2002年3月30日(土)「文学新人賞では年齢・その他の条件を伏せて選考しろ」

 ようやく約300枚の小説「キャラバンサライ」が出来上がったので文学新人賞に宅急便で送るつもりだ。これは、ニホン人女性、イラン人男性、コロンビア人女性との三角関係を描いたものだ。私と同じように受賞を夢みて応募する人が沢山いるのだ。1800人ぐらい。その中の1人になるには、何か売れそうな要素がなくてはダメなのだろう。
 女子高生でもなく、コムデギャルソンなどのブランドの会社に勤めているわけでもなく、メキシコ留学みたいな経歴もない。
 話題性もなく若くもない人が受賞するにはどうすれば良いのだろう。作品のみで勝負をするとしたら相当の才能や完成度が必要とされるだろう。
 それならそうと誰もが納得できる信頼のおける選考をしてもらいたい。
 そのためには、年齢・その他の条件を伏せるか、そういった記入を求めないとか、するべきだ。
 まったく文学新人賞のことを考えると、憂鬱になる。
 今は、文学新人賞を獲っても、3冊ぐらいは出版されるが、その後はまた新たな文学賞を獲るか4000部ぐらい売れるかしないと、4冊目からは出版されず見切られるのが早い、と出版社の関係者から聞いたことがある。
 それでも、無料で本にしてもらうのはありがたいし、ただの作家志望者と新人賞を獲った作家とでは、人々の扱いが全く違うと思う。
 落選したらまたHPに載せることになる。
 これからは「タユランの糸車」の修正に本腰を入れて、早く出版したい。



2002年3月25日(月)「<ホームレスになった>金子雅臣著(築地書館)/人間関係の貧困化」

 
著者は都庁で労働相談をされているのだが、普通のサラリーマンたちの相談を受けながら、ホームレスになってゆく経緯や心情を探り、問題の本質を浮き彫りにされている。 普通の人たちが、職場を解雇され、離婚し、人間関係を失い、ホームレスになっていくのである。他人事とは思えない話だった。

 彼らはなぜ、路上生活をはじめるのだろうか?
 経済的事情も大きな要因にはなっているが、決定的なことは、人間関係を失ったことにより路上に出ているのだ、と著者はいう。
 職場の解雇、会社の倒産、サラ金の借金など何らかの事情で貧困になった時、それまで関わってきた人々が遠ざかっていくのである。学校や会社から離れることの副次的効果として、家庭からも離脱するのだ。
 元来人付き合いの苦手な人もいるが、困窮が引き金になり、生活や人間関係が崩壊してしまう。最後には、心を閉ざし、投げやりになり、たまに労働しても長続きしなくなり、絶望して路上を彷徨うことになる。
 彼らは社会に文句はあっても、抗議行動に出ることはない。自分を閉ざしたまま、極力回避するのである。確たる動機や意志によるものではなく、成り行きで路上に漂っているという感じなのだ。

 93頁には、こうした問題の本質に触れたことが書いてある。
 「……これらの例(登校拒否や引きこもり)と路上生活者との違いは、その原因が貧困から始まって人間関係を失っていることであろう。……<経済的貧困>から<人間関係の貧困>が生み出されて、その結果、アルコールやギャンブルに走っていくという図式が説明としては正確なのだと思う。……本当の問題はこうした<経済的な貧困>によって、すぐに貧困化してしまう<人間関係の貧困化>のほうかもしれない。」
 著者は、経済関係に支配されてできている現代の人間関係は、経済関係の崩壊によってたちどころに崩壊してしまう関係に過ぎないのだろうか、そうだとすれば、現代社会における人間関係というものは、一体何だろうか、と問いかけている。

 「ブラジルの毒身」(星野智幸)という短編小説の中に、移民としてブラジルに渡ったイッサさんが一文無しで日本に帰国したが、身内に冷たくされ居場所がなかった、というエピソードがある。「砂の惑星」(星野智幸)に出てくるブラジルに渡った日系移民の美沙雄も、一時帰国したが身内と争い日本に居場所を失った。
 「居場所がない」「郷里を失った」ということは、「人間関係を失った」という意味ではないか、イッサさんや美沙雄が孤独で辛かったのは、「人間関係を失った」ためではないか、と思った。
 イラン人の間では、職を失い困窮しているからといって人間関係を失うことはない。働くことが嫌いな怠け者は嫌われるが、不可避な不運は同情される。
 相互扶助の文化が根付いていることもあり、困っている時にはお互いに助け合うのだ。
 日本に出稼ぎにきていた多くのイラン人は、労働時間が長く仕事がきつかったり仕事を失ったり虐めにあったりして、辛い思いをどこかでしているにもかかわらず、「友達がいたから楽しかった」と過去を振り返って口々に言う。
 彼らの人生を満たしているのは、人間関係なのだ。
 星野さんが、小説のテーマにされている「独身」の問題も、「人間関係の貧困化」からくるものだろうか、それともただ「出会い」がないだけなのか、「出会い」がないのはどうしてなのか、いろんな疑問がわいた。
 「独身」が増えている理由は何なのか、その背景にあるものは何なのか。
 普段、何事もなく物に囲まれて生活しているが、社会や人間の心の深層が病んでいて、危機に陥っているのではないか、という気がする。

 この本の中に、タクシー会社を解雇された2人の男性が出てくる。1人は転職したが愛想が悪く協調性がないため仕事を辞めざるを得なくなり、借金も増えホームレスになった。
 もう1人は、解雇を転機に、前に板前をやってみたいという気があったのを思い出し、チャレンジして成功しつつあるのだった。
 この違いは、なんだろうか。
 きっと前者は、転職してもやりたい仕事ではなく嫌々ながらしていたのではないだろうか。そもそもやりたいことなどあったのだろうか。なんのために生きているのかわからないから、解雇された後は人生が投げやりになってしまったのではないだろうか。
 後者は、板前の仕事をやってみたかった、というから生きる目標があったのだと思う。そういった生き方が土台になり人間関係も育っていったのではないだろうか。
 生きる目標ややってみたいことがあるというのは、とても大切なことだと思った。



2002年3月20日(水)「河合規仁 個展」


 今日は銀座の通りを歩いている途中、とても面白い絵に出会った。たまたまギャラリーの前を通った時、カラフルで楽しい色遣いの絵が目に飛び込んできたのだ。
 浮世絵や漫画を連想させる、アジア的な絵画だった。急いでいたのだけど、思わず中に入って鑑賞した。 時間がなかったので十分に観れなかったけど、私好み。「直伽のお気に入りイベント」に載せた。
 3月23日(土)まで。
 河合規仁のHP



「山形マット事件 民事で無罪」

 少年が虐められてマットの中で窒息死させられた山形マット事件の山形地裁での民事訴訟判決で、逮捕・補導された元生徒たちが無罪になったと、今日の新聞に書いてあった。
 物的証拠に乏しい、という理由からだ。
 仙台高裁の抗告審では、元生徒たちのアリバイを否定して有罪になっていたというが、このままでは死んだ少年の魂は浮かばれないだろう。
 虐めや不当な損害を受けた場合は、ちゃんと証拠を取っておくことが大切だと思った。



2002年3月19日(火)「小説<眠る月>の読者の反応/出版事情」

 私が書いた小説「眠る月」はほとんど読まれていないに等しいが、それでも数人の一般の方々から感想をいただいたり他の場所で感想を読んだりして、とても勉強になった。
 肯定的な言葉はそのまま心の支えにして、否定的な言葉は今後の邁進のために創作活動に役立てていきたい。
 今回、小説をネットで発表して、顔も知らない世の中の人々の声を聞くことで、私の世界観はがらりと変わりつつある。
 この小説は、出版業界の関係者やプロの作家にも読んでいただいて添削や講評を受けたりしたものだ。この時、全員の方に指摘されたある欠点があった。
 その指摘はこうだった。「人物、ストーリーが類型的である」
 主題もありふれている、と言われた方も一人いた。確かに業界の側の観点から見ると当然と思われる欠点だった。
 ところが、一般読者の感想には、その欠点に触れたものがほとんどないのである。否定的な感想の中に今のところ、「主人公の卓には自主性がないから共感できない。モラリトアムとか自己憐憫が主題になっている作品はあんまり好きでない」といったものがあるが、業界の方々から言われた欠点とは違うような気がする。
 他の方からは、次のようなメールをもらった。
「……ストーリーはすっごくいいと思います。文面は,台本や戯曲の合い間に書かれているナレーション的な文章のようだけど,それは意識してやっていらっしゃるのでしょうか?」
 またある芸術活動をされている別の方からは、「……ストーリーの展開って言うか流れ方が心地良かったです。人間の深層心理に向けた純粋さとかはかなさ見たいなものへの感じ方っていうか切り方が私の作品にも表現したい部分とリンクして久々に心が揺さぶられたって感じです。……」というメールをもらった。

 読者が少ないのでまだなんとも言えないが、私の中では、世の中には様々な感じ方・読み方をする人がいるのだ、という実感が芽生えている。
 そのため、小説の価値は偏差値のようには決められないのだ、と感じている。それではどのような小説が価値あるのかというと、わからないのである。前にも書いたが、くだらない小説が売れたり、良質の文学が売れなかったり、不可解な世の中なのだ。
 本の売り上げが毎年下がる一方だという空前の出版業界の不況と、有力な文学新人賞では女子高生が選ばれているというのも無関係ではないだろう。
 新潮文庫から出ていた林芙美子の「めし」が、重版の見通しが立たず手に入らなくなったのも悲しいことだ。

 そこで最近登場してきたのが、オンデマンド出版。書籍データをコンピュータに保存しておいて、注文があった段階で印刷・製本し、配送するというシステムだ。
 これはサーバにデータを置いておくだけで書店に物としての本を配送するわけではないから、絶版にはならないそうだ。だから数年後にたった一人の読者が注文しても、応じることができる。しかし定価が高くなるそうだ。
 これ、流行るかどうか、少し疑問である。
 人は、なんとなく本屋に立ち寄ってみて表紙や中身を見て買いたくなったり、ベストセラーという世間の評判につられて買うのではないだろうか。
 高めの本を注文して買う人となると、読書家かよほどのファンではないだろうか。

 本が10万円ぐらいの予算で製作できるのが一番理想だ。もしこの理想が実現したら、文学新人賞に振り回されなくてすむ。応募した1800人中1799人の作品は大量のゴミとして捨てられる運命にあるが、安価な費用で出版できれば多くの作家志望者の魂は救われる。
 結局のところ、お金の問題なのである。

 純文学を目指す私としては、自分の小説の言葉が相手の心に入っていき記憶に刻まれることが最も嬉しいことである。
 小説が売れることと、小説が心の中まで入っていくこととは違うことだ。買ったが読んでいない小説、読んだがつまらなかった小説、が沢山あるのである。
 有名なプロの作家の作品でも、自分と感性が違えば読みたいとも思わない。評判が良いから買って読んでみたが、心に残らないこともよくある。
 世の中に本は沢山あるけれど、本の言葉が自分の心に触れて刻まれることは、非常に少ない。これからの文学は、心に働きかけるものを目指すべきだ。出版業界も、純文学の書き手に対して、一人の作家からいくら稼げるか、売れるかどうか、という姿勢は捨てた方が良い。
 後世に残るようなより良い文学を生み出すために、書き手も出版社も作品主義になるべきである。



2002年3月18日(月)「兵役拒否/イスラエルの若者」

 昨日はNHKスペシャルで、イスラエルで若者が兵役拒否していることについてやっていた。イスラエルでは、18才になると兵役義務がある。兵役期間は男が3年、女が1年9ヶ月だ。
 イスラエル人のヤイール君は、パレスチナ自治区からイスラエル軍が撤退すること、報復反対を主張し、兵役義務を拒否した。ヤイール君に賛成する若者が集まり、62人の若者が兵役拒否した。
 兵役拒否したら、軍刑務所に入れられる。まず4週間、軍刑務所に入り、その後は帰宅して考えを改めるように指示される。考えが変わらなかったら、また軍刑務所に入る。長くて1年間、軍刑務所に入ったり帰宅したりの繰り返しになる。軍刑務所では、配膳係や掃除をする。
 その後の人生では、公務員など国に従事する仕事には就けなかったり、世間の冷たい風に晒されてしまう。
 だがヤイール君の意志は変わらない。それに影響されて、1月下旬にはヨルダン、ガザ地区で任務を拒否するイスラエル人兵士が10日で170人も出てきた。
 その後イスラエルでは、イスラエル軍のパレスチナ占拠に反対する人々や元兵士が約1万人集まって集会した。「困難な変革も、少数の声から始まる」と非暴力による平和を訴え、シャロン政権を非難していた。
 3月には100人を越える若者が兵役拒否をした。

 一方でパレスチナとイスラエルの軍事衝突はますます激しさを増し、3月に入って200人が死亡していると報じている。
 1月下旬には、パレスチナ人の若い女性による自爆テロもあった。普通の人々でさえもここまで追いつめられているのだ。パレスチナを覆う深い絶望と怒りを感じた。
 イラクのフセイン大統領は、このパレスチナ人女性の行動をたたえる記念碑を建設するよう命じた、と2月1日付けの日経新聞に書いてあった。

 今回、米国がパレスチナ国家樹立を促す決議の提出国になった。「対テロ戦争」を掲げてイラク包囲網構築を目指すブッシュ米政権としては、パレスチナでの武力衝突を沈静化させなければ、都合が悪いのである。
 米国にどんな思惑があるのかわからないが、とりあえず沈静化に向かい死亡者が減るなら良いことである。

 ベトナム戦争の時の反対運動も、平和を願う少数の若者から始まった。パレスチナとイスラエルの埒があかない武力衝突も、兵役拒否をする若者など庶民が非暴力を訴えることで変わっていくのだろう、と思った。



2002年3月15日(金)「私の誕生日」

 今日は私の誕生日だ。嬉しいけれど、文学新人賞を獲るには不利な年齢になった。今の私にはこれといって悩みはないが、好きなことで社会参加しようとすると絶望的な気持ちになる。しかし今年も小説を書いていくつもりだ。書いても書いてもほとんど人に読まれない、というのは辛いが、でも大丈夫、手織りが私を救ってくれる。手織りをやっていると無心になれる。無心になった後は、また小説で頑張ろうという気持ちになる。
 それに、少しだが、読んでいただいた方から励ましのメールもいただいた。これにはすごく元気づけられた。私はこれらのメールを決して忘れないし、その人たちのことをこれからも応援している。

 私が人生の価値を見出せるのは、生産する時である。時々、自分が何者かわからないためずっと学生の身分でいる人を見かけるが、生産につながらない勉強や研究は単なる消費ではないだろうか。
 書く、読む、織る、この繰り返しが私の人生だ。



「<ブラジルの毒身>星野智幸」

 たった15枚の短編小説を読むために、690円も払ってしまった。「エクスタスX+3月号」という雑誌を買ったのだ。女の子のためのカルチャー誌ということだが、拠り所のない老人たちの話である<ブラジルの毒身>を、女の子たちはどのような気持ちで読んだのだろうか。

 でもとても素敵な短編小説だった。私が今まで読んだ星野智幸さんの短編の中では、きっと一番好きだ。これまでの小説は怖い結末のものが多かったが、今回は読後感が良かった。
 岡村淳の映像写真や説明も載っていたので、もとが取れた気分だ。
 ブラジルの老いた日系移民たちが、日系一世の同窓会としてアマゾンの無縁仏のもとに集まりどんちゃん騒ぎをするのだ。ジョウジさんというビデオ・ドキュメンタリストと主人公「私」が、コンテナ・トラックに老いた日系移民たちを乗せ、アマゾンまで行くのを幻想的に描いてあった。
 イッサさんという老人の朴訥で誠実な人柄、ブラジルでの農業の失敗、日本に帰国しても親戚に冷たくされ居場所がなかったこと、それ故ブラジルで独り身のまま生涯を送っていることが、切なくて胸が痛んだ。イッサさんが、人から差し出されたグラビアページのヌードを嫌がったり、明け方にコンテナ・トラックから降りてサンパウロに戻ろうとして道ばたを歩いていたのが印象的だった。
 最後に、無縁仏の前でみんなの魂がどんちゃん騒ぎをする。あの世かこの世がわからない幻想的なシーンだった。
 ジョウジさんの彼らを見つめる眼差しがとても暖かく、この短編全体がブラジルの日系移民一世の様々な人生への鎮魂歌のようだった。
 ただ、アマゾンに向かっている車内で、気候や風景など異国らしい描写があっても良いような気もした。

 これは岡村淳の「郷愁は夢のなかで」という映像作品がもとになっている。私は他に、「ブラジルの土を生きて」というブラジルで自分たちの死を見つめる日本人老夫婦の日々を描いた映像作品も観てみたい。

 岡村淳は、ブラジルに渡った日本移民たちの生涯をずっとビデオに撮り続けている。ここには、世界と人間のつながりをめぐる深遠なテーマがあると思う。
 人間の家郷(ホーム)から離散し、異邦の地で老い、死を目の前にして、彼らはどのように感じ考えているのか、とても興味がある。



「群馬桐生」

 火曜日、織物で有名な桐生に行った。4作目の小説「女教師・藍の雫」で藍染めが出てくるので取材のため藍染めの見学・体験をしに行ったのだ。でもこれだけなら、来月に行っても良かった。何せ文学新人賞の締め切りが3月末なので、応募する予定の3作目の「キャラバンサライ」の推敲をしたいからだ。しかし、夏頃自費出版する予定の「タユランの糸車」の表紙に糸車のイラストを載せたいので、織物参考館・紫(ゆかり)で昔の糸車の見学もしたかった。それに、次回に展示販売していく織物のネームラベルも桐生の専門店で見たかった。

 織物参考館・紫(ゆかり)で、藍染めの見学・体験と桐生織りの体験をした。桐生織りは京都西陣から技術を取り入れ発展したものだ。
 絵画織も有名でジャカード織りだが、現在ではコンピューターを取り入れたジャカード専用織り機が絵画織を自動的に織っている。タテ糸が切れるとランプが点滅して効率的に処置される。
 明治時代に織物職人がアメリカに織り機を輸出するために、幅3メートル長さ5メートルぐらいある巨大な織り機を製作した。アメリカ人の体格をあまりに大きく推定して、それに見合う織り機を作ったのだ。実際にアメリカで使用されたが、使いにくいため短期間で廃れ、もとのサイズの織り機を輸出することになった。
 その時のバカでかい織り機が展示してあった。ここでは明治から昭和にかけて使用された織り機や道具、資料が展示してある。

 加藤登紀子、F・モレシャンもファンだという名物レストラン「芭蕉」でランチを食べたかったが火曜日は休みだった。仕方なく、道路沿いの寂れた食堂に入って、550円のオムライス、250円の野菜スープを食べた。なんと、オムライスの中にチキン、野菜スープの中に野菜が、沢山入っていた。東京都新宿区のこういった食堂では、なかなかないことだ。
 桐生では商店街の大きさや人口に比べて、バスが非常に少ない。一時間に一本である。皆さんどうしているのか、と聞いたら、どの家族も車を持っている、という。パーキング代は一ヶ月3000円だそうだ。ちなみに新宿では4〜5万円が相場である。



2002年3月9日(土)「イラン映画<私が女になった日>マルズィエ・メシュキニ監督」

 完成度の高い映画だった。夫であるモフセン・マフマルバフ監督が脚本を書いているためか、マフマルバフ監督独特のユーモアと象徴性と詩的な映像を織り込んだ芸術的な作品だった。
 タイトルは陳腐だが、イスラム社会で直面する女性の問題や自立への願い、それに反する厳しい現実を、キッシュ島を舞台に鮮烈に描いてあった。
 少女、成人女性、老女が主人公の、3つのオムニバス・ストーリーだ。

 第1話はハッワという女の子が主人公だった。イランでは、女の子は9才になると大人の女として扱われるようになり、ヘジャブ(スカーフ)を身に着けることが義務づけられる。それと同時に男の子と一緒に遊ぶことも禁じられる。
 もうすぐハッワの9才の誕生日がくる。残された時間はあとわずか。家族が反対する中、ハッワはなんとか最後に、今まで兄妹のように仲が良かった男友達と一緒に遊ぼうとする。彼らは、一緒に飴をなめ合ったり、筏作りをして、最後の時間を過ごす。最後のシーンでは、ハッワのヘジャブを帆にした筏が、陸から離れていく。

 第2話は、アフーという大人の女性が自転車レースに参加することで、「妻」という社会的紐帯から逃走していくシーンを描いていた。黒いヘジャブに身を包んだ沢山の女性たちが、自転車に乗って海岸沿いの道路を走っている。そこに、馬に乗った夫がやってきて、離婚を望むアフーを連れ戻そうとする。アフーには夫のもとに帰る意志はなく、自転車をどんどん走らせる。しばらくすると再びアフーのところへ、夫、離婚調停人、父親などの様々な男たちが馬に乗って次々とやってくる。「自転車に乗るな、離婚はやめろ」
 アフーはスピードを上げて突っ走る。そんな彼女を、先回りした男たちが待ち伏せている。
 男たちは、暴力的なまでに彼女を従わせようとする。ついに自転車をもぎ取られ、アフーは捕まってしまう。
 アフーは何から逃れ、どこに行きたかったのか、数少ない会話やシンボリックな映像で私たちの想像を掻き立てる。イラン社会での「妻」の立場が窺えた。

 第3話は、フーラという老女が飛行機から降り立つシーンから始まる。フーラの指にたくさんのリボンが結ばれている。リボンには欲しいものの名前が書いてある。冷蔵庫、ベッド、ティーポット、ウエディングドレス……。それは長い間、フーラが欲しかったものだ。ポーターの少年たちを従えてバザーに行き、それらを次々と買い込んでいく。あるところから相続したお金で、今まで実現しなかった夢を叶えているのだ。
 フーラは、一つだけ買い忘れたものがあるのに気づく。それが何であるかは思い出せない。買い忘れたものを思い出そうと、ベッドやテーブルなど買い込んだ家財道具を浜辺に並べてみる。
 フーラはついに思い出す。昔結婚したかった男性のことを。「もしあの人と一緒になっていたら……今ごろかわいい子供がいたかもしれない」
 彼女は少年たちに自分の子供にならないか、と切り出すが、両親がいるからとあっさり断られる。
 最後に、フーラは遠い沖に停泊している客船に運ぶため、すべての家財道具を筏に乗せて、大海原へと漕ぎ出していく。

 深刻な社会問題を、風刺やユーモアを交えて夢幻的な映像で撮るやり方はマフマルバフのものだが、女性問題を扱っているところがいかにも女性監督らしい。
 マルズィエ・メシュキニ監督はこう言っている。
「……女性は社会的に身分が低く、社会の生産的な部分においては、生産者ではなく単なる消費者やお荷物として位置づけられています。つまり女の子の誕生とは、家庭において、収入の増加ではなく消費の増加を意味するのです。……女性とは、母親または妻としてしか認められていません。それは男性や母親が妻を所有物として独占しようとすることが原因です。結果として、家庭は女性が身を守るためには一番安全な場所とされています。<私が女になった日>は、女性であるということだけで社会的問題になってしまった女性の地位について描かれています。嫌われているのではなく愛されているが故に家に監禁されている女性たちの生涯、そして女性の自立や社会的地位を確保するために感情的な結びつきを捨てなくてはならない女性たちについて焦点を当てています」

 確かにイランの人間関係はとても濃い。男女の結びつきとなればなおさらそうだ。それが結果として、妻は家の中に閉じこめられ、夫の人間関係に四方を囲まれ、息が詰まることになるのだろう。イランでは妻を愛しているが故に嫉妬し拘束するという風潮がある。
 だが、私がイランでお世話になったイラン人の若夫婦は考え方が今風で、妻は一人で外国旅行に出かけることもあった。夫は妻を信頼し、妻は夫に感謝していた。日本でもそうだがイランでも、世代によってかなり考え方が違うと思う。

 一般的に純文学の小説というと深刻で暗いイメージがするが、深刻な問題もこうしたユーモアと風刺と幻想的な手法で書けば面白いものになるだろうと思った。

 やはりモフセン・マフマルバフ監督やアッバス・キアロスタミ監督は巨匠だけあって、映画作品をより人々に楽しんで観てもらおうとする姿勢があると思う。映像が美しく音楽にもこだわりがあるし、無駄もなく、洗練されている。
 その点、アボルファズル・ジャリリ監督は野暮ったい。装飾がなく、現実を淡々とフィルムに収めているような映画だ。しかしそれだけに、イランの素顔がストレートに伝わってくる面白さはある。



2002年3月7日(木)「戦争の深入り」「3つに引き裂かれたソマリア」

 メディアでは大きく取り上げられないが、世界各地の衝突はますます激しくなっている。
インドのヒンズー教徒とイスラム教徒の暴動では、死者580人に昇っているし、パレスチナとイスラエルの武力衝突も一層激しいものになっている。米国のフィリッピンへの軍事攻撃も続いているはずだし、アフガン東部でも米軍主導の軍事攻撃でアル・カイーダ兵約400人が死亡した。北朝鮮の機関紙では、悪の枢軸は「米イスラエル日本」だと報道しているそうだ。
 今日からイラクと国連との対話が始まる。国連による大量破壊兵器の査察をイラクが受け入れなければ、軍事攻撃することをブッシュ大統領はほのめかしている。
 今度は、イラクか、イランか、ソマリアが空爆されるかもしれない

 ソマリアとはどういう国なのかよく知らないけど、この前NHKでやっていた。これを参考にして書き記しておこう。

 国民は単一民族のソマリ族からなっているが、多数の氏族(うじぞく)にわかれていて、 1991年以来、現在まで、全土を実効に支配する国際的に承認された政府が存在しない。ずっと氏族同士の激しい内戦が続いている。 

 ソマリアは1886年北部がイギリス、1889年南部がイタリアの保護領となり、1960年イギリス領が独立、イタリア領が独立、両者が統合しソマリア共和国となった。
 独立後、ケニア、エチオピア両国としばしば軍事衝突を起こした。アメリカの軍事支援を受けていたエチオピアに対抗するため、ソマリアはソ連の軍事支援を導入した。
 しかし77年のオガデン紛争でソ連は裏切りエチオピアについたため80年代に入るとアメリカに基地使用を認め、軍事協力条約も締結し、急速にアメリカとの結びつきを強めていった。
 このため、何兆円もの武器がソマリアに流入してきた。
 80年代以降、反政府武装闘争が表面化し、91年バーレ政権は打倒された。北部では同年、ソマリ族を中心にした「ソマリランド」が一方的に独立を宣言した。以後今日まで無政府状態である。
 1992年には、ソマリアの安定化と、飢餓に苦しむ国民への食糧配布のために米軍中心の国連平和維持軍が配備された。しかしここで国連平和維持部隊の兵士は、数えられないほどの強かんや殺人を犯しているという。

 2000年にアラブ各国に後押しされた「ソマリア暫定政府」が設立された。この政府は「バラカート」という金融会社と、海外から戻ってきたソマリア人のビジネスマンと協力して国を再建している。
 しかしアメリカは、テロ対策のために「バラカート」の資産を凍結させ、携帯電話やインターネットなどの通信網も停止させた。このため多くの住民が他国へ出稼ぎにいった身内からの送金を受けられなくなり、生活困難に陥っている。
 「ソマリア暫定政府」は崩壊した首都の半分しか掌握しておらず、国土の8割は、エチオピアやケニアなどアフリカリーグの支援を得ている「反政府武装勢力のソマリア和解・復興委員会(SRRC)」が支配している。プントランド州では、「ソマリア和解・復興委員会(SRRC)」のトップが大統領になった。しかしクーデターで追放され、その後は暫定政府の支援で新しい大統領が生まれたが、再び元の大統領側が州都を奪還した。
 一方、北部の「ソマリランド」では銃もなく治安も経済も安定していて日本製品に溢れている。エチオピアから戻ってきた難民も政府が保証している。ここでは輸出の90%が家畜で、外貨を得て発展してきた。しかし「ソマリア暫定政府」と「ソマリア和解・復興委員会(SRRC)」から圧力をかけられている。一昨年「ソマリア暫定政府」が設立されてからは、輸出がストップし外貨が入ってこなくなり危機に陥っている。

 このように「ソマリア暫定政府」「反政府武装勢力のソマリア和解・復興委員会(SRRC)」「ソマリランド」という3つのグループが対立していて、自分たちの勢力拡大を図るため、超大国アメリカの支援を受けようと、ともにアメリカの対テロ強硬路線を支持している。

 まさに隣人同士が争っている状態なのだ。これらのグループがお互いをテロ組織との関連があると非難し合い、アメリカに尻尾を振っている。
 見ていて情けなくなってしまう。

 世界で起きている戦争と、経済的には恵まれた日本で起きている虐め、排除、自殺、増加する離婚、独り身、人間関係障害、犯罪、政治の汚職、などすべての問題が同じもので繋がっているように思う。

 マフマルバフの奥さんの映画は明日までだ。早く観たくて仕方がなかったのに、ずっと観れなかった。明日観に行く。

 コンピューターはようやく直った。



2002年3月4日(月)「イラン映画<ABCアフリカ>アッバス・キアロスタミ監督」

 アフリカでの160万を越えるエイズ孤児や内戦で親を亡くした子供たちの実態を描いたドキュメンタリー映画だった。
 もし、子供たちの悲劇を見せることで同情や涙を誘う映画だったら 嫌だなと思っていたが、監督がこの内戦の地で光を見た、というので映画館まで足を運んだ。

 ウガンダでは2200万人の人口のところ、エイズで200万人が死に200万人が感染、160万人の子供が片親か両親をエイズで失っている。1人あたりの一年間の国民所得は3万5千円、国民の半数は病気になっても医療サービスを受けられず、赤ん坊が5才までに病気や栄養失調で亡くなる確率は2割近い。
 驚いたことに、老婆たちも他の女性たちと一緒に子供たちの世話をしていた。ある70代の老婆は、自分の息子11人をエイズで失い、今はバナナ栽培をして35人の孫を世話していると言っていた。
 日本では、親が老人になると娘や息子が面倒見るのが当たり前、という風潮があり、自分の子供を当てにしている親が多い。
 しかしウガンダでは、働き盛りの男たちがエイズで死んでしまったため、女性たちが沢山の子供を抱えて逞しく生きていた。エイズが発病し死亡するのは大人たちなのだ。
 そのため「ウガンダ孤児救済のための女性運動」(UWESO)は、女性たちの5人を1班として班ごとの預金口座に1人1人が預金していくシステムを作っている。このお金は互助金で、子供の医療や教育に役立てていくものだ。
 カメラの前で、走り回ったりふざけたり踊ったりする子供たち。監督は何の違和感もなく彼らに溶け込んでいた。
 病院では、エイズで死を迎えた幼い子供たちが、泣く気力もなく虚ろな顔をしていた。エイズで死んだ幼児が布に包まれて病院から運び出されていく。泣く人も驚く人もいない。これは日常的なことなのだ。この地では涙さえも乾き切っている。
 深夜になると、エイズにかからないと安心している者も闇に集まる蚊には油断できない。蚊はマラリアの感染源で、エイズと同じようにこの国の死亡原因のトップを占めているのだ。
 昼間、樹木の下では沢山の子供たちが授業を受けていた。ときに大笑いをしふざけたりして楽しげに勉強を教わっていた。
 豊富な緑と太陽の下で、大人も子供たちも、打楽器を打ち鳴らし、歌い、踊り、飛び跳ねる。みんな、赤や黄色や青などビビッドな原色の服を着ていて、自然と溶け合い、生きるエネルギーを発散させているようだった。まるでレイブパーティみたいな光景だった。
 黒人には、原色の服や石のアクセサリーや踊りがよく似合う。無邪気に笑い、球技をして遊んでいる人たちもいた。
 女性たちは、UWESOの活動前は絶望して寄付ばかりを期待していたが、UWESOの訓練後は自信と責任に目覚め、意識も行動も変わったという。
 ウガンダはカソリックの国だ。いかなる避妊も教義に反するためコンドームも奨励しない。「コンドームは快楽のための性行為を奨めるようなもの」と言う。
 このカソリックの敬虔な教えは、エイズ撲滅にならないどころか、エイズをどんどん増やしている。教義を字義通り守ることより現状を救う方が先なのだから、UWESOみたいに現実に沿った救済策を実行すれば良いと思う。
 オーストラリア人の夫婦がアフリカ人の養子をもらうためにカンパラにやってきた。夫は医者、妻は教師だ。どうしてアフリカ人の子供をもらいたいのか、という質問にこう答える。「私たちに育てられる方が、良い教育と医療が受けられるから」
 彼らは、孤児院が選んだ赤ちゃんを抱いてアフリカを去る。
 飛行機の中、小さな窓を通して雲を見つめる赤ちゃんと、オーストラリア人夫婦。
 この赤ちゃんは幸せになるだろうか。
 私にはわからない。
 ウガンダの太陽の下で、大勢の子供たちが弾けるように笑い遊んでいる姿は、とても親を失ったり病気に感染したり発病するリスクを負っているとは思えないぐらい、明るく希望に満ちていた。 実際に、エイズに感染している人々でさえ、どうしてこんなに呑気なのだろう、と思えるぐらいにあっけらかんとしているそうだ。

 ウガンダは、アフリカ大陸で唯一エイズ対策に成功した国であるとされている。その理由の一つは、多くの国が外国人観光客を失いたくないため、「見て見ぬ振り」をしていたのに対し、ウガンダはエイズを公式に認め正面から取り組んできたからだ。
  もう一つの理由は、ウガンダ政府、特に大統領自身がリーダーシップを発揮しエイズを国家的緊急課題として取り組んだことが挙げられる。
 その結果、エイズの感染率は減少へと転換している。しかしアフリカの他の国では減少していない。

 私はこの映画を観る前は、きっとウガンダの人たちはエイズや貧困で絶望しているのだろう、と思っていたが全く裏切られた。
 厳しい状況の中で、楽しみを見つけ、遊び、学び、希望を持ち、逞しく生きていたのだ。
 渋谷のユーロスペースまで足を運んで観て良かった。こちらまで元気をもらっ

 一昨日観たのにパソコンが壊れたため、UPが今日になってしまった。今人のを貸してもらっていて自分のパソコンは修理に出したためしばらく不便になってしまう。



2002年3月2日(土)「癌の早期発見のための最新検査/<魂>柳美里(小学館)」


 昨日はテレビで、癌の早期発見のための最新検査についてやっていた。癌の検査というと、X線写真を撮ったり内視鏡などを体内に挿入したりするイメージがあるが、最新のPET検査法は違っていた。
 癌細胞には正常細胞の何倍ものブドウ糖を摂取する特性がある。PET検査はこの特性を用いたもので、FDGブドウ糖を注射し、体内のブドウ糖の集まりを検査するのである。
 テレビでは、一時間ぐらいで全身の癌が一度にわかると言っていた。一般的な癌検査では、癌がある程度大きくならないとわからないので手遅れになってしまうこともある。しかしこの検査では、微細な癌細胞までわかるから早期発見で救われ社会復帰した人も多いそうだ。でも今のところ保険がきかないので検査料は高く、10万〜20万円かかるらしい。

 こうした米国を先端とした文明の恩恵に浴しながら、食べるに困らない安全地帯から世界の情勢などを眺めてぶつぶつ言うのは、自分の中でどこか矛盾しているように思う。しかし、日本にいるからこそまっとうな見方で冷静に世界を見て考えることもできると思う。

 そういえばアフガンでは、米軍の攻撃で一層の困窮生活をよぎなくされている貧しい農民の間で、生き残るために現金収入を得ようと再びケシを栽培する動きが出ている。
 厚生労働省が、ミャンマーの農家に、ヘロインなどの原料になるケシの代わりに漢方薬の原料になる生薬を栽培してもらおうと技術指導をしている、と朝日新聞に書いてあったが、日本はこうした貢献を貧国のいたるところで行えば良いと思う。

テレビに出ていた西台クリニックについて
http://www.ncdic.org/

PET検査について
http://www.ncc.go.jp/jp/ncc-cis/pub/diagnosis/010605.html 

 私は癌がとても怖い。特に柳美里の「魂」(小学館)を読んでからは余計にそうだ。生と死の境界から発せられる、行間から血が滲み出るような言葉は哀しく鮮烈で、こちらの魂も揺さぶられた。
 丈陽を出産した後、元恋人であり仕事上の恩人でもあった東由多加の癌が増悪する。抗癌剤が効かなくなり、激痛と吐き気に苛まれていく。それでも最新治療を求めて病院を移ったり、最先端の医療を試みたりする。身体のあちこちに癌が転移していて手術はできないし、放射線もレーザーも効果がないのだ。
 主人公には執筆の仕事もあり丈陽の世話もしなければいけない。東由多加は熱や痛みがあり身体がむくんで動けない状態なのに丈陽の世話をしたり、主人公に適切な指示をしたり、二人は、いや三人は、切迫した状況の中でもがくように生きようとしていた。
 やがて抗癌剤も効かなくなり、彼に幻覚が襲ってくる。目前まで迫っている死。
 病床に伏している東由多加を見つめている主人公の最後の言葉には涙が出た。
 「……どちらがどちらの手だかわからなくなるほど汗ばんでも、わたしは東の手を離さなかった。離さなければ一歩一歩死に近づいていくのだろうが、東の手を離してわたしだけ生に引き返すことはできない。共に生きる時間を奪われたが、共に死ぬ時間は残されている。わたしは東と手を繋いで歩いた。」
 このノンフィクションは、単なる闘病記ではない。生と死の大きな流れの中で三人の魂が交錯し共に生きようとする、深いところから発せられた祈りのような言葉で綴られた「私記」なのである。

 東由多加には柳美里というパートナーがいたから良かったが、独身者や子供を作らない夫婦が増えると、老後の面倒は誰が見るのかという問題が発生するだろう。
 最近でも、痴ほう症の老いた妻が夫の死を理解できず、1カ月以上も食事の世話を続けるというニュースがあった。東京都西東京市のある団地で起きたことだが、ここでは過去2年で、3人の独り暮らしのお年寄りが、誰にも気づかれず死後3〜7日間たって発見された。
 マンションの個室で、独り暮らしの老人が癌に倒れ、痴呆になり苦痛のうちに死んでいく、という状況も増えてくるのではないだろうか。助けてくれる人もなく、個室でのたれ死にする人が増えてくると思う。
 老いたら、友達と電話で頻繁に連絡し合ったり、直接会って話をすることが大事になってくるのだと思う。
 例え癌で死ぬことがあっても、人生に後悔しないために今の私ができることは、好きなことをして思う存分生きることだ。

 ところで、「私が女になった日」 (マルジエ・メシキニ監督<モウセン・マフマルバフの妻>)と「ABCアフリカ」(アッバス・キアロスタミ監督)をまだ見ていない。
 両方とも3月8日(金)までなので早く観たい。