2002年6月25日(火)「イランの人々(5)」

 イランで出迎えてくれた、マホメッド、ビジャン、マジッド、ハミッド、ベザードは、前に日本で働いていたことのある若者たちだった。
 日本に出稼ぎにくるイラン人は、イランでは中流階級以上の若者だ。特にお世話になったのは、マジッドの家庭だった。テヘランは観光地図の上方にあるエルブルズ山脈の麓が高級住宅街であり、下方にしたがい土地が低くなり中心部、下町となっていく。

 街は清掃されていて、ゴミなどは散らかっていなかった。自動販売機がないためか、空き缶などもない。イラン人は清潔好きなのだ。日本で働いているイラン人男性も、一週間に二回ぐらいは部屋の掃除をするのが普通だ。
 しかし、道路の空気は排気ガスで汚い。日本だったら、確実に車検で落ちる車が沢山走っている。窓ガラスが割れているもの、後のトランクがちゃんと閉まらないもの、あちこち窪みがあったり傷があるのは当たり前のことだった。排気ガスも真っ黒だったりする。でも時たま、日本で見かけるようなきれいなランドクルーザーの新車が走っていたから不思議だった。イランでは物価は安いが車は例外でとても高価だ。日本製の車は日本で買うよりも高いと自動車会社の人が言っていた。だから一般の人々は廃車みたいな車に乗っているのだ。
 そのためか、みんな多少ぶつけても平気である。道路は、交通ルールを無視して、滅茶苦茶に沢山の車が走っていた。道路を渡るのは非常に危険だった。どの車も停まってくれない。少しはスピードを落とすが歩行者のためにいちいち停まらないのが普通なのだ。みんな、走っている車の間をすり抜けるようにして渡っていた。私は慣れないので、イラン人の友達の手を借りて一緒に渡った。

 とても感心したのは、街のいたるところに喜捨箱(募金箱)があり、お金持ちも貧しい人も誰もが当たり前に、もっと貧しい人たちのために日常的にお金を寄付していたところだ。
 喜捨箱は、駅前や道路、ビルのフロアでも見かけたし、田舎の道路沿いでも見かけた。彼らに聞くと、盗む人はいない、と言う。厳しい罰則があるためもあるだろうが、喜捨(サダゲ、アラビア語でサダカ、喜んで貧しい人に自分の物をあげなさいという意)の信仰が人々の心に浸透しているのだ。街の立て看板、道路沿いの柱、バスの車体、田舎の建物や山肌など、いたるところに、「喜捨をせよ」「礼拝は神への感謝」という文字が刻まれている。
 そのような信仰があるために、道ばたで煙草を売っている浮浪者に対しても、冷たく軽蔑することはなかった。人々は、これといって働かずにお金を貰おうとする人を呆れた存在だと見なしているが、同情もしているのだ。きっと災難に遭って運が悪かったのだろう、と時々煙草を買ってあげたりしていた。

 テヘランに住んでいる人々は、たとえ下町でも、イラン全体から見ると裕福な階級だ。とても貧しい人は、田舎に住んでいる。テヘランの下町や地方都市、田舎では、人々は日干し煉瓦の家に住んでいる。最近、イランの北西部のガズビン州で大地震があり1200人以上の死傷者が出たが、これは日干し煉瓦の家が瓦解して人々が下敷きになってしまったせいだ。
 テヘランの中心部から山の麓の高級住宅街にかけては、日干し煉瓦の家は見あたらない。外観は日本のマンションとさして変わらないコンクリートの建物ばかりだ。イランはもともと、敵から身を守るために庭を壁や居室で取り囲み、壁を寄せ合い密集し街を構成するという中庭建築が発達していた。そのためか、外に向けて開放的な造りの建物は見なかった。マンションみたいな建物が多く、一軒家でも外観は小さなマンションみたいに四角い建物で、玄関には頑丈な鉄柵があり大きな鍵がかかっていた。あるいは、そのような建物の周りを高い塀が取り囲んでいたりした。

 私は本当は下町の日干し煉瓦の家の内部を見たかったのだが、彼らはなぜか「イランにも良いところがあるよ」と言って、建設ラッシュのビルディングや高級住宅街ばかりを見せようとするのだ。
 私は、イラン女性たちの黒いチャドルを身に纏った格好に憧れて、黒いパンツに黒いコート、黒いスカーフで髪を覆っていたら、彼らは言う。「お金持ちの女性は、カラフルなスカーフをするんだよ。黒ずくめはダサイんだ」
 こっちは黒ずくめが面白いと思っていたのに。文化的なセンスのギャップを感じたが、まあ仕方がないことだ。

 マジッドの家は高級住宅街にある石造り風(日干し煉瓦ではない)の一軒家だったが、近所にあるマジッドの兄夫婦のマンションに泊まらせてもらった。
 80uぐらいの2LDKで、天井にシャンデリア、床にペルシャ絨毯、柱は煉瓦風で、まるでアメリカ映画に出てきそうなマンションの内部だった。乾燥機つきの全自動の洗濯機もあった。このマンションを数百万円で購入したそうだ。
 しかし、イランのどの建物、一流といわれるホテルにも言えることだが、構造的には少し安っぽい印象を受けた。特に水回りは良くないと思う。
 ちなみにマジッドは、日本で稼いだお金を頭金にしてローンを組み、350万円ぐらいのマンションと300万円ぐらいのお店を買ったそうだ。

 ところで田舎の家庭では洗濯機などないのが普通で、人々は半日かけて洗濯をする。私は、始めの2週間は団体ツアーに参加したが、この時のイラン人のバスの運転手さんがこう言っていた。「妻は半日洗濯するから足腰が痛くなった。いつか洗濯機を買ってやりたい」
 清潔好きのイラン人であるから、頻繁に洗濯をしているのはいうまでもない。

 延々と長くなるし、他にも書きたいことがあるので、続きはまた今度。

                                           <つづく>



「<私は自分が作家とは思っていません>ロバート・ジェームズ・ウォラー」

 最近、私は、毎日新聞に載ったロバート・ジェームズ・ウォラーの「私は自分が作家とは思っていません。学部長時代の週末、リラックスしたいとエッセーを書き始めたのです。ジャズギターや写真にも熱中してきました。一つの枠には収まらないで、いろんなことをやるのが好き。書くことに気持ちが戻ってきて、昨年秋に書き上げることができました」という言葉に感銘を受けた。
 書き上げたというのは、大ベストセラーの続編「マディソン郡の橋 終楽章」だが、私はまだ読んでいない。「マディソン郡の橋」は35カ国以上で出版され1200万部売れたそうだが、その割にはあまり文学性は高くない。センチメンタリズムで人々を泣かせたと思う。でも好きな作品だったし感動もした。
 文学性はあまり高くないと言っても、日本の有力な文学賞に値するぐらいのレベルにはある。あくまで、世界中で騒がれた大ベストセラーの割には、という前置きがあってのことだ。

 「私は自分が作家とは思っていません」というウォラーの言葉に、私はとても心が楽になった。
 というのは、自分のお金で出版すると言うと、時々インテリ風の人に「それは作家ではありません。ただの作家志望者です」といきなり言われたりするからだ。私は自分を作家などと言ったのではないのに、なぜかそう言われるのだ。
 その人たちだけではない。文学新人賞を獲った人も、「私たちプロの作家とは……こういうものだ」とか、あくまでプロの作家とアマチュア作家とのラインを明瞭にしたがる。
 さらに、出版社の関係の人に、有力な文学新人賞をもらえるのは30代までだよ、と言われたりする。(エンターテインメント小説は別だが)
 実際に有力な新人賞を獲る書き手は、圧倒的に20代か30代前半だ。
 私は、こういった文学の世界には窮屈さを感じるし、健全ではないと思う。日本で「プロ」になり小説で食べていくということが、どれほど意味があるのか疑問に思えてくる。
 きっとみんなそれほど自信がないのだろう。だから、こせこせしているのだ。

 海外では、ウォラーやブコウフスキーやベルンハルト・シュリンクなど50代でデビューして素晴らしい文学作品を生み出している作家は沢山いる。
 今の日本で、50歳過ぎて世にデビューして世界的に名前が知られるようになった純文学の作家はいるのだろうか。
 若くして文学新人賞を獲れないなら将来性なし、と決めつけてしまうシステムがあるのではないだろうか。
 そのシステムでメジャーデビューした作家で、新人賞受賞作品を凌ぐ小説を書いている「プロ」は何人いるだろうか。

 こせこせしていて窮屈な国にいると、ウォラーの姿勢がとても悠々として見える。きっと50歳で初めて書いた小説が認められ、35カ国以上で出版され1200万部売れたという実績があるから、余裕と自信を持って生きられるのだと思う。

 「作家になる」ためや「○○になる」ために一生懸命になるのは、一般的に良いこととされているが、その一生懸命の裏には空虚が潜んではいないだろうか。
 本当に好きなことをしている人は、「○○になる」ためでもなく、アイデンティティや自我のためでもないと思う。
 ウォラーみたいに、自然な気持ちで熱中したり楽しんだりしているのだと思う。

 私も好きだから小説を書いているのだが、本にするためには、大金がかかる。それを考えると、やっぱり新人賞を獲らなければ、それも年を取らないうちに、早く早く、と焦る気持ちが出てくる。焦ると、こんな生き方がバカらしく思えてくる。そんな揺れ動きの中にいる。



2002年6月20日(木)「イランの人々(4)」


 私がイランに興味を持ったのは、イラン人の大らかさ、誠実、純朴、純真な心、喜んで自分の命を与えようとする精神性に惹かれたためだ。イラン人は心が広く暖かいので、彼らに囲まれていると日本にいる時のように人の機嫌を気にして調子を合わせる必要がない。それどころか、一人一人が何を感じているか、何を考えているかを自分の言葉で表現する方が、人々に信頼される。彼らは、心をお互いに見せ合うことで信頼関係を築くからだ。

 97年11月頃の約一ヶ月間に及ぶイラン滞在は、人生のうちで最も楽しく有意義なものだった。二週間のツアー旅行を終えた後、自分の足で自由にイランを見てみようと、私だけツアー団体から抜けてイランに居残った。
 そんな私を歓迎して、旅の危険から私を守り、イランを案内しようと出迎えてくれたのは、マホメッド、ビジャン、マジッド、ハミッド、ベザードだった。
 外国旅行がほとんど初めてに等しい私にとっては、中東地域を一人で渡り歩くのは危険だ。かといって、単なる旅行者であるのに、二週間も同じ家に泊まってずっと一人の人間に案内をしてもらうのは、向こうにも負担がかかる。そのため、川に突出している敷石を踏んで用心深く渡り歩くように、彼らの家を転々としてお世話になることになった。いろんな家や人々、様々な家族や人間関係を垣間見ることができて面白かった。彼らがこの日記を読むことはないだろうが、心から感謝している。
 これからイラン旅行に出かける人がいたら、観光地巡りも楽しいが、ぜひ、信頼できる現地の家族とつき合うことをお勧めする。庶民の内側を見ることはとても勉強になるし面白い。
 特にイランの場合は、政治・宗教の規制があるため、彼らの表情は家の内と外とでは大違いである。そのギャップが面白い。また、実際のイランは、日本で報道されたりイラン映画などで伝えられているイメージとはかなり違う。
 具体的にどうだったかと言うと、今日は疲れているし他に話したいことがあるので今度お話しする。
                                      <つづく>



「イスラエルが西岸との分離フェンス建設開始」

 イスラエル国防省は、自爆テロなどを行うパレスチナ過激派のイスラエル領への侵入を防ぐため、ヨルダン川西岸とイスラエル領を分離するフェンスの建設を開始した。最終的にはエルサレム周辺や南部を含め総延長350キロ以上の“分断の壁”が出現することになるという。しかも、テルアビブ近郊までの第1段階の建設予算は、総額2億2000万ドルにものぼる見込みだという。
 パレスチナ自治政府は「オスロ合意の事実上の破棄に等しく、南アフリカで行われていたより悪い新たなアパルトヘイト(人種隔離政策)だ」と反発し、フェンス建設によりヨルダン川西岸側の土地が接収されると見ている。
 最近またパレスチナ人による自爆テロが相次ぎ、イスラエル軍による侵攻・殺戮も激しくなっている。
 シャロン首相は、パレスチナ国家樹立を拒否している。フェンスを2億2000万ドルもかけて作ることによって、問題は解決しないどころか、ますます深化していくだろう。
 人間をドブネズミのように扱って侵略したり殺戮したりするイスラエル側の態度が、この衝突の原因なのだ、ということがわからないのだろうか。
 パレスチナ問題のはじまりとオスロ合意については、私の2001年12月22日(土)の日記にも書いたが、パレスチナとの約束を一方的に破棄して、侵攻・占領・殺戮を繰り返しているのはイスラエル側なのだ。
 米国は、パレスチナ人をカナダやドイツに移住させよう、と提案したそうだが、これもパレスチナ人に不利なものだ。国際社会が提案する解決法は、常にパレスチナ人にとって一方的に不利なものだ。

 パレスチナ人を父に持ち、レバノンのパレスチナ難民キャンプで生まれ育った重信メイさんは言っていた。
 「パレスチナ人は自分たちの誇りとアンデンティティーのために、元住んでいた自分たちの土地、パレスチナに戻って生活したいのだ。パレスチナ人は、ガザ、ヨルダン川西岸地区に住んでいる者だけではない。イスラエル人に侵略されて外国に難民として追い出された、ガザ、ヨルダン川西岸地区以外に住んでいたパレスチナ人も沢山いる。私たちは、元住んでいた自分たちのパレスチナという土地に帰りたいのだ」
 そのためにどうすれば良いのか、という問いに対してはこう話しておられた。
 「パレスチナを占拠・侵略するイスラエル軍の撤退はもちろんだが、パレスチナ人とイスラエル人の双方にとって、平等で対等な法律を作るべきだ。今の法律は全く不公平だ。パレスチナ人がイスラエル人を殺すと殺人罪になるが、イスラエル人がパレスチナ人を殺しても何の罪も発生しない。パレスチナ人を人間とも思わない不公平な法律があるのだ」
 全く同感だ。大金を使ってますます憎しみを募らせ戦争を泥沼化させるとは……シャロン首相の頭はマトモなのだろうか。パレスチナにもイスラエルにも庶民の間では、和平への動きが見られるというのに。政治家が、それをぶち壊しにしている、という感じがする。



「アメリカ軍と北部同盟による虐待、拷問」

 宮内さんの6月17日の海亀日記によると、アメリカ軍と北部同盟による虐待、拷問で、4000人近いタリバン兵が死亡した、とフランスの「ルモンド」紙が報道しているそうだ。タリバン兵の捕虜470人が、カラエジャンジ要塞で反乱を起こし、米軍と北部同盟は86人を残して、すべて殺してしまったそうだ。  
 7500人のタリバン兵は、29のコンテナにつめ込まれて、シュベーガン刑務所に送られた。もしも騒いだら、コンテナの外から銃撃するように指令され、目的地に着いたときは、4000人が死亡していた。窒息死だったそうだ。シュベーガン刑務所では、舌や足を切ったり、頭から酸性物(硫酸?)をかけたり、すさまじい拷問が行われているという。
 米国のメディア操作のためか、日本ではこのニュースを見かけないが、世界の目立たないところで恐ろしいことが行われているという気がする。



2002年6月15日(土)「ちめんかのや」

 一昨日、中野区江古田にある「ちめんかのや」というお店に行った。BarとGalleryの2フロアーある、とても素敵なスペースだった。民族的な音楽のライブもよく行われていて、私は北インド古典音楽を聴きに行ったのだ。
 斎藤裕氏という建築家が設計した個性的な建物で、建築雑誌に発表され話題を呼び、同年の新建築賞を受賞している。もともとは住居として建てられたものらしい。
 内部は洞窟のようで、いたるところにアフリカやタイなどから輸入した高価な家具や調度品が置いてある。Barにあるテーブルは象牙海岸のセヌフォ族が使っていたという、木でできた100年ほど前のベッドが利用されている。真中には大きな丸い石をくりぬいた井戸があり、少しずつ流れ落ちる水音がひんやりと心地よい。
 洞窟を探検するように階段を上がっていくと、一転して明るく、大きな楕円形の窓から木漏れ日がさんさんと降り注ぐ空間が現れる。ギャラリーというよりはミニ美術館といった感じ。ここでライブが行われた。木の床で靴を脱いで上がる。奥に布が敷いてあって、そこでミュージシャンが座って演奏するのだ。私達は座布団に座って音楽に酔いしれていた。

 カナイヤラル・ミシュラが“サランギ”を演奏した。“サランギ”とは、北インドの代表的な擦弦楽器。木をくりぬいた木製の胴体に皮がかぶせてある。3本の動物の腸から作られた主弦、40本近いスチール製と銅製の共鳴弦が張ってある。これを動物の尾毛の弓で擦って奏でるのだ。この両者の異なった響きが、人の声に最も近い楽器といわれるサランギの魅力なのだ。
 トゥン・マハラジが“パカワジ”という打楽器を演奏した。“パカワジ”はインドの打楽器“タブラ”の祖先であるといわれている。ダイナミックで迫力ある音だった。一つの太鼓でこんなにも多彩で力強く、深い重低音が出るのかと感動した。10本の指がリズミカルに動くのだが、1本の指が私の片手に相当するぐらいの力があるのだろう。
 一木をくり抜いたボディの両面にそれぞれ山羊やラクダの皮を、紐により張ってある。片側の鼓面の中央にはマンガン粉(もしくは鉄粉)と小麦粉を水で練ったペーストが塗りつけてあり、これによって多彩な音色が出るのだ。
 もう片側の鼓面には水で練った小麦粉が貼りつけてあり、これによって非常に深い重低音が出る。
 宮島祐一さんの“サロード”も良かった。“サロード”もインド、中央アジアの古い弦楽器で、ボディに皮が張ってあり、弦は25本で多彩で繊細な音が出る。
 ボディの上方に張ってある弦は金属的な高めの音が出て、下方に張ってある弦は比較的低めで素朴な音が出る。
 宮島さんは、前に、カルフォルニアでウスタッド・アリ・アクバル・カーン氏という巨匠に師事し、現在はアミッド・ロイ氏に師事している。私は宮島さんの演奏を見るのが好きだ。いつも夢中で楽しそうに演奏している。きっと自室で1人でも、夢中になって演奏しているのだな、と思う。だから聴いている方も楽しくなってくる。
 他に女の人が“タンプーラ”を弾いていた。“タンプーラ”は残響の持続を司る弦楽器で、リズム的表現は一切しない。これも海の波が浜辺に打ち寄せたり引いたりするような規則的で心安らぐ神秘的な音だった。
 でもあの女の人、他の奏者に比べて情熱がこもっていないような感じがした。(私の気のせいか)

 洞窟みたいな空間で、自然が奏でるような懐かしい音楽を聴いて満足した。
 いつかこんなギャラリーに私の織物を展示して、本とセットで販売できたら良いな、と空想に浸っていた。

 修正した「タユランの糸車」の原稿を郁朋社に渡した。郁朋社では、専用のソフトを入れたパソコンで私の原稿通りに文章を修正して、校正に出すそうだ。校正した原稿は6月末頃に私のところに戻ってくる。それを再びチェックして、郁朋社に渡せば8月中には出版できる予定だ。
 一つの小説を本にするためには、いろんな人々の手と能力とエネルギーと時間と費用がかかるのだな、と実感する。



2002年6月11日(火)「泥沼化する戦争/なぜ自爆テロを行うのか」


 日曜日にBSで、ハマス、イスラム聖戦、アルアクサ殉教団、などのパレスチナ武装組織についてやっていた。彼らはパレスチナ人というだけで殺されたりするので、53年間イスラエルと戦っていると言っていた。 武器や車はイスラエル兵士から買うそうだ。何人もの仲介者を経るのですごく高額になるらしい(銃一丁60〜70万)。しかもそれらには爆発物が仕掛けられていることがあるので、購入後は一つ一つチェックをする。ある幹部は、購入した車に爆発物が仕掛けられてあったため、爆発して亡くなってしまった。長期間車を使用していると、イスラエル兵に見つかり銃弾を浴びる。車をしょっちゅう換え、アジトも移動し、定職も持たない。武器製造工場も持っていて、材料はイスラエル兵から買う。
 軍事力ではとうていイスラエルに敵わない。しかし、自爆テロを行う者は殉教者として讃えられる。イスラエル軍が侵攻して包囲しているため、自爆テロの志願者が増えていると言う。
 なぜ自爆テロを行うのか、という質問に彼らはこう答えていた。
(1)パレスチナ人は、常にイスラエル軍の軍事力で包囲されていて死の恐怖におののいている。だから自分たちも恐怖の均衡状態を求めて、イスラエル人に恐怖を与える。
(2)イスラエル軍の攻撃を抑止するため。

 恐怖の均衡状態……つまり、パレスチナ人は自分たちの誇りのために戦っているのだ。 この戦争は、イスラエル軍がヨルダン川西岸地区とガザから撤退し、パレスチナ人に土地を返還しない限り、永遠に続くと思われる。

 米国防総省が、生物・化学など大量破壊兵器を保有する敵対国やテロ組織への先制攻撃を想定し、最悪の場合は核兵器の先制利用も辞さない新たな戦略ドクトリンの具体化に乗り出していると、読売新聞に書いてあった。
 戦争をしたいなら、どこかの砂漠で槍や石で戦えば良いのに……。核兵器まで持ち出すというのだから、無関心でいられない。世界のくだらないケンカで死にたくない。



「サッカー・ワールドカップ」

 ふだんサッカーに興味のない私も、日本―ベルギー戦、日本―ロシア戦を楽しくテレビで見た。ルールもよくわからないのに、すぐに興奮してしまい、ずっと見ていたくなる。サッカー観戦は、アヘンのようなものだという感じがする。スピード感があって、次の瞬間にはどうなるかわからないスリルがあり、ハラハラドキドキして陶酔してしまう。現実の問題を忘れさせてくれるし、鬱憤が晴れるような気がする。
 それにしても、この興奮と陶酔を命がけで求め、サッカー観戦を生き甲斐としている人間は恐ろしい。
 日曜日にあった日本―ロシア戦で、ロシアの敗北が決まると、モスクワ市中心部では、興奮した一部の群衆が火炎瓶を投げ、止めてあった車30台以上を破壊するなど騒乱状態となり、負傷者は100人以上にのぼった。日本食レストランや日本人も襲われた。
 極右のネオナチも便乗したフーリガンたちの主張は、ロシアの政治、経済が欧州や日本の外資資本に支配されているとの「被害者意識」に基づくものだ、と読売新聞に書いてあった。
 中国でも数万人が暴徒と化した。
 ワールドカップのために、外国まで行くのは危ない気がした。

 「サッカー好き」からではなく、興奮と陶酔を求めて観戦する人間の熱狂は、狂気に通じている。

 「タユランの糸車」は3度目の修正をしているが、人物、ストーリーの設定を少し変えることにした。今ごろになって骨格部分を修正しているので、ちょっと自分が恥ずかしくなる。しかし出版してから、こうすれば良かった、ああすれば良かったと考えても遅い。何しろ、100万円以上払っているのだから、自分が納得できるようにしなくては。
 どうして今ごろになって、いろいろ大きな修正をしているかというと、今回の編集者の指摘が結構鋭かったためだ。小説は、どこからどう突っ込まれても、矛盾も違和感もない、奥行きがある世界として構築されていなければならない。
 夏頃出版と言ったが、いつまでを夏というのだろう。8月末までに出版できるだろうか。だんだんわからなくなってきた。
 できればもう一回、原稿に赤を入れてもらいたいと考えている。



2002年6月8日(土)「ワールドカップの熱狂」「協和香料化学/違反添加物」

 時々テレビで、若い女の子がお目当てのカッコイイ選手に向けてキャーキャー言っているのを見かけるが、それはきっと「サッカー好き」とは違う。普段はサッカー観戦に力を注いでいないのに、お祭り気分で熱狂している人が多いと思う。みんな日常に退屈しているから何かに熱狂したいのだ。その格好のチャンスがワールドカップである。これで儲けてやろうとする人々が大勢いて、「退屈から逃れたい」「熱中するものが欲しい」といった民衆の空虚な潜在意識を刺激して盛り上げている。
 だから本当にサッカーを好きな人はそれほど多くない。
 中田英寿が、「野望はもちろんW杯タイトル獲得。一番恐れているのは、1次リーグ敗退と、そのことで日本のファンがW杯に興味を失ってしまうことだ」と言っていた。
 中田はなんとなく日本人の熱狂の裏にあるものを感じ取っているのだ。

 そんな中で、星野さんのサッカーへの力の注ぎようは本物だ。最近の日記(ワールドカップ観戦記)を読むと、「サッカー好き」とはこういうのを言うのだなと感じ入るところがある。
 「好き」とは、心の深いところから出てくる情熱であり、一次リーグで敗退したらサッカーに興味を失う、というものではない。縁とか運命を感じさせる、心のダイナミックな大きな体験なのだ。そういう意味ではサッカーに限らず、人との出会いにおいてもありうる。
 しかし、スポーツに対しても、仕事に対しても、人に対しても、「好き」という情熱的体験をしている人は非常に少ない。
 なんとなく習慣と惰性で生きている大人が非常に多い。そういった空虚な人々が「退屈から逃れたい」「熱中するものが欲しい」といった欲求から変に熱狂したり、敗退によって急激に冷めたりするのである。
 しかも不気味なのは、こういった熱狂を誘う錯覚や欲求の上に、文化や経済が動いているということだ。

 世の中の商売は人々の錯覚と欲求によって成り立っているので、消費者が賢くならないと大損をしたり取り返しのつかないことになる。
 例えば最近、菓子業界がパニックに陥った。「協和香料化学」が違反添加物を香料に使っていて、多くの食品メーカーがそれを菓子などの食品に幅広く使用していたのだ。
 その中には、グリコの「午後のアイス」や「チョコボール」なども含まれていてショックを受けた。私は、「午後のアイス」を毎日食べていたのだ。それらの菓子だけではない。ここ数日間でも違反添加物が次々と出てきているのだから、おそらく大部分の菓子やインスタント食品に使用されているだろう。しかも三十数年間使用し続けていたのだ。「協和香料化学」だけではない。これは氷山の一角なのだ。

 腹が立つのは、「協和香料化学」の 平瀬明男社長が、「違反添加物であるのは知っていたが売り上げが落ちるので使用し続けた」と言っていることだ。自分たちの売り上げを伸ばすためには、人の健康のことなどどうでも良いのだ。こんな人が世の中に沢山いるために、癌が日本人の死亡率の第一位になり、10人中3人が癌で死亡するのだ。
 「雪印」もそうだが、過去に出会った人々を振り返ってみても、人に良いものを与えようと真心で働いている人は少ないと感じる。みんな、生活のため、儲けるために働いているのだ。
 
 なぜ社会はこのようなシステムになっているのだろうか。これは、消費者が愚かであることが大きな原因だと思う。
 みんな表面的なものに惑わされすぎる。見た目が良いもの、格好が良いもの、にすぐになびいていくのだ。
 香料など食品に入れなくても良い。
 化粧品にも香料など入れて欲しくない。香水など嫌いだ。なぜ世の中の人々は表面的なことにこだわるのだろうか。それは自分に自信がないためだ。中身が空虚だから表面にこだわるのだ。人間関係が希薄で、独身や離婚が増えているのも、そうしたことと深く関わっていると思う。
 イランでは、女性は化粧をしないのが普通だ。最近では法律の厳しさに反発を感じる若者が化粧をしていることもあるが、化粧をしてもしなくても、美人でもブスでも、女性への扱いが変わることはない。そうした内面を尊重する生き方が、家族を作って繁栄していくことにつながると思う。

 香料の問題は部分的なことだ。社会を改善するには、1人1人が根本的に生き方を変えていかなければいけない。



2002年6月4日(火)「<太宰治賞2002>筑摩書房 受賞作<緊縛>小川内初枝」

 あまり好きな作品ではなかった。話はこうである。
 人生の目標もなく、やりたいことも好きなこともない心の空虚な三十半ばの独身女性、美緒が、たいして好きでもない家庭持ちの男二人と不倫を重ねる。冒頭部分は、その男と鶏肉を縛るシーンから始まる。セックスも激しく「私を縛って」などと言ったりする。
 年末年始には親元のところを訪ねる。美緒は帰省してもなぜか親に、ただいま、と言えずに小姑が来たで、という言い方をする。自分のことを家族の中で小姑に例えているのだ。彼女は不和な家庭に育ち、母親は気性が激しく画家を自称している。しかし美緒は恨み言を言うでもなく、年々荒れ果てていく実家を掃除する。
 突然、美緒の女友達が理由がわからないまま飛び降り自殺をする。
 妹はすでに結婚をして子供が二人いる。赤ん坊の男の子と三歳の女の子だ。郊外で暮らしている妹から泣き付かれて、美緒はその家を訪ねる。妹の夫は出奔していて、妹はやつれて疲れ果てていた。女の子は母親から愛されていない。不自然に気に入られようと良い子ぶっている。妹は育児ノイローゼのように不安定でヒステリックだ。美緒は女の子の世話をしながら、気ままに自由に血を残しているくせに、と妹を赤の他人のように批判的に見ている。
 妹が向こうの部屋で昼寝をしてしまった後で、美緒は女の子をスーパーに連れていき洋服を買ってあげて、帰ってからは風呂に入れてあげる。父親が不在で母親がいつも苛立っているため、女の子はいつも淋しい。誰も見ていない時に、彼女は精一杯自分を可愛く見せようと、首や腕に毛糸を巻き付ける。美緒はそれを見てびっくりして叫び声をあげる。
 しかし大きな物音がしているのに、妹は起きてこない。
 美緒は無性に腹が立つ。この子は生まれてきてはいけなかったのだ、自分は血を残すつもりはないというのに。
 美緒は女の子を素っ裸にして、全身が腫れて紫色に変わるまで、毛糸で縛り上げる。「私は誰も殺さない。誰も生まない。何物にも関わらない。だが、せめて、母なるものに、見せしめを」
 「大声で泣きなさい」という言葉を女の子に残して、美緒は妹のアパートを出て行く。

 しかし、冒頭部分で鶏肉をたこ糸で縛る「緊縛」、不倫のセックスで私を縛ってと言う「緊縛」、最後で女の子を毛糸で縛る「緊縛」が、タイトルの「緊縛」にあるようにそれほど意味があるものとして迫ってこなかった。
 美緒は社会や人間関係において曖昧さと不安を感じているため、私を縛って欲しいと願っているのだろうが、切実な衝動として伝わってこない。
 不倫の相手の男をたいして好きでもない、セックスマシーンだと女友達に言い放つぐらいに情熱がない。
 緊縛の衝動というよりは、美緒の存在が緊縛の状態にあると思えた。やりたいことも好きなこともない、何のために生きているのかわからない女性が、男とゲームのセックスはするけれどもたいして相手を好きではない。当然結婚もできないし子供も生まれない。こうした現代の女性の有り様が緊縛の状態にあるといえる。
 この小説は、美緒が実家に帰ったあたりから心に迫ってくるものがあった。ラストシーンで、美緒が妹の娘を毛糸で縛るのは一見残酷だが、この事件のおかげで、妹は夫との関係がうまくいっていないのに子供を二人も作ってしまったことに向き合うことができるのだ。
 女友達があっけなく死んでしまうのも、この作品にリアリティを与えていた。

  しかし作者が示した「緊縛」がどのような意味だったのか今一つはっきりと伝わってこなかった。
 たいして好きでもない男となぜ激しいセックスをするのか、いつも淋しいせいだろうが、これもよくわからなかった。セックスシーンと緊縛のシーンが、今ひとつ弛んでいて安っぽい。
 しかし、選考委員が言われているように、「将来性」(三十六歳)で賞を獲得した。

 ところで、やりたいことを見つけて充実した人生を送っている人は、このような空虚な女の悲痛な叫びを描いた小説を読みたいと思うだろうか。この主人公に共感する人は、同じように空虚な人ではないだろうか。
 前回感想を書いた「根府川」も、とりとめのない生活を送っている老人が主人公だったが、私は共感と好ましい感じを持つことができた。
 しかし、「緊縛」には魅力を感じない。なぜかというと、登場人物の全てが病んだ人間で、自分を相対化して距離を持って見る自由な姿勢がなく、息がつまるぐらいに病理的な世界だからだ。
 空虚がテーマなのは良いのだが書き方に魅力がない。純文学が読まれなくなっている原因の一つに、共感したり憧れたりする登場人物が出てこない、というのもあると思う。

 「緊縛」といい島田雅彦の小説といい、どうしてこうもセックスが心から離れたものとして描かれるのだろうか。そうでなければ、星野智幸の「毒身帰属」の独り身の主人公のように、自室で性欲解消のいびつな行為に耽ることになる。
 日本の病んだ社会は、個人の性まで歪んだものにしている。
 いつか、女友達の多いイラン人が「日本の女は、深いつき合いもないのに、身体を触るとすぐにアハンと崩れてしまう」と言っていたのを思い出した。



2002年6月2日(日)「<太宰治賞2002>筑摩書房 最終候補作<根府川へ>岡本敬三」


 好感を持てる作品だった。これは作者の言葉によると、「老人2人の交流の瞬間瞬間をフィルムに撮り、紙の上に現像―停止―定着させて、それをふたたび町の風景のうちに、物語の時間のうちに、戻そうとしたもの」だ。人生の晩年のひとこまを淡々と描いていて、切なく哀愁が漂っていながら温もりとユーモアがあった。
 主人公の「おれ」は、つまらない理由で会社を辞め妻とも別れ毎日お酒ばかり飲んでいる。根府川で犬と暮らしている独り身の叔父が「おれ」を訪ねてくる。2人とも、生きていくことはほんのちょっとしたペテンだ、と考えているような人物だ。
 2人は貧乏で居酒屋を飲み逃げし、学園紛争の記憶が遺る神田界隈を彷徨しながら会話をする。侘びしさと懐かしさが滲み出ているシーンだった。別れ際に叔父は「根府川の家に遊びに来いよ」と「おれ」に封筒を手渡し去っていく。
 封筒を開けると、5万円入っていた。「おれ」は急いで居酒屋に戻ってお金を払おうとするが、もうすでにお金は払ってあるという。「おれ」が気づかないうちに叔父が払っていたのだ。
 二ヶ月後に「おれ」は根府川の叔父の家に遊びに行く。叔父はもう、二ヶ月前に2人で会ったこと、居酒屋のこと、お金を手渡したことなどを忘れているようだった。
 「おれ」はボケた一人暮らしの老人が人知れず息を引き取る姿を想像する。「おれ」は近所づきあいの様子を尋ねると、叔父は適当につきあっているし定期的に役場の人が様子を見に来ると答える。
 2人には子供も妻もなく、これといった仕事もない。ゆっくりと時間に身を任せて死んでいくだけだ。叔父は死んだ<おれ>の父が三日間だけ書いた日記を持ち出してくる。わずかながら、人生に触れた感慨が叔父の口から洩れてくる。

 完成度が高く感慨深いものがあった。だが少しガラスを隔ててドラマを見ているような気分にもなった。きっとそれは、晩年のひとこまを切り取り、思い出深い街の中に挿入し小説世界を作り上げるという、ある距離を持った作意と方法のせいだと思う。この方法のおかげで、老人の深刻な問題や悲しみや重みに圧迫されることなく、気持ち良く読めたのだが、逆にインパクトに欠ける作品になってしまったのではないだろうか。
 でもブコウスキーの小説の日本版みたいで魅力のある作品だった。

 岡本さんは52歳でフリーランスの編集者でありライターをされている方だ。前に(今もそうかもしれないが)池袋コミュニティカレッジで小説作法を教えられていた。
 プロフィールを見ると、新たに製本工房講師というのが加わっていた。私家版を作っておられるのだ。自費出版は費用が高くつくので、自分で本を製作するというのは良い方法だと思った。

 <太宰治賞2002>という本には受賞作と最終候補2作と選評が載っている。文藝賞やすばる文学新人賞も、こういった本を出版すれば良いのに、と思った。
 受賞作品について書きたいのだが今日は時間がなくなったのでまた今度書く。