Rooftop 2002年11月号に掲載された書評


小説「タユランの糸車」感想集
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ふるりんさん
とっても不思議な読後感の残る小説である。
近年避けて通ることのできない問題として、在日外国人の受け入れ問題がある。その問題に作者なりにメスを入れ、一定の問題提起をされていると思うのだけれど、決してそれは声高ではない。人が生き、いろんな人間と出会い、やがて誰かと愛し合って、子を設ける。そんな流れるような普通の人生について、日本人だから、ガランジャ人だからといった違いは何もない。愛し合っていても、常にそれを疑い、またそれを信じる。でも、それは決して何かを期待してのものはなく、なるようになる。あるいはなるようにしかならない。という達観した境地のあるべき姿として、淡々と描かれる。
それはごくごくありふれた光景として、しめやかに密やかにまるで<生>のように紡がれていく。
全体に「小説」でありながら、いにしえの言い伝えや、「朗読詩」を読むような心地よいリズムを刻みながら、この物語は展開される。そのストーリーは、決して意外なものでも突飛なものでもないにも拘わらず、読む者のこころを惹きつけてやまない。それは、おそらく作者が<タユラン>を通じて示す“人間たちへの愛”に満ち溢れているからではないだろうか? 生きることの意味や、テクニックにいつまでも慣れることなく、他人に対しても決して正直でも誠実でもない。そこに加えて強くもない多くの<人間>という者への、限りなくやさしい目線がそこに感じられる。夢のような、現のようなそんな不思議な語り口に揺すられながら、心地よい眠りに就いていく。そんなやさしい気持ちになれる小説である。


岡村淳氏(記録映像作家)
「タユランの糸車」面白く読ませてもらいました。タユランと、メールのやり取りから推し量る直伽さんの、夢見る少女的な純朴さがオーバーラップいたします。魔都東京の感じもよく出ていたと思います。ひょっとすると東京そのものが主人公だったのかも、と思うほど。異文化の女性の主観で書くという、難しい設定によくチャレンジされましたね。私事ながら、学生時代は考古学をたしなみ、縄文文化に思いを馳せていたのですが、御著の織物についての描写を読んでいるうちに、自分に縄文時代の女性の過去生があり、編物を竪穴住居でしているデジャビュを感じました。


Mさん(画家)
タユランは前半のセックスの描写がすごく男性的視線で女性作家とは思えないほどの完成度でした。それから入管から逃げる場面は映画のシーンを思わせるほどのスピード感で楽しませてもらいました。ほんとこの辺は技術があるなって思いました。後半はがらっと変わって女性的な感じの展開でした。最後の辺でもう一山の波が欲しかったかな。不倫のイメージが読んでる方は強くあるのでそれを揺さぶって崩して引き込むのは難しいんでしょうね。男と女では不倫のイメージの差が大きいので余計でしょうね。でも料理は凄い取材をしたのですか? 詳しいですね。全般的に良く知ってるなーって言うぐらいリアルな単語が所々あって取材を良くしてるのかなと思いました。中島直伽さんていう人の謎がまた一つ増えました。


Tさん
とてもおもしろかったです。読後感がとても良いし、感動もしました。単なる恋愛小説でなく、女性の自立、タユランが、自立していくのがとても良かったと思いました。いいえ、タユランは最初から、自立していました。それが、この小説を明るくしていたように思います。描写もうまかったし、文章やストーリーの展開も良かったし、面白く最後まで読むことができました。続きをよみたいとおもったぐらいですよ。


Aさん
タユランの純粋さ、素朴さから来るある種の無知が切ないですね。ヨウジロウをまっすぐ好きになり、信じてしまう。街娼になったのはだまされてのことだったのか、ガランジャを出るにはそれしか方法がなかったためなのかなどと考えております。ヨウジロウには共感できませんでした。女性を買うような男性は結局根っこのところでは信用出来ない人間なのだと思います。現実の日本人男性たちはいかがなものなのでしょうか。夫に聞いてみたら、そういう人はごく一部じゃないかという話でしたが。
私は性的表現はちょっと苦手だったりするのですが、この小説においては必要なものだと感じました。それによってタユランの心情が浮き彫りになり、場面の対比が生まれていると思います。それに、どこか乾いたような表現は、興味本位の男性読者向けのものではないですし。


Tさん(画家)
一気に読み終わりました。小説は久し振りです。タユランを縦糸とするとヨウジロウの横糸でしょうか。時代性のあるテーマ、読みやすく自然に文中に入りました。タユランの織物・・・イメージが広がります。まっさらのキャンバスに向かうとき、私はどのように表現すれば見る人に言いたいことが伝わるか苦慮します。秋の長夜にふさわしく、ストーリーの展開、小説の出来る過程に思いを寄せたひとときでした。次の作品楽しみに待ってます。


Aさん
「タユランの糸車」読みました。何か透明な読後感がある。いまどき、あんな優しいオナゴがおるのかなという気もするが(笑)。ヨウジロウの背景があまり見えないところが良い。ただ、もう少し何か毒の部分あっても良いような気もします。ちょっと抽象的すぎる感想かな!


Iさん
昨夜、読ませていただきました。一気に読めました。文学評論家でも造詣が深いわけでもないので、大した感想は書けません(笑)最後の方で、レストランで4人で会う約束をし、終末を悟るくだりがありますが、あそこをもっと違った情景で表現した方がよかったな・・・って、気がしました。私にはとっては、とても好きな作品でした。


Nさん
ぼく、あんまし小説とか読まないのれしゅが、最後までちゃんと読んだよ。おもしろかったの…。ガランジャって、もちろん実在の国ではないのでしょう? どこか、モデルの国ってあるのでしゅか? 東南アジアのほうか中近東の国でしょうか? あとね、どうして、漢字で書けるとこも、ひらがなにされているのでしゅか? あの主人公の女性が、なんだかかわいかったの。


Wさん
直伽さんの小説は、情景描写や心理描写が自然で、小説の世界を自分のイメージの中に作りやすいのでとても読みやすいです。ときめく少女のようなタユランの愛に対する誠実さ、包み込む優しさと保身の合間で霧のように消えていくヨウジロウ、タユランと一体になった織物の世界、当たり前とされている文化習慣と夢、希望、やりたいことの折り合い・・・。


Aさん
読後、正直で誠実なものを感じ少し泣きました。本当に驚くほど純朴で、ありのままの感情を表現していて、人生への絶望や哀しみや苦しさの中に、生きている歓びがキラリとひかる瞬間があって感動しました。小説を書くことなどには無縁の私がいうのもナンですが作者はまだ発展途上にあると思いますが、これから力を注いで書いたらすごい小説が生まれるような気がします。文学の志も高いし可能性を秘めている作家では?


Kさん
「タユランの糸車」,先日読み終えました。
ここのところ忙しくて,気持ちがあんまり「読書モード」にならなくて,冒頭だけ読んでちょっと間が空いていたのですが,数日前に続きを読み始めたら,ヨウジロウが登場してから面白くなってきて,残りは1日で読んでしまいました。ヨウジロウの煮え切らない性格は,なんだか身につまされるような気がしました。(って別に私は女性を不幸にするようなことはしてないですが)。彼を思いっきり悪人として描いたらストーリーとしては盛り上がったのでしょうが,あえてそうしなかったことで,独特の味が出ているように思います。


Cさん(デザイン関係)
私は美大に通っていて、当時たくさん絵を描きました。常に「他人に気に入られ たい」「感心させたい」ということがモチベーションにありました。今あらためて思うのは、自分が消費者として惹かれる表現は「他人にどー見えようがどーでもイイ。そんなことは興味ない。わしが気に入るように作る」って態度のものが多い、とゆーことです。私は「他人にどー見えようがどーでもイイ、わしが気に入るように作る」とゆー了見で何かを作 ったことが、ナイ、あるいは、ほとんどナイ。美大に通ってたのに。ここ数年で、はじめてこのことに思い至りました。 ショックだ。
 『タユランの糸車』の後書きに、「おもしろさを追求すると深みが失われる、深みを追求すれば読みやすさが犠牲になる、悩む」とゆーことが書いてあって、共感したのですが、しかし、それってあくまでも「他人から見たときにどうか」って観点だと思うんですよ。もし次回作があるなら、そーゆーことはすべて無視して、「わしがいちばん気に入るように書く。世界中でこれを気に入るヤツがわし唯ひとりであっても一向にかまわんからそーする」とゆー、わがままなヤツを書いて欲しいです。結果としてその方が、他人が読んでも面白いに違いない。と思う。


Oさん(織物作家)
『できあがった織物は、私が生きている証だ』 その言葉が一番心に残り、もう一度そのシーンを探しました。
「私が存在していた証拠」と、私も同じような言葉を使ったことがあります。
『私の時間が織り込まれていく』・・・ような。『生きている証』、という言葉に、私はすごく切ないものを感じます。
この感覚は主人公の言葉だけではなくて、直伽さんも織りながら感じる感覚なのでしょうか・・・
そんなことを思いながら読んで、今手元の本の帯の後ろを見たら
本文の抜粋も同じ部分で・・・、あ、読んで良かったなぁと思いました。