこから読んでもわかるし、難しいことがわかりやすく書いてあって価値ある本だ。値段は少し高めだが。
 宮内さんの著作やHPの日記や掲示板で討論されていることを、もっと多くの人が読めば良いと願っている。
 私のHPの「直伽のお気に入り……」に載せた。星野さんの「毒身温泉」(講談社)も載せた。



2002年7月25日(木)「イランの人々(9)」

 イラン人を知る前は、イランはイスラムの厳しい政治・社会規制のためにさぞかし不自由な国なのだろう、と思っていたが、家の中や、人間関係においてはそうでないことを知った。 それは今までに書いた通りだ。
 また、彼らは“好きなこと”を持っていて生活を楽しんでいる人が多い。イラン人の男友達は、サッカー、自動車、空手、ボディビル、などをやっていて、それが生活を楽しくしていた。マジッドの母親は絨毯織りが趣味で、家事炊事の合間にやっていた。
 マジッドの義姉は子育てで忙しかったが、暇になったら大学で歴史を学びたいと言っていた。マジッドの親戚の家に遊びに行った時も、既婚女性の中には、子育てが終わったら教師になりたい、音楽をやりたい、という人がいた。家事・炊事・洗濯が嫌い、と言う独身女性もいた。
 男性は生活のために仕事をしていたが、趣味を持つこと、男友達や家族と遊ぶことで人生を楽しんでいた。既婚女性は子育てや家事・炊事・洗濯で忙しくしていたが、女友達と話をすることが生活の楽しみになっていた。多くの女性は、暇とお金があったらあれをしてみたいこれをしてみたい、という夢を抱いていた。
 自分は何を好きなのかわからない、という人はいなかった。ここが日本人とは大きく違うと思う。
 私は日本で、“好きなこと”も生き甲斐もなく、生きることに楽しみを見出せない人々を沢山見てきた。無味乾燥な毎日を生きていて、食うために働くことに疲れ、生活に倦怠感を持っている日本人は多い。
 日本は世界屈指の経済大国にもかかわらず、人間関係が希薄で、虐めも多く、毎日義務で働き、生きることに希望を持てない人々、淋しい人々が多いのだ。日本の自殺の多さ、自殺率の高さは、欧州の二倍以上で先進国では突出しているという。それも働き盛りの男性に多い。昨日の読売新聞にも、経済苦の自殺者が過去最多というニュースが載っていた。
 イランでも、失業したり経済苦を抱えている男性は多いが、家族や友人たちのつながりや信仰に支えられている。むしろ、信仰もなく人間関係も希薄な日本人の絶望や虚無の方が深刻だと思う。
 また自殺率も高いが、その多くは女性だそうだ。これは結婚生活が破綻し、イスラム法で女性からの離婚が難しいために人生に絶望したためでないかと推測する。

 イランでは子供達が、とても生き生きとしていた。
 小学校の校庭を外側から眺めていると、女の子の集団も男の子の集団も、ワイワイ、ガヤガヤ、キャーキャー、みんなふざけ合ったり走り回ったり、おしゃべりをして笑っている。陰気な顔つきをしている子供は見かけなかった。
 子供たちは私たち日本人団体を見かけると、みんないっせいにこちらを注目して好奇心に輝く目をして大勢で手を振ってくれた。
 日本人団体ツアーでヤズドからパサルガダエに向かう途中に、アバルク村に立ち寄り、樹齢四千五百年以上という糸杉を見た。この時に村の学校の十四、五歳の生徒たち数十人が私たちを見つけて、どっと押し寄せてきた。みんな快活な表情をしていて次々と英語で話しかけるのだ。とにかく英語を使ってみたい、日本人はどんな人たちなのだろう、という好奇心に満ちた目で私たちを知ろうとするのだ。
 話をすると、学校は楽しい、とみんな口々に言う。どうして楽しいの、と聞くと、友達がいるから、学べるからと言う。学校で虐めなどはないと言っていた。
 日本では、学校が楽しいと言う生徒達は何人いるのだろう。休日には休んでいたい、学校は疲れる、虐められる、という声をよく聞く。私も学校は楽しくなかった。
 だから、イランの子供たちが、学校が楽しいと生き生きとした表情で言うのを見ると、新鮮で幸せな気持ちになれるのだ。

 イランでは外で踊ることが禁じられているが、例外はあるようだ。
 イランのサッカーチームが97年のW杯予選で勝ったのだが、この時ばかりはみんなが外で輪になって踊ったり歌ったりしていた。
 道路ではポンコツの車が沢山走っているのだが、みんなが一斉にクラクションを鳴らして窓から手を出しハンカチを持って振っていた。街では食べ物がただで配られていた。勝つ前から、試合期間中は男も女も話題はサッカーばかり。
 道のところどころで集団で踊っているので、警察に捕まらないの? と聞くと、今日は特別な日だから規則が緩いのだと言っていた。この国にはサッカーしかないのではないかと思われるぐらいに国をあげての大喜びだった。

                                      <つづく>



2002年7月19日(金)「<マンハッタン・ラプソディ>池田満寿夫(角川書店)」


 ここのところイランのことばかりを書いているが、今日は最近好きになった作家について書く。池田満寿夫の小説を初めて読んだのは10年以上も前。「エーゲ海に捧ぐ」という芥川賞受賞作品だった。この時は、洒落たイメージのイタリアのあるスタジオを舞台に、アーティストと恋人と妻との抜き差しならない三角関係を、華麗でリアリズムに似た文体で官能的に描いた作品、という印象を持っただけだった。
 池田満寿夫というと、エロティシズムを追及する作家か、というぐらいの認識しかなくてそれほど興味がなかった。

 でも最近たまたまこの本を読んで、面白いと思った。四編の作品が収録されているのだが、どれもニューヨークのマンハッタン、60年代のソーホーが舞台で、アーティスト達の悲しく滑稽な性と生き様が描いてあった。
 芸術作品と称する、がらくたみたいな無意味なものを創る貧しいアーティスト達が、性欲を持て余し、気の合う異性同士でセックスをして遊んだり親交を深めたりしている。まるで戯画のような小説であるため、文学といえるのだろうか、と少し疑問に思ったが、やはり文学なのだと思う。
 官能的な描写は多いが、読者の官能を刺激するための描写ではない。欲望と夢を哀しく滑稽に描くことで、人間のありのままの存在を表現しようとしているのだ。

 池田満寿夫のリアリズムに似せた文体は、従来のリアリズムとは違う。華麗で繊細で、一見重厚そうなリアリズムみたいな文章のために、かえって人間の滑稽さがより強調されて可笑しく読めるのである。だから本物のリアリズムとは違うのだが、魅力的な文体だと思う。

 でもこの小説はもう出版されておらず、図書館か古本屋にしかない。古本屋では定価の1.5倍〜4倍の値段で売られているようだ。(定価は980円なのにサイン本だと4500円もする)
 60年代のソーホーの街の様子、空気、人々、アパートメントの内部、アーティスト達の暮らしや生き方を垣間見ることができるし、風刺的で作品としての価値もある貴重な小説だ。



「<芸術家になる方法>池田満寿夫+金田石城(現代書林)」

 これは池田満寿夫と金田石城という書道家の対談集だ。彼らはアーティストを志す人に向けて語っているのだが、私は勝手に小説家になる方法として読んだ。尊敬するある小説家が言っていたことと重なるところが多かったので、特に興味深かった。

 一番印象に残ったのは満寿夫の次の言葉だ。
「大切なのは、“才能”と“運”です。アートの世界というのは、ある瞬間にとんでもなく飛躍するの。なぜかと言われても、何も、誰もわからない。だけど飛躍する作家としない作家がいる。そこなんだ。飛躍するときは、破れかぶれなんですよ。……僕も展覧会で賞をとった時にパッと飛躍している」
 これはどういうことかというと、池田満寿夫は1966年にベネチア・ビエンナーレ展で版画部門大賞を受賞するのだが、それまでは生活費を稼ぐために春画などを描いていた。
 その頃、久保貞次郎という人が日本のコミッショナーになり、池田満寿夫や他のアーティストを日本代表として選んだので、満寿夫はベニス・ビエンナーレに出品することができた。
 しかし満寿夫は技術がなく自己流だった。彼は、銅版に刃みたいなもので傷をつけ、落書きみたいな絵を描いて出品した。
 これは日本の批評家にはめちゃくちゃにけなされた。久保貞次郎にも理解できなくて、別のアーティストを応援していたそうだ。しかし、たまたま外国人の審査員にこの作品を認められて、賞をとったのだ。
 それ以前に催された第一回国際版画ビエンナーレ展でも池田満寿夫は入選したのだが、ここでも不思議な運が働いている。この国際展では初めて外国の審査員が呼ばれたのだ。それまで審査員の全員が日本人だったのに、この時は偶然にも半数の審査員が外国人だったのだ。
 その頃、版画は木版のモノクロが主流だった。しかし池田満寿夫は、エッチングでカラーの作品を創った。それが当たった。このような作品は珍しいと、外国人の審査員に認められたのだ。
 このようにして、彼は次々と賞を獲得していき、そのたびに大きく飛躍するのだ。
 満寿夫は言う。「審査員が違っていたら、賞取れないもの。それは明快ですよ。たまたまタイミングが合って、そういう積み重ねがあって、賞を取れるわけです。絵の世界でも、文学の世界でも、一回だけ賞を取って潰れているのが何人もいますよ」

 つまり、彼の作品が“新しい”ものだったということと、賞を取るための環境や審査員との偶然の出会いによって、大きく飛躍しているのだ。

 “飛躍”についてはこうも言っている。
 「人間の理解というのは飛躍があるんです。順序立ててだんだん理解していくというものじゃない。アートの世界というのは、一瞬に飛躍することがある。それは他人に対する理解もそうだし自分自身もある瞬間にものすごく飛躍するわけです。そこなのね。破れかぶれなんです、飛躍する時は」

 また満寿夫は、食べれる作家になるには、安くても作品を売ることが大事だ、最終的には、作品の本当の評価なんか百年経たなければわからない、無名作家の良いところは安いことと作品が良いことだ、安いことは決して恥ではない、しかし作品が良くなければいけない、と言う。

 他にも、印象に残った池田満寿夫の言葉は沢山ある。それぞれあげていくとこうだ。

 「作品を創るとき、もうこれが最後の自分の仕事かもしれないという気持ちでやっているんです。“この一作”に賭けている」

 「アートというのは、いろんな条件によって評価が変わるんです。アートはその時に評価されなくても、五十年後に復活するんですよ。アーティストは百年後に発見されることもある。これが“もの”を創っている人間の強さなんですね。実際に創った“もの”が何百年も残るんです」

 「色で描いた絵をモノクロの写真で撮ると、デッサン力がわかるんです。モノクロの写真にして良い絵というのは、良いですよ」

 「アートは一人でまっとうできる。アーティストは社会の歯車ではない。ここにしか芸術家の存在価値はないんだ。だってその絵がダメだということに、人は理由をつけられないですよ。一人で戦っていく気持ちがあるんなら、誰でも芸術家になれると言える」

 「“才能”とは、要するに“成功すること”でしょう。“才能”があるから成功するわけじゃない。一つの仕事が成功して初めて“才能”があると人に言われるんですよ。結果でしか、“才能”ってものはわからないんですよ。だから“才能”は、いつ火を噴くか誰にもわからない」

 こういった話を読んでいると、アーティストや作品というものの価値には、株価のように上下するような曖昧さがあることがわかる。
 だから、ギャラリー関係者が人工的に価値をアーティストに付与することで、美術業界の商売を活性化させ儲けることもある。
 版画なども、刷る枚数を限定させることで、故意に価値を高めていく。
 こうしたアートの値段付けに、胡散臭さを感じるのは私だけだろうか。

 でも、池田満寿夫の作り手としての言葉には、とても元気づけられる。また池田満寿夫は自分に厳しい人なのだと、次の箇所を読んで感心した。
 金田石城が、先にギャラを渡されて好きな時に良い作品を創ってください、と言われた方が気持ちが乗ると言うのだ。これに対して池田満寿夫はこう言う。
 「ギャラは先に貰わない方が良いですよ。やっぱり常に不安を持ってなきゃいけない。これ描いたけど、気に入らないって断られるんじゃないかな、という不安感ですね。ギャラを貰ったらダメなんだ。その不安感がなくなってしまう」
 やっぱり池田満寿夫はレベルの高いアーティストなんだな、と思った。

 また、芸術家という言葉のイメージに対しても厳しい。
 「私生活はスキャンダルだけど作品は平凡というアーティストは多い。アーティストは突飛で破天荒な生き方をしても許されるというのは幻想だ。世間は本当には許してはいない。軽蔑されているんですよ」

 「だいたいアーティストというのは被害妄想が強い。自分は虐げられている、疎外されているという不安感がアーティストのエネルギーになっている。だから芸術にとって“安らぎ”は敵」と彼らは言う。でも結局は、「芸術は、自分との闘い」と満寿夫は言う。

 満寿夫は女性についてはこう言っている。
 「女性っていうのは、共同で生活して、そこからいろんなものを与えてくれる存在なんですよ。僕も与えて、向こうからも受けとる、そういう存在です」
 「僕は相手の女性に、家庭的なことを一切要求しないですよ。要するに、彼女の“才能”が好きなんですね」
 「本来、芸術とは道楽者がやる仕事であり、女のやる仕事だと、僕は思う。……芸術家は結局、女性の部分を持っていなきゃいけないんです。女の感性を持っていなきゃいけない。男の感性100%の芸術家なんていないですよ」

 この本の中の池田満寿夫の言葉はとても重要だと思ったので、つい長々と書いてしまった。勇気づけ元気をもたらしてくれる良い言葉ばかりだった。今後、彼の言葉は私の心の支えになるだろう。

 新人文学賞をとったある小説家も同じようなことを言っていた。この方は才能豊かな小説家なのだが、純文学の二つの文芸誌に同じ作品を投稿したら、一方は一次選考で落選して、一方では受賞した。まあ宝くじみたいなものだから、落選しても気にするな、と。
 しかし、受賞するかしないかで、その後の人生を大きく明暗に分けると思う。
 すばる文学新人賞で、最終候補まで残った赤井都という書き手がいる。この方の略歴を見ていると、考えさせられる。20以上もの文学新人賞で一次や二次に通過していながら、受賞できないのだ。
 “運”というものは何なのだろう。

 ところで、「タユランの糸車」の四度目の校正はしないことにした。その代わり、最後までしつこく修正したので、自分としては、完成度がかなり上がったと思う。あとは本になるのを待つのみだ。
 本当は八月にはできるのだが、八月末に書店の棚卸しがあるため、この時期に発売すると私のような無名の書き手の本はすぐに返本されてしまう可能性が高いので、九月発売にしたのだ。
 それでなくても、今どこの出版社も返本率が五十パーセントぐらいだそうだ。文芸書に限ると、七十パーセントぐらいは返本されるらしい。
 「配本」と「平積み」というのがあって、「配本」は書棚に入っているものをいう。「平積み」とはその名の通りだ。「配本」は全国書店にするそうで、「平積み」は十店舗ぐらいにさせてもらえるそうだ。「平積み」の場合は、売れる様子がないと、一週間で返本してくる書店が多いそうだ。「配本」では、書店に置いてもらう期間が少しはのびるらしい。
 まあ、儲けるために本にするわけではないのだが、寒々しい現実があるのだな、と思う。



「私のオムライス」

 ところで最近、直伽風オムライスを編み出した。それはこういうものだ。
(1)オリーブオイルでお米を炒める。
(2)オリーブオイルを敷いて、クミン、ガラムマサラ、ニンニク、玉葱、鶏肉の順で炒める。
(3)水を入れる代わりに無塩のトマトジュースと鶏ガラスープの素を入れる。
(4)(1)のお米を加えて炊く。
(3)炊きあがったら、ゆでたグリンピースを入れる。
(4)溶き卵にターメリック、塩、胡椒を少々入れて、フライパンで焼き、少し半熟程度でライスにかける。



2002年7月14日(日)「イランの人々(8)」

 日刊ベリタに次のような記事が載っていた。
 「テヘラン発のAP通信によると、国として厳格なイスラムの戒律に従うイランで、妻による夫殺害が急増している。今年に入り明らかになっただけでも、首都テヘランだけで女性20人が夫殺害の疑いをかけられた。男性優位の厳格なイスラム社会で抑圧され続ける女性の、つもりつもった不満が、殺人という形で出口を求めていのではないかと、イラン国内で議論を呼んでいる。」

 イランでは、結婚する時に、万が一に離婚をした場合に支払う慰謝料(メヘリエ)の額が男性側に求められ決定される。これは女性側にはないので、妻に有利に見えるが、離婚の場合には妻は不利な立場になる。夫からの離婚はすぐに認められても、妻からの離婚申し立ては認められない場合が多い。
 事故の賠償金なども、女性の場合は男性よりも少なく、パスポートの取得、海外への出国など公的なものは、まるで未成年者のように逐一夫の許可が必要だ。
 たとえ離婚が成立したとしても、親権は父親のみに与えられる。母親は子供の年齢が低い場合にかぎって養育はできるが、親権はない。母子家庭や寡婦への手当もない。
 しかもイランの男女関係や家庭における愛情は、基本的に自分の命を与える、というものだ。こういった愛情関係は、相手を尊敬していて好きな場合には、とても心地良いものだし幸福感を味わうことができる。
 しかし、相手を軽蔑していて嫌いな場合には、命を与えるという行為が、ただ単に従い尽くすだけのものになり奴隷のようになってしまう。特に肉体的に男性よりもハンデがある女性にとってはなおさらそうだ。言うことをきかなければ夫に暴力を振るわれるという理由で、ハイハイと奴隷のようにしていなければいけないのだ。妻からの離婚が難しいので、余計に憎しみが募り苦痛の人生を強いられることになる。
 イランでは幸せな結婚生活を送っている妻が多い一方で、愛情を失った場合、夫婦という緊密な関係と女性に不利な法律があるゆえに、結婚生活が地獄に一転してしまう妻もいるのだ。

 イランでは、相性の良い男性と結婚する場合には、女性は大切にされ生涯とても幸福でいられる。しかし、夫と相性が悪かった場合、女性はとても不幸になる。離婚した後も、生きにくくなる。この落差が激しいというのが、私の意見だ。

 私がイランで知り合った独身の女性は、医科大学に通っていたり、美容師だったりした。既婚女性はテヘランで中流以上の家庭を築いている妻だった。みんな自由を志向する若い女性たちで、自分の望むものや意見を持っていた。それでもイランから出たいと言っていたのは、医科大生の彼女だけで(しかしあんまり本気ではなさそうだった)、他の女性たちは家族に満足していて一生イランに住んでいたいと言っていた。妻は夫との信頼関係を土台に安心して暮らしていて、ほのぼのとした雰囲気の中で子供を作り家族と会話をしていた。
 彼女たちは我慢をしている様子はなく、それどころか言いたいことは率直に言い、夫と対等に会話をしていた。妻や子供もみんなと同じように感情や気持ちを露わにしていて、カカア天下みたいなところもあった。
 むしろ夫の方が経済的な問題を抱えて悩んだり我慢をしていたりした。これは、嫌なことはなるべく男である自分が引き受けようとする、イラン人男性に特有な紳士的な姿勢があるためだ。

 だからイランでは、見たところ、女性は男性より堂々としていて威張っているようだった。女性は愛想を振りまくこともなく、誇り高い姿勢だった。平身低頭なのは男性の方なのだ。
 これは、イスラム教で女性が媚びを売るのを良しとしないということ、夫が社会の荒波の防波堤になっていて常に家庭を守っているということ、妻は家庭の仕事に専念するために社会の厳しさに直接触れることがないということ、などの理由からだろう。
 だから、女性は素顔でいることや媚びないことの方が歓迎されるのだ。迎合することなく、自然にしていて良いのだ。
 たとえば私は化粧をしなかった日が何日かあったのだが、化粧をしない方が可愛いと、イランの男の人が口々に言っていた。これにはびっくりした。
 日本では、私が化粧をしなかったら、男の態度が素っ気なくなるからだ。日本では女性は顔の良し悪しで、男性からの扱いがぜんぜん違う。
 イラン人男性は女性を見かけで判断したり態度が冷たくなったりしないので、とても楽だった。こうしたイラン人男性の姿勢は、女性に自信を与えていると思う。

 日本のイラン大使館で行われているお祈りの儀式に参加した時も、大使館に勤めているイラン人の夫を持つイラン人の妻たちは情緒的に安定していて、誇り高く堂々としていた。話をすると、生活に満足しているみたいだった。
 だから、イランの妻は抑圧されているというのは一面的な見方で、社会的自由を望むテヘランの中流以上の家庭では、のびのびしていて居心地が良いと感じ、自分に自信を持っている妻が圧倒的に多いのではないかと思う。

 おそらく、家庭に問題が起きているのは、古い習慣を踏襲しようとする家庭、貧困層や田舎に住んでいる人々の間ではないかと推測する。

 私は、イラン人の男女はお見合いで結婚することが多いから、お互いに「好き嫌い」という感情もないのではないか、とイランに行く前は思っていた。しかし、激しい恋愛みたいな「好き」は見なかったが、愛着とか相性の良さは感じられた。
 彼らは普段から頻繁にコミュニケーションをして身内や友人、知り合いの間で影響し合っているので、似たような考え方や価値観や性質を持っている異性や友人との出会いが多くなるのだと思う。しかもお互いに心をオープンにしている。こうした環境のせいで縁が働きやすいのではないだろうか。

                                     <つづく>



2002年7月7日(日)「イランの人々(7)」

 イランでは、一ヶ月のうち半分は人の家を訪問し、半分は自分たちの家にお客を招き入れる、と言われるぐらいに肉親・親戚・友人・知り合いの家を頻繁に行き来して、一緒に遊んだり食事をしたりして楽しんでいる。
 外に、飲み屋やディスコやゲームセンターなどの娯楽施設がないためか、人々は家の中でパーティをしたり、ゲームをしたり、一緒にハイキングをしたりして楽しんでいるのだ。
 イラン映画では、イランの人々がむっつりとして生真面目な顔をして映っていることが多いし、メディアから伝わってくる情報から、イランは法律・宗教の規制で人々はかなり抑圧され不自由なのではないか、と思われがちだ。

 しかし、そうしたイメージとイランの人々の素顔は違う。不自由さについては後で書くが、私が知り合った庶民の人々は、周囲の信頼できる人間関係の中でとても大らかに生活を楽しんでいた。
 特に女性と子供はのびのびしていた。男性より女性の方が威張っているぐらいだった。
 イラン人は人間の情緒的な面をとても大切にしていて、弱者に対して慈悲心がある。そのため女性を大事に扱う。女性に対してだけでなく、老人や子供に対しても思いやりを持って接する。見知らぬ旅人に対しても親切だ。彼らは、性別・年齢・人種・職業が違っていても同じ人間として接するのだ。しかし、職業や地位、お金によって扱いが変わる点もあった。これについては後で書く。

 マジッドの両親が住む家にも、頻繁にマジッドの兄夫婦や親戚が訪れていて、こちらも頻繁に訪ねて行った。日本人を交えて話しをするというのも、彼らにとってはちょっとしたエンターテイメントだったのだ。
 テヘランにあるコンクリート建築の家の内部は、天井にシャンデリア、床にペルシャ絨毯、というのが基本だった。床には大小の様々なサイズのペルシャ絨毯が何枚も敷いてあった。みんな絨毯の上に車座に座って食事をしたり話をしたりするため、壁際にソファの背もたれだけを切り取ったような硬めで長いクッションが幾つも並べてあった。
 そこに誰かが座ると、決まってチャイ(紅茶)と果物、お菓子が出てくる。イランではコミュニケーションが人々の大きな楽しみであり心の支えであり、助け合いの話の場となっているので、人々が車座になってお茶を飲んだり食事をすることは重要な意味を持つのだ。そこで彼らは、仕事、お金、噂話、生活や職場や学校のこと、楽しいこと、辛いこと、悲しいこと、政治・社会情勢のこと、いろんなことについて心を開いて語り合う。家の中では、ムッラー(イスラム教指導者)や政治の悪口を言っても大丈夫なのだ。
 女性はスカーフやコート、チャドルを脱ぐ。その下は大抵がスラックスとシャツだ。外出しない時は、ワンピース、ミニスカートやタンクトップを着ていたりする女性もいる(数は少ないが)。
 家の中では踊ったり歌ったりもするのだ(外で踊るのも原則として禁じられている)。またテレビ番組も規制されていて、イランではニュースや宗教番組ぐらいしかないが、衛星放送のアンテナをつけてトルコの娯楽番組を観ていたりした。もちろん、ばれたら罰せられるのでアンテナは外から見えない場所に隠していた。それはどこの家庭でもそうだった。元警察官だというイラン人もそうしていた。アルコールを隠し持っている若者もいた。若者のカップルの主なつき合いも、部屋の中で行われていた。
 しかしイラン男性は紳士的なので、たとえ二人が一緒に寝泊まりしても、女性が身体に触られるのを拒むと何もしないそうだ。実際に、大部分の男女が結婚まで処女・童貞でいるそうだ。
 イランの人々はコソコソして生活しているな、という印象を持った。このように家の外と内とでギャップが激しいのは一般的なことなのだ。みんな外では決して政治やムッラーの悪口は言わない。しかし、不平不満はみんな持っていて、特に若者は自由への志向が強く政治・社会を変えたい、と願っていた。アメリカなどの外国に移住したがっている若い男性が多かった。しかし不思議なことに、外国に住みたいという女性はほとんどいなかった。ずっとイランに住みたい、と言う女性が圧倒的に多かった。
 日本のイラン大使館で一週間に一度行われているイスラム教のお祈り儀式に参加した時も、イラン人女性たちは口々に、早くイランに帰りたいと言っていた。イランでは女性が大事にされるし、母性や情緒的なもの、繊細さや優しさなど女性的なものが尊重される。だから洋服などの規制はあっても、女性にとっては居心地の良い国なのだろう。
 マジッドの母親もイランでの暮らしに満足していて、毎日家族のために数時間かけて夕食を作ると言いながら、毎日の調理でマメができた両手を自慢げに見せてくれた。

 一見したところ、イランの男女の役割は、一昔前の日本のそれに似ている。しかし、内容は全く違う。一昔前の日本の家庭における妻と夫の役割は形式的で、習慣と惰性で成り立っていたところが大きい。だから日本では、料理や掃除もできないし子育てにも参加しない夫、外で労働をしたことがない妻、というのが沢山いた(今でも沢山いるかもしれないが)。妻にソックスを穿かせてもらう夫がいたというのだから驚きだ。つまり、依存関係なのである。
 イランでは、結婚して子供ができるまでは女性もよく働く。男性も炊事、洗濯、掃除など身の回りのことができるし、自分の子供とよく遊んで躾もする。自分のことは基本的に自分でできるのだ。彼らは精神的に自立している。
 イランの妻が、数時間もかけて料理をするのは、家族の健康への配慮や楽しく食事をしたいという気持ちからなのだ。夫も妻をとても大切にする。病気になっても老いて容姿が衰えても変わらない愛情を注ぐ。なぜ愛情が変わらないのかと言えば、人間性で結びついているからだ。
 また、夫は妻に隠れて浮気をすることはない。彼らは正直さや誠実さを大切にするので、もしも他の異性を好きになったら、妻の了解を得て第二夫人として迎え入れることになる。もっとも一夫多妻は一般的ではなくお金持ちの一部にしかないそうだ。
 一夫多妻制はあっても一妻多夫制がないところに男女不平等を感じるが、何人もの女性を妻にするには、大変なエネルギーとお金と心の余裕を必要とする。今は廃れつつある制度だそうだが、一夫多妻制ができた背後には戦争で夫を失った女性やその家族を救済するという目的があったそうだ。
 しかし私は、何人もの妻をめとり大家族を作ることができるのは、非常に心が豊かで育む力や慈悲心があったためでないかと思う。
 なぜかと言えば、彼らの愛は、相手が妻であれ子供であれ友人であれ、自分の命を与えるという現実的なものだからだ。

                                      <つづく>



2002年7月2日(火)「国旗・国歌の賞賛と愛国心は違う」

 世間が私をどう見ようと、私は作家(作り手)なので作品を通じて世間と関わっていきたいと考えている。だから日記を書くのは週に一回ぐらいにするつもりだったが、宮内さんの掲示板に国旗・国歌法や愛国心についての書き込みがあって、私も意見を言いたくなった。
 日本の国旗・国歌法に反対する者は、愛国心がないという人がいるが、それは違う。
 国旗・国歌の法制化の底にあるのは、愛国心ではない。個人の誇りやアイデンティティの拠り所を日本という巨大なものに集中させて、市民を全体主義の方向に向かわせようとする国家の意図が隠されている。
 日本人は、あまりにも自信がないために大多数に同調しすぎるし、権威になびきすぎる。そういった自信のなさを、国家が利用して大衆をうまく統制化しようとしているのだ。

 日本の国旗・国歌があるのは良いと思う。しかしそれが法制化によって国家の都合の良いように悪用されることが不安なのだ。
 ここ数年のうちに、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)、周辺事態法、国旗・国歌法、通信傍受法、テロ特措法、が次々と法律化された。これらの法律は、アメリカの軍事力に追従し、個であることを喪失させ、国家のために生きることを志向させるものだ。国家が右傾化して、市民を管理・統制化する国家システムを構築する方向性だ。今度は有事法制や個人情報保護法案などが法律化されつつある。戦時体制になりつつあるのだ。
 こうした時代背景があるために、国旗・国歌の法制化にも不気味なものを感じる。

 実際に教育現場ではすでに、学習指導要領で卒業式や入学式などでの国旗掲揚と国歌斉唱指導が義務づけられている。
 国旗を揚げ国歌を歌うことで、生徒の連帯感と愛国心を養おうとしているのだ。しかし、強制や義務で抱かせる愛国心や連帯感は偽物で、市民を金太郎飴みたいに個性を失わせ個人としての尊厳を貶めてしまう。
 個人の自主性や選択の自由がないところに、本当の連帯感や愛国心はない。

 本当の愛国心とは、日本の問題点を直視し、改善していこうと一人一人が自主的に考えたり行動することであって、国歌を歌い国旗を掲げることではない。
 人と人がつながったり、人が母国のために考えたり行動することは、個人のパーソナリティから出てくるものだ。他人とは違うかけがえのない個性を持った主体的な人間として、他人や環境・世界について考えたり行動するのが、本当の愛国心なのだ。
 愛国心を本当に育てようとするなら、生徒の一人一人に政治、社会の問題について意見を持たせ議論させ、対立する者同士でも仲良くさせる教育をすれば良いのではないだろうか。
 議論をして対立しても、環境を良くしていこうとする共有意識があるなら、仲良くできると思う。そうしたコミュニケーションのあり方を学ばせれば良いと思う。

 国旗を掲げる場合でも、あくまで世界の一部としての日本という、ファッションみたいな軽い感覚で行えば違和感はないのだが、そこに誇るべき日本対外国というラインを引き、愛国心やアイデンティティを求めようとするから欺瞞を感じるのだ。



2002年7月1日(月)「イランの人々(6)」

 マジッドの兄夫婦には1歳の女の子と4歳の男の子がいた。子育ての真っ最中で、彼らと遊ぶのはとても楽しかった。マジッドや兄も一緒になって男の子と格闘技をして遊んだりしていた。田舎では妻は沢山子供を産むそうだが、テヘランでは物価、土地の値段が上昇し続けているため生活も厳しくなり、最近では子供を二人ぐらいにとどめるのが一般的になっているそうだ。
 それでも家族の絆は濃い。兄夫婦は親戚の紹介で知り合って結婚したのだが、いろんな異性と会って時間をかけて話をして気の合った人を自分で選ぶそうだ。奥さんは20代後半、夫は30代前半だった。夫の帰りが遅いと、奥さんは寂しがっていた。奥さんは前にインドへ一人で旅行に行ったことがある。奥さんがイラン以外の国を見てみたい、と言うと夫が旅費を全て負担して旅に出してあげたそうだ。
 マジッドが日本にいた時も、家族と話すために国際電話に一ヶ月に数万円も払っていた。彼だけではない。他の在日イラン人もそうだった。少ない収入であるのに、家族との会話にはお金をかけていた。
 どうして、それほど家族が心の支えになっているのだろうか。家族とのつながりが希薄な私には疑問だった。

 イランでは家族をとても大切にする。子供ができると、母親は育児に専念する。今の日本の親のように、共働きのために自分の子供をどこかに預けるということをしない。私の両親は共働きだったために、私を生後半年で祖母に預けてしまった。親と子供の信頼関係は、産まれてからのコミュニケーションの積み重ねによって築かれると思うが、日本では出産するとすぐに自分の仕事の方に専念する親が多いと思う。子供が何を感じているのか、何を考えているのかがわからない親が多い。子供に対してだけではない。他人や自分の気持ちもわからなかったりする。本当の気持ちに気づきたくない、というのが日本人の思いかもしれない。表に出すと都合が悪い気持ちを抑圧しているのだろう。家族の気持ちに気づくことは、自分の気持ちに気づくことでもあるのだ。生きるのが楽しくない、何のために生きているのかわからないから子供を生き甲斐にしてしまう。心が通じ合っていないのに過保護だったり、子供が親を必要としている時に放任していたりする。日本で問題になっている人間関係障害は、子育ての頃からすでに始まっているのだ。内面をないがしろにして、外面と物質に重きを置く文化は、様々な弊害を生んでいる。

 イランでは、物質よりも気持ちを大切にする。だから、人が何を感じているのかを察知するのが上手だ。何を感じているのかがわからなくなると、「何思っている?」と聞いてくる。たとえ気持ちが不快でも、それを伝えると、彼らはそのまま受け入れる。彼らにとっては感情は自然なものだから、ありのままの感情を受け入れるのだ。彼らがとても嫌がることは、嘘をつくことだった。私がイラン人といて楽だと感じるのはそのためだ。
 子供がむずかっていると、親はそれがどうしてなのかすぐにわかる。彼らとドライブしている最中に、一歳の女の子が泣き始めたのだが、お腹が空いているせいか、腹痛のせいか、トイレに行きたいのか、泣き声だけで母親はすぐに理解した。心が触れ合っているから、すぐに子供の気持ちがわかるのだ。
 気持ちをわかること、で家族が信頼関係を築いているのだ。だから、夫婦の間でもそうだが、子供も自分の感情を偽ることをしない。みんなのびのびしていて、喜怒哀楽を抑えることなく表現していた。
 だから家族といる時、居心地が良いとみんなが感じていた。こうした家族関係が築けるのは、子育てに専念するだけの時間が母親にあるということと、働き盛りの父親でも時間には余裕があるためだろう。みんなが一緒に暮らして遊んで楽しい時間を過ごすことで、絆が深まっていた。
 大人になっても、子供が何を感じていてどうしたいのかを親は知っているし、それは子供も同じだった。(前に書いたことと同じようなことを書くことになるが)、在日イラン人が国際電話のやりとりだけで自分のお金と名義で母国に不動産を買っていた。親が介在していたのだが、自分の目で確かめた方が良いよ、と忠告すると、親は僕が何を望んでいるかを一番良く知っている、と言っていた。また親や兄弟がイランから送ってくる食品やいろんな物が、息子の好みにぴったりと合っていた。
 家族が、それぞれの好みや感じ方や考え方をお互いに知っていて、尊重し助け合っていた。これは心が触れ合っているからできることだ。
 こんな当たり前のことが、日本人の私には新鮮に思えるのだ。私の親も洋服などいろいろ贈ってくれた。しかし、私の嫌いなものばかりで困った。いろいろ贈ってくれる人はいるが、私の好みやライフスタイルに合わないものばかりだ。感謝はすべきだと思うが、心が触れ合っていない関係なのだな、と気づかされる。贈り物によって、心が通じ合っているかどうかが、わかってしまう。だから、心が通じていないなら、贈り物などしない方が良いと思う。淋しくならないために。そんなエネルギーと時間があるなら、まずは他人を理解しようと心がけた方が良い。これは男女の関係にも言えることだ。

 イラン人の家族の信頼関係は濃いといっても、マジッドがやりたいことと、兄や親がマジッドに望むこととには食い違いがあることもあった。
 たとえばマジッドは、タイなどの外国で商売をしたいと言う。兄はマジッドに自分の会社に入れ、と言う。父親は、外国に行くのは許さない、と頑なだったりする。
 三人はそれぞれのことを主張するのだが、兄や父親は自分たちのせいでマジッドの夢が潰れることを悲しむところもあった。マジッドが嬉しくなると、兄や親も嬉しくなるのだ。マジッドも、兄や親が寂しがる顔を見るのは辛かった。
 三人の異なる主張の間に、深い愛情が見え隠れしていた。
 
                                        <つづく>